Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

遅配の上に配ったふりとは

2018-11-25 13:38:00 | ノンジャンル
台風24号の際に勝手運休などで都市機能がマヒしたわけですが、午前中はさほどでもなく、行政も午後から外出は控えるようにと広報していた中、宅急便が「勝手停止」をしたことで迷惑した件を掲示板に書きました。

おさらいをすると、9月30日の配達日指定でレンタル品を発注していたんですが、業者は早々に手配して最寄りの営業所に3日前の9月27日に到着しており、指定日の配送を待っていました。
時間帯指定をしていなかったのですが、当然朝から配送に回ると思っていたら来なかったわけです。昼からは近所に宅急便の配送車が「避難」しているのが見え、台風を理由にした業務終了ということが容易にわかります。

この間追跡調査をしても営業所から一歩も出ていないわけで、台風が来るから早く配達してくれと依頼しようにも、再配達でないですからネットでは手段がありません。電話をかけても混みあっていて全然つながらないわけで、結局翌日は午前中にしゃあしゃあと配達しているというふざけた対応です。

午前中は配達できないなんて状態ではなく、数日前からスタンバイしている荷物を時間帯指定がないのをいいことに店晒し、いや、台風にかこつけて配達しない気満々だったわけです。普通の商売なら、午後は台風でヤバいから午前中に配ってしまおう、となるのですが、ヤマト運輸はそういう常識が通用しないようです。
レンタル品なので9月30日からの料金が発生するのですが、さすがに業者には申し訳ないが業者にクレームして1日分減額してもらいましたが、ヤマト運輸の「勝手停止」で業者は1日分のレンタル料を損したわけです。

という前科から1ヶ月半。またやらかしてくれました。
自宅から急ぎの送付物があり、宅急便に乗せたんですが、午前中の指定にした、という連絡を受けて待っていたのに来ません。
不在票も入っておらず、今度は人手不足を理由にした遅延か、と呆れていましたが、午後しばらくたってもまだ来ません。

外出する用事があり、再び不在票がないことを確認した後、ふとまさかねと思いつつも不在時には集約して受け取るデスクがあるんですが、そこに立ち寄るとあるじゃないですか。受領の台帳を見ると明らかに今さっきついたばかりという感じで、追跡調査を見ると14時半を回っての配達です。遅れたうえに不在票を入れずに届けたことにするとは最低最悪です。
確かに不在時の受け取りサービスのデスクはありますが、あくまで不在時の話であり、不在票を入れてからデスクに向かうのが常識でしょう。不在票を入れずにデスクに直接送ったというのは、別のところに配達した、という重大事故と同じです。

「官から民へ」「民間のサービスは素晴らしい」と自画自賛しているヤマト運輸ですが、やっていることはこの程度です。
もちろん官業から民営化した郵便局も大概で、遅配や誤配どころか捨てたり盗んだり、という事故が報じられるわけで、五十歩百歩ですが、だからと言っていい加減でいいという免罪符にはなりません。




自業自得と無能官庁のコラボ

2018-11-25 12:48:00 | 交通
昨夜オーバーツーリズムを取り上げていたニュースショーがありましたが、インバウンドガーといって福の神扱いしていて、手に負えなくなったら大騒ぎしだすというのも身勝手なものです。京都なんかインバンブームが来る前からシーズンの混雑が問題になっていたわけで、そこに積み増ししてどうなるという懸念は当初からあったのに、無視してきたツケといえます。

インバウンドの急増はここ2、3年ですが、外国人観光客を増やす、という空恐ろしい目標を国が掲げた時点でオーバーツーリズムの問題は世界各国で顕在化していたわけです。後発なら後発らしく先発の問題点を踏まえた目標になっているべきでしたが、全く考えていなかったわけです。さすが三流、いや五流官庁のやることは違います。

まあ地元の悲鳴といっても自業自得な面もあるわけで、少なくとも自治体はオーバーツーリズムを招いた側という自覚が必要です。
最たるものとされる京都にしても、既に公共交通が破綻して「歩け!まち京都」と揶揄されるスローガンで江戸時代のように徒歩中心で移動させる施策に走っていますが、ここまでひどくなる前に立ち返るチャンスがあったのに破綻一直線に進んだわけです。要は冬場など観光客が少なくなるシーズンが気になるから、年中ピーク時並みの集客を目指しましょう、というオーバーツーリズム上等、の施策を大々的に進めてきたのが当の京都市であり、今の惨状はある意味必然です。

ホテル建設を止めてコントロールする、という案も出ているようですが、やめてください。大阪や神戸など関西の隣接府県の宿泊事情が一気に悪化します。京都が責任をもって対応すべきであり、そうでなければ古都税問題の時のように拝観停止を定期的に行い、都市機能を一定数維持するくらいの「規制」が必要です。

観光産業、さらにはガイドブックやテレビに取り上げられて混乱している店舗もそう。
本当に観光客の集中が嫌なら最初から取材に応じていませんよね。およそ観光とは無縁に見える商店でも、迷惑しているかというと、倹lがテレビで紹介云々、という記事が後生大事に飾ってあったりするわけで、手に負えなくなったら被害者面、という身勝手な物言いに過ぎないことが多いです。一時期でもメディアに取り上げられました、とかいって観光客など非日常利用者をかき集めようと志したのであれば、増えたらどこまでも対応するくらいじゃないといけません。自分に都合のいい「ほどほど」なんてありえません。

現在年間訪日者数が2800万人程度でこの惨状ですが、五流官庁は4000万人まで伸ばすと言っています。
日本の総人口とそのうち観光ほか外出する世代を考えたら、下手をしたら外国人観光客がいない状態の5割増になるわけです。交通機関、商店その他5割増しの需要に耐えられるかどうか。観光立国で経済規模が大幅に拡大、というのであればいいのですが、そうじゃないでしょう。観光地価格、優等料金などでぼったくり交通機関に飼い馴らされて批判も忘れた日本人と違い、外国人はシビアです。何時間もローカル線に立ち続けることを厭わない。無駄な支出をすることを良しとしない、日本以外では至極当然の行動をしているのは大いに学ぶべきですが、その経済規模でこの人数は割が合わないのも事実です。

少なくとも増やすのではなく減らすことを考えないと、観光客による都市機能マヒの惹起という巨大な破局が訪れるでしょう。



大阪万博は何をもたらすのか

2018-11-24 01:58:00 | 時事
2025年の万博が大阪に決まりました。55年ぶりの開催ということで盛り上がっている、という感じには見えなかった今日の大阪でしたが、正直言って手放しで喜ぶ気にはなれません。

五輪が都市のイベントであり、万博は国家のイベント、ということのようですが、逆じゃないの?というのが率直な感想であり、五輪招致は国を挙げて、という印象が強く、万博はまあ大阪には悪いですが、大阪が勝手に盛り上がっている、という印象でした。

まあ各方面から批判も出ていますが、批判に対して、せっかくのイベントを前向きにとらえないのは悲しいこと、とか、批判しているのは成長を否定する老害、という批判も目にします。
まあ老害と言われればそれまでなんでしょうが、1964年の東京五輪、1970年の大阪万博が持っていた国を挙げての熱気、これが今回は2020年東京五輪も含めて無い、というか、持ち得ないという現実を認識していないように見えます。

第二次大戦の壊滅的な敗戦からの復興。先進国とは到底言えない社会インフラに生活水準。1964年はもちろん、1970年ですらまだ「追いつけ追い越せ」の段階だったわけです。五輪も万博もそれこそ先進国が持ち回りで開催するイベントだったわけで、それを開催するにまで至ったという事実そのものが大切だったし、戦前の「五大国」がようやく再び肩を並べられるようになった、というプライドもまたあったわけです。

それから半世紀以上が経ち、今の日本が五輪や万博を開催する意義はどこにあるのか。国民の共通認識を欠いたまま開催される二つのイベントをどう評価するのか。楽しければ、盛り上がればいいじゃないか、という無責任な議論は無意味かつ有害です。
なによりも財政が苦しい中でそれだけの余裕があるのか。一時のお遊びに何千億、兆単位に迫るお金を支出する余裕があるのか。具体的な効果を示せないから、穴を掘って埋めるだけでも経済効果、と開き直る向きもあるようですが、本当に余裕がないのです。

上述の通り万博は国家のイベントとのことで、開催費用の2/3を国と大阪市が負担するようですが、東京のように自前自腹で開催するという建前だけでも示せていればまだしも、要は他人のふんどしです。宴の後に何が残るのか。これが戦前までの大阪であれば、商都の誇りをもって国の支援などいらぬと地元が金を集めたでしょうし、それが本来の大阪ですが、今やすっかりそのプライドもないようです。

知事や市長はあれこれ意義を述べていますが、今世紀に入ってからずっと繰り返されてきた「イベント欲しい欲しい病」でしょう。でないと五輪に万博、サミットと意義も意味合いも違うものをダボハゼのように喰いついて手を上げてくるはずがありません。
要はイベントを起爆剤に経済を盛り上げたい。それだけでしょう。企画力もないから既存の大型イベントを頼るしかないのです。

見え透いているのが破綻した臨海部開発の「一発逆転」狙いですが、じゃあ宴の後に東京の臨海副都心のように発展が持続するのか。
都市博というイベントを捨てて独自規格で育て上げた臨海副都心とは志も違います。臨海副都心のように湾岸道路という幹線交通軸がど真ん中を通っているわけでもなく、「跡地」をどうするのか。大阪という街の臨海部というロケーションに魅力があれば咲洲であれほど苦労はしていません。その下心が見え見えなのに、まさか「宴の後」に負のレガシーを残す気でしょうか。

いやいや、そんな前世紀の遺物のような発想は金輪際なく、というのでしょうが、東京五輪もそうですが、今ここで開催する意義を旧来型の経済効果以外に示したためしがないのも現実です。
こういう意見を老害と批判するその口で、ゆめ咲線、地下鉄中央線、京阪中之島線の延伸が、とか、リニアは間に合わないな、とか、まさに万博にかこつけた開発に目を輝かせているのを見ると、老害を笑えないとしか言いようがありません。

確かに経済効果は一時的には出ますが、度重なる自然災害の復興に東京五輪と、イベント以外のインフラ整備など公共事業に資機材や人件費の高騰どころか金を払っても手に入らない取り合いになる事態と今ですら弊害が目につくうえに、イベント後の冷え込みが懸念されているわけです。

大阪万博はそれを5年先送りする幾許かの効果はあるでしょうが、それは先食いに過ぎず、さらに谷は深くなります。





ブラックフライデー?

2018-11-24 01:16:00 | ノンジャンル
感謝祭明けの金曜日を「ブラックフライデー」として流通業界が舞い上がっていますが、これ、いつから言い出したんですかね。
感謝祭からクリスマスまでをクリスマス商戦と言い慣わしてきているのは有名ですが、「ブラック(曜日)」は経済の世界では禁句ともいうべき表現のはずなんですが。


(阪神電車内。イオンの宣伝)

1987年の有名な「ブラックマンデー」、いや、その下敷きになった1929年の世界恐慌では「暗黒の木曜日」から「悲劇の火曜日」までを総て「ブラックサースデー」から「ブラックチューズデー」と表現することもあり、「ブラックフライデー」もそこにあります。
少なくとも一時期住んでいた四半世紀ほど前のニューヨークでは新聞雑誌、TVの広告や百貨店の飾りつけを含めてそんな表現は見たことがなかったわけで、今年になって日本で流通業界が大々的に宣伝しているのを見ると、「恵方巻」以上の違和感を感じます。

で、おバカネタですが、写真は阪神電車のイオンの宣伝。パンダの文字を隠したセリフになっています。



これを「ニダ」と空目した人、かなり毒されていますよ(ぉぃ)





乗客は悪くない

2018-11-23 23:40:00 | ノンジャンル
JALが福岡行き最終便でオーバーブッキングの調整が出来ずに欠航するというまさかの事態を起こしました。
どうやら最終的には調整がついたようですが、時すでに遅し、福岡空港の門限が迫り、出発を断念したということです。

これだけでもグダグダなんですが、夜半に長時間の振替待ちとなり、翌朝は早朝にチェックインの仕切り直しと言われていながら地上係員がやってきたのが「締め切り」の直前と、もう最悪の状態です。
経営破綻以降の立て直しで、「殿様商売」が目に余るANAに比べてサービスが見違えるほど良くなったという評判が確立していただけに、せっかく積み上げてきたリカバリーを一気に吐き出す事態です。

オーバーブッキングの数字が26名。おそらく本来の見込み通りにキャンセルや予約変更に回った乗客もいるでしょうから、いったい何人超過していたのか気になるところです。しかもそれが最終便ですから、後送りできないというまさに「背水の陣」で何を根拠に予約を受けたのでしょうか。

確かにノーショーなどの減数はありますが、平日の最終便近辺での推移を伊丹便などで見てきた身としては、少なくともラス前となる前便の受付締め切りの時点である程度の絞り込みは可能です。(座席変更を目論んでもラス前が出たらもうあまり動かないが、それまでは結構動きがある)


(神戸空港にて。2008年12月撮影)

しかし今回はチェックインどころか搭乗まで開始して、しくじったわけです。変更を受け入れたフレックストラベラーもいますから、搭乗の段階で何人ダブったままだったのか。おそらく無理では、と思っていたのでしょうが、何とか機材変更を図る、あるいは臨時便を出す、さすがにそれは荒唐無稽なように見えるでしょうが、基幹拠点の羽田ですから可能性は追及できます。
それか満席同士ではあるでしょうが、ANAやSFJ、SKYの空席があれば押さえる。SFJの北九州便を押さえる。何が何でも帰らなきゃ、という乗客に北九州からのタクシーを付けて打診する。リードタイムがあれば取れる対応は増えますが、翌朝の対応も含めて地上側の鈍さ、緊張感のなさが最悪の結果を招いたのでしょう。

結局400人近くが会社都合の欠航となり、2万円のお詫び金を配らざるを得なくなったわけです。フレックストラベラーの規定通りの2万円にこだわったのも拙いやり方で、5万円、10万円と釣り上げなかったのはなぜなのか。800万円のお詫び金を配り、交通費を負担し、ケースによっては当夜から翌朝のスケジュール変更やキャンセルに伴うコストも負担することを考えたら、26名に10万円を払っても安かったのです。さすがに5万円、10万円なら心が動く人も多いでしょうから、あっけなく決着した可能性すらあります。

とにかくこんなザマになったのはなぜか。オーバーブッキングという慣行自体が問題なんですが、あれこれ理由をつけて肯定する、擁護する評論家やコメンテーターの多いこと。確かにノーショーや間際の変更も少なくなく、自分自身直前に変更をかけることがそこそこありましたし、「乗り遅れ」すらあります。(保安検査締切後ではあるが「出発前」だったので変更扱いで済んだが)

だからといってオーバーブッキングは肯定できるのか。あくまで「予測」「見込み」であり、重複分の人数が必ず来ない保証はありません。全員が搭乗希望になる可能性だってあるわけです。
ニュースショーのコメンテーターのなかには、「譲り合いの精神で」とか寝言をほざいていましたが、今回は総ての乗客に髪の毛一筋の落ち度もありません。乗る意思表示をして金まで払って「ダブりでした」は120%事業者の責任であり、譲り合いの精神がないとか言われる謂れは全くありません。だいたい、本来であれば航空会社が責任をもって調整しないといけないのに、「自発的に」客が申し出たという形態をとるというのも嫌らしい話であり、この手のコメンテーターには業界関係者もいましたが、ムラ社会の非常識を押し付けないでほしいものです。

輸送契約が成立して、一方当事者の都合で債務不履行が発生しているのです。不可抗力の域でもなく、事業者事由であっても故障などの偶発性でもなく、意図的なダブルブッキング、すなわち故意の行動の帰結です。いろんなところにちりばめられている免責を主張しても、おそらくその規定の適用は不当として賠償は認められるでしょう。というか、それくらいのリスクがあるよね、と縛らないとモラルハザードになります。

空席があるのに乗れない人がいるのは公共交通機関としていかがなものか、としたり顔でいうコメンテーターもいますが、新幹線は自由席もあるし立席が認められていますが、高速バスはオーバーブッキングをしているか、していませんよね。
だいたい、もともとキャンセル待ちの制度があるわけで、当日空港で申し出る以外にも、早い段階(変更等の発生が容易に見込まれる段階)ではキャンセル待ちでの予約を受けています。

少なくとも当日中の振替が効かない(最終)便では、オーバーブッキングを禁止する。その代わりキャンセル待ちの予約を今より多く受けて、入れ替えることで対応する。最終的には当日の空港カウンターでキャンセル待ちを受けて、空席ゼロで出す。それでいいはずです。(キャンセル待ちは保安検査締め切り時点で確定するので、搭乗口で待っているキャンセル待ちを通常のタイミングで搭乗させることに支障はない)いや、全便でこの対応でもいいはずです。それをしないのはなぜか。

さらに言うと、オーバーブッキングの問題は、定員以内で予約を取った人が、それ以上の過剰予約で予約できた人に劣後することです。
先に搭乗手続きをすれば乗れてしまう。欠航に至った事例はないといいますが、1名2名のレベルであれば、カウンターでお詫び金を積んで事なきを得たケースもあるでしょう。そしてその人は実は早期に予約していたかもしれないわけで、予約の順番ではなく手続の順番で乗れる乗れないが決まるとなると、果たして公平なのか。上級会員であっても乗れませんから。