まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

弓道ことわざ あ行

2010-09-21 | 弓道
どこまで、何を書いたか分からなくなるので、まず「あ」から。

開(あ)いた矢口は的に立たぬ (開いた口には戸はたたぬ)

 また矢口が開いてしまった。こうなっては縮んだ身体はなかなか元へ戻らない。
 的に矢が刺さってはくれないだろうことを分かっていながら、離さなくてはならない寂しさ。

浅い会に離れ念仏(朝題目に宵念仏)

 本来、定見を持たないことのたとえであるが、弓では読んでの如く、短い会で、ええいままよ南無阿弥陀仏と、離したあとは知らないよという射。
 しかし、念仏をつぶやく時間がある人はまだいいかも。

悪射は良射を駆逐する (悪貨は良貨を駆逐する)

 「グレシャムの法則」は、弓でも通じるようである。名目上同じで質の異なる貨幣があると、良貨はしまい込まれ、悪貨だけが流通するという。なかなか良射を披露できないのは、悪射で中たってしまったり、あるいは、ただで良射は見せられないと言う狭い了見のわたしのような者をいう。良射で尽くしている人は、いつか大成功するのである。それを信じて、中たらずとも頑張るうちに、今度は懐に良射があるのかどうか疑わしくなったりする。ひたすら、信じなくてはいけない。

あらよの月(雨夜の月) あまよのつき

 本来あるにはあっても、現実には見えないもののたとえである。金体白色西半月の月とは射で顕わすとどうなるのか、毎回「あらよっ」と離していては見えないのである。