Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

運輸業界としての相似形

2017-06-26 22:28:00 | 交通
NHKがアマゾンの1時間以内配達サービスのステマ記事を報じていたことを前に批判しましたが、アマゾンも中小の運送業者を上手にマッチングさせることで可能にする、ということで、ヤマトなど大手運送会社を疲弊させているのに、という批判に配慮していたわけです。

ヤマトの対応も個人客にしわ寄せ、という懸念がありましたが、少しは配慮したようで、アマゾンが個人事業主の運送業者を囲い込むというニュースが出たあたり、ヤマトとの交渉でそれなりの負担増を強いられたのでしょう。

しかしこの個人事業主の囲い込み、どこからツッコめばいいのか、というくらい問題山積です。
前にも書きましたが、適正なコストを支払うのであれば大手が雇用を拡大して対応するわけです。それが出来ないくらいのコストで運んでもらおうとしているに過ぎません。契約相手は個人事業主ですから、アマゾンは「超」優越的地位にあるわけです。しかし下請法の適用は確かないはずで(運送業者による下請け業者の起用は適用)、うまく法の穴をすり抜けています。

この構図、どこかで見たことがあるわけで、旅行業者による中小バス会社の「買い叩き」と同じ構造でしょう。
過剰競争で仕事が欲しい業者を事実上買い叩く。運送業者も仕事が無ければ干上がるだけですし、固定費をなんとか回収したいですから、無理をしても受けるのは必定です。

バス業界で何が起きたかは先刻ご承知の話ですが、運送業界でも流通という優越的地位にある業者が生殺与奪の権を握ってしまうことで、同じような問題が周回遅れで発生する危険性があります。
その意味でも所管の国交省は、事故やトラブルを未然に防ぐためにも、今回のスキームに乗る業者を注視する必要があります。


故意の違反こそが問題

2017-06-26 22:04:00 | 交通
「クルマは走る凶器」と言われて久しいですが、このステレオタイプの批判が交通事故の実態を大きく歪めています。

確かに運動エネルギーは質量と速さの二乗に比例するため、重くて速度が出るクルマは(さらにいえば大型車は)いったん事故を起こせば重大な結果を招きます。
だからクルマは規制すべき、というのはどうなのか。交通事故はなぜ起きるのか、そこを考えた時、問題はそんなに単純ではありません。

総てのプレイヤーがルールを順守していれば事故は起きない建前です。しかし事故が起きる。それはなぜかと考えれば、ルールが守られていないからです。その原因を考えると、まず「故意」と「過失」に二分されます。

ではクルマで事故を起こしたときはどちらになるのか。交通事故のニュースでは、運転者が「業務上過失致死/傷害」で逮捕、とよく出てくるように「過失」になります。もちろん運転という国家資格取得者にはより重い注意義務を課すため、「業務上過失」となりますが、あくまで「過失」です。

もちろんそれは直接的な原因であり、通常の運転が出来なかった原因においては「故意」であることもしばしばです。例えば「速度超過」なんかはどう見ても故意ですが、一方でそれによって交通における信頼の原則を毀損するような事態には直接至りません。忌むべき行動である「飲酒運転」にしても、それが即座に事故につながらないから「少しくらいなら」という馬鹿者が後を絶たないわけです。

ところが同じ道路交通において、明らかに故意による違反行為が横行しています。しかも信頼の原則を大きく毀損する行為であり、直接的に事故を誘発するものです。
それはいうまでもなく自転車や歩行者による違反行為です。信号無視、横断が禁止されている場所での横断、無灯火、無合図など数限りなくあるとも言っていいでしょう。

信号機により交通が整理されている、規制されているはずなのに「あり得ない方向から」飛び出してくる。これは直接的に事故を誘発する行為であり、しかもそれは「うっかり」ではなく明らかに「故意」なのです。

「犯罪」を考えるにあたり、本来クルマの「違反」と自転車や歩行者の「違反」はその質が全然違います。
同じ信号無視にしても、「見落としていました」「(変わり際で)行けると思ってました」というのがクルマですが、自転車や歩行者は見ないで飛び出すことはさすがに無く、「行ける」と確認している、つまり、赤信号や規制を認識して違反している「故意」なのです。

また、歩道があるのに車道を歩く、これもよく見る光景ですが、これも違反です。面唐ュさいから、というのが本音でしょうが、それで違法性は阻却されません。

自転車や歩行者がやっている「違反」をクルマに擬えれば、赤信号で止まっていたクルマが、誰も通らないからと赤なのに発進していくとか、一方通行を逆走するとか、歩道に乗り上げて走り出すとか、まあたまに見ることがあるかもしれませんが、なかなか見ることが無いケースです。しかし自転車や歩行者はそれが日常茶飯事です。道路交通でクルマがそんなことをしていたら命がいくらあっても足りないくらいで、そうであればまさに「走る凶器」と言って差し支えないでしょう。

自転車や歩行者とクルマの交通事故はなぜ起きたか、と考えると、そこに相当数の自転車、歩行者の違反行為があると推定できます。言い換えれば、交通事故を減らす、特に人身事故を減らすには、実は自転車や歩行者に対する規制強化のほうが効果的です。すなわち、啓蒙活動をいくらやっても、「違反のやり得」(クルマが罪を被るので遠慮してくれる)ということが広く知れ渡っていることが、違反行為に対するハードルを無にしています。「過失」を減らすより、まず「故意」を減らす。そして「故意」はどのプレイヤーがやっているのか。常識で考えればわかる話です。

ではどうやって規制を強化するのか。自転車や歩行者には免許が無いので、免許証制度に立脚した反則金制度が使えません。マイナンバーカードの携帯を義務付ければ対応可能ですが、それは議論にもなっていません。
道交法上は罰則があるけど、罰金刑(ただし前科にならない)と重いので反則金制度を導入した経緯があるので、自転車や歩行者も同種の救済が必要です。

これについては自治体が条例で実施している路上喫煙の反則金制度を参考にして、一定の金額をその場で徴収するという対応が現実的でしょう。納付できない場合は交番にご足労頂いて後日の支払いを約させる。それくらいすれば抑止力になるでしょう。

それよりも効果的なのは、違反行為が原因で事故になった場合、相手側に100%の免責を与えるのです。
歩行者相手ならクルマは責任を免れないから何をやっても大丈夫、という感情が実際にあるわけです。それが違反行為で事故ったら犬死、となれば、違反行為に踏み出す足も止まるでしょう。

こうした「実態」に即した原因潰しをしないで、クルマの存在がケシカラン、というイデオロギー的な主張で交通を語っても説得力のかけらもありません。公共交通にシフトすれば交通事故が減る、というロジックも、以前指摘した右左折時一旦停止のような過剰な対応で自衛しているだけであり、自転車や歩行者の違反行為というリスク因子が減らなければ意味がないのです。