まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

またまた不合格

2021-10-17 | 弓道
昨日、富山での中央審査に、またまた不合格となった。
石川県勢の吉報は届いてこない。
今日受けた錬士の部も、道場仲間からのラインで全滅と聞いた。
残念だった。

今日は仕事だった。
県民文化の日で石川県民は無料なので入館者が多くそれなりに忙しかった。
少々疲れも残って今晩は弓を引くのをやめて休むことにした。
長い間、殆ど毎日少しずつだが引いていたが、結果が出ない自分に愕然とした。
少しずつ良くなってきていると思ったのは勘違いだった。
いや、そう思うことで稽古を続けることが出来たのだと思う。
しかし、相当手首に力が入ったのだろう。
2本しか引いていないのに、朝起きたら両の手頸が痺れていた。
日頃の稽古で、何本引いてもこうはならない。
緊張に負けるとは、なんとか弱いハートだ。

高校の時から弓道をして、ついに足抜けできなくなって現在まで至る。
まるで新興宗教のような、はたからみたら不要不急の、しなくてよいことの積み重ねで生きてきたような気がする。
芸術なら作品が残るが、弓は穴を空けて、また的張りをして、また穴を空けて。

稽古の積み重ねは裏切らないのか?
いや、稽古の積み重ねの上に年齢も積み重なっていき、そこが大きな落とし穴である。
年を取ると 努力は裏切らないが、努力し過ぎると身体を壊す。

しかし、ここで逃げたら今までの苦労は何だったのかと思う。
そう思ううちに人生の終わりが来るのかもしれない。
それでも、道場の仲間や石川県の仲間と一緒に目指しながら、向こうにある小さな光に向かう喜びもある。健気な歩みに生きがいを感じている。

今回、久々に富山の道場へ行った。能登の地震の時に講習会があった。
富山の道場も窓ガラスがガタガタ揺れた。
あの日以来行っていないので、懐かしかった。
感染防止の為に時間差で入場するため、外のテントで待っている間、富山の方たちと話をしながら、一緒に目指す弓仲間がまた増えていくことを実感した。
何回も顔を合わせてるうちに同士という気がしてくる。
しかし、過去にも経験したことだが、同士と思っていた仲間が合格し、次の段
階へ行ってしまうのだ。わたしの立ち番は最後の立であることがそれを証明している。

そこで、わたしの頭の中にセカオワの歌が聞こえてくる。
「サザンカ」である。
♪ 夢を追う君へ 思い出して つまづいたなら
  いつだって物語の主人公は笑われる方だ・・
  人を笑う方じゃないと 僕は思うんだよ・・・♪

♪ いつだって物語の主人公が立ち上がるたびに
  物語は続くんだ・・・♪

そう物語は続く。
しかし、今日はやっぱり弓を引かないぞ―――。
そして「山女物語」を、観よう。

  



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