夕方娘の家に行くと娘が「今日の白山きれいやったね。」と、言う。ここでは、冬の空に浮かび上がる純白の白山の美しさが挨拶となる。夕方に西に落ちる太陽の光を浴びて明るく浮かび上がる白山は、息を飲むほど美しい。「うん。見た見た・・ほんとに綺麗やったね。」
不思議に、見る位置が違うと、大きさも違って見える。それにしても綺麗だ。こんな日は、車を運転しながら見てしまうと危ないので、田んぼ道に車を止めてしばし眺める。
お釈迦様は西方浄土におられるというけれど、見えない西方浄土より、目に見える美しい姿に畏敬の念を寄せる気持ちが分かる気がする。昔の人は、山に神様がいると信じ修行の為に登ったというのは、この美しい姿に魅せられたせいだろうと思う。
今年は白山が開山1300年というので、山がにぎわしいことになりそうだ。神聖なる山に向かうには心得が必要なのではないか。品行方正。社会奉仕。容姿端麗・・美人薄命・・違うな。