you Tubeで、有名な先生の弓を引く動画がUPされている。また、学生大会の優勝戦もわくわくする。中たる場面は勢いがあっていい。けれど、その場にいて、その空気の中でみるのとはわけが違う。看取り稽古は肉眼で。
その瞬間のときが残っていても、どの先生もすばらしいが、矢渡しのときなどの介添えなど失敗はできない。同じ協会の人に、あそこはこうなっていたけれど、あの先生のあれでよいのですか?と、聞かれたりした。
残るということは責任があるなあと思う。上手な人はいいけれど、納得がいかない矢がでたら残したくないと思う。
わたしは一瞬一瞬消えていくので、弓を引くことが出来る。最近、調子が悪いので、次の一射に希望を託して引くしかない。練習の反省のために動画をとると、たいがい愕然とすることが多い。
弓道は芸術と違って、残らないし、料理のようにみんなが喜んでくれるものでもない。
「下手な弓引いても、何も残らんし精が出んね・・」と、いうとだんなが
「残るやろ・・課題が残るし、悔いも残る」と、つぶやく。ギョー、なるほど。