2025年の万博が大阪に決まりました。55年ぶりの開催ということで盛り上がっている、という感じには見えなかった今日の大阪でしたが、正直言って手放しで喜ぶ気にはなれません。
五輪が都市のイベントであり、万博は国家のイベント、ということのようですが、逆じゃないの?というのが率直な感想であり、五輪招致は国を挙げて、という印象が強く、万博はまあ大阪には悪いですが、大阪が勝手に盛り上がっている、という印象でした。
まあ各方面から批判も出ていますが、批判に対して、せっかくのイベントを前向きにとらえないのは悲しいこと、とか、批判しているのは成長を否定する老害、という批判も目にします。
まあ老害と言われればそれまでなんでしょうが、1964年の東京五輪、1970年の大阪万博が持っていた国を挙げての熱気、これが今回は2020年東京五輪も含めて無い、というか、持ち得ないという現実を認識していないように見えます。
第二次大戦の壊滅的な敗戦からの復興。先進国とは到底言えない社会インフラに生活水準。1964年はもちろん、1970年ですらまだ「追いつけ追い越せ」の段階だったわけです。五輪も万博もそれこそ先進国が持ち回りで開催するイベントだったわけで、それを開催するにまで至ったという事実そのものが大切だったし、戦前の「五大国」がようやく再び肩を並べられるようになった、というプライドもまたあったわけです。
それから半世紀以上が経ち、今の日本が五輪や万博を開催する意義はどこにあるのか。国民の共通認識を欠いたまま開催される二つのイベントをどう評価するのか。楽しければ、盛り上がればいいじゃないか、という無責任な議論は無意味かつ有害です。
なによりも財政が苦しい中でそれだけの余裕があるのか。一時のお遊びに何千億、兆単位に迫るお金を支出する余裕があるのか。具体的な効果を示せないから、穴を掘って埋めるだけでも経済効果、と開き直る向きもあるようですが、本当に余裕がないのです。
上述の通り万博は国家のイベントとのことで、開催費用の2/3を国と大阪市が負担するようですが、東京のように自前自腹で開催するという建前だけでも示せていればまだしも、要は他人のふんどしです。宴の後に何が残るのか。これが戦前までの大阪であれば、商都の誇りをもって国の支援などいらぬと地元が金を集めたでしょうし、それが本来の大阪ですが、今やすっかりそのプライドもないようです。
知事や市長はあれこれ意義を述べていますが、今世紀に入ってからずっと繰り返されてきた「イベント欲しい欲しい病」でしょう。でないと五輪に万博、サミットと意義も意味合いも違うものをダボハゼのように喰いついて手を上げてくるはずがありません。
要はイベントを起爆剤に経済を盛り上げたい。それだけでしょう。企画力もないから既存の大型イベントを頼るしかないのです。
見え透いているのが破綻した臨海部開発の「一発逆転」狙いですが、じゃあ宴の後に東京の臨海副都心のように発展が持続するのか。
都市博というイベントを捨てて独自規格で育て上げた臨海副都心とは志も違います。臨海副都心のように湾岸道路という幹線交通軸がど真ん中を通っているわけでもなく、「跡地」をどうするのか。大阪という街の臨海部というロケーションに魅力があれば咲洲であれほど苦労はしていません。その下心が見え見えなのに、まさか「宴の後」に負のレガシーを残す気でしょうか。
いやいや、そんな前世紀の遺物のような発想は金輪際なく、というのでしょうが、東京五輪もそうですが、今ここで開催する意義を旧来型の経済効果以外に示したためしがないのも現実です。
こういう意見を老害と批判するその口で、ゆめ咲線、地下鉄中央線、京阪中之島線の延伸が、とか、リニアは間に合わないな、とか、まさに万博にかこつけた開発に目を輝かせているのを見ると、老害を笑えないとしか言いようがありません。
確かに経済効果は一時的には出ますが、度重なる自然災害の復興に東京五輪と、イベント以外のインフラ整備など公共事業に資機材や人件費の高騰どころか金を払っても手に入らない取り合いになる事態と今ですら弊害が目につくうえに、イベント後の冷え込みが懸念されているわけです。
大阪万博はそれを5年先送りする幾許かの効果はあるでしょうが、それは先食いに過ぎず、さらに谷は深くなります。
五輪が都市のイベントであり、万博は国家のイベント、ということのようですが、逆じゃないの?というのが率直な感想であり、五輪招致は国を挙げて、という印象が強く、万博はまあ大阪には悪いですが、大阪が勝手に盛り上がっている、という印象でした。
まあ各方面から批判も出ていますが、批判に対して、せっかくのイベントを前向きにとらえないのは悲しいこと、とか、批判しているのは成長を否定する老害、という批判も目にします。
まあ老害と言われればそれまでなんでしょうが、1964年の東京五輪、1970年の大阪万博が持っていた国を挙げての熱気、これが今回は2020年東京五輪も含めて無い、というか、持ち得ないという現実を認識していないように見えます。
第二次大戦の壊滅的な敗戦からの復興。先進国とは到底言えない社会インフラに生活水準。1964年はもちろん、1970年ですらまだ「追いつけ追い越せ」の段階だったわけです。五輪も万博もそれこそ先進国が持ち回りで開催するイベントだったわけで、それを開催するにまで至ったという事実そのものが大切だったし、戦前の「五大国」がようやく再び肩を並べられるようになった、というプライドもまたあったわけです。
それから半世紀以上が経ち、今の日本が五輪や万博を開催する意義はどこにあるのか。国民の共通認識を欠いたまま開催される二つのイベントをどう評価するのか。楽しければ、盛り上がればいいじゃないか、という無責任な議論は無意味かつ有害です。
なによりも財政が苦しい中でそれだけの余裕があるのか。一時のお遊びに何千億、兆単位に迫るお金を支出する余裕があるのか。具体的な効果を示せないから、穴を掘って埋めるだけでも経済効果、と開き直る向きもあるようですが、本当に余裕がないのです。
上述の通り万博は国家のイベントとのことで、開催費用の2/3を国と大阪市が負担するようですが、東京のように自前自腹で開催するという建前だけでも示せていればまだしも、要は他人のふんどしです。宴の後に何が残るのか。これが戦前までの大阪であれば、商都の誇りをもって国の支援などいらぬと地元が金を集めたでしょうし、それが本来の大阪ですが、今やすっかりそのプライドもないようです。
知事や市長はあれこれ意義を述べていますが、今世紀に入ってからずっと繰り返されてきた「イベント欲しい欲しい病」でしょう。でないと五輪に万博、サミットと意義も意味合いも違うものをダボハゼのように喰いついて手を上げてくるはずがありません。
要はイベントを起爆剤に経済を盛り上げたい。それだけでしょう。企画力もないから既存の大型イベントを頼るしかないのです。
見え透いているのが破綻した臨海部開発の「一発逆転」狙いですが、じゃあ宴の後に東京の臨海副都心のように発展が持続するのか。
都市博というイベントを捨てて独自規格で育て上げた臨海副都心とは志も違います。臨海副都心のように湾岸道路という幹線交通軸がど真ん中を通っているわけでもなく、「跡地」をどうするのか。大阪という街の臨海部というロケーションに魅力があれば咲洲であれほど苦労はしていません。その下心が見え見えなのに、まさか「宴の後」に負のレガシーを残す気でしょうか。
いやいや、そんな前世紀の遺物のような発想は金輪際なく、というのでしょうが、東京五輪もそうですが、今ここで開催する意義を旧来型の経済効果以外に示したためしがないのも現実です。
こういう意見を老害と批判するその口で、ゆめ咲線、地下鉄中央線、京阪中之島線の延伸が、とか、リニアは間に合わないな、とか、まさに万博にかこつけた開発に目を輝かせているのを見ると、老害を笑えないとしか言いようがありません。
確かに経済効果は一時的には出ますが、度重なる自然災害の復興に東京五輪と、イベント以外のインフラ整備など公共事業に資機材や人件費の高騰どころか金を払っても手に入らない取り合いになる事態と今ですら弊害が目につくうえに、イベント後の冷え込みが懸念されているわけです。
大阪万博はそれを5年先送りする幾許かの効果はあるでしょうが、それは先食いに過ぎず、さらに谷は深くなります。