Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

死を賭して逃げざるを得ない痴漢冤罪の闇

2017-06-05 22:37:00 | 交通
NHKの21時のニュースで、今日から始まった痴漢撲滅キャンペーンの宣伝と、線路内逃走への批判記事が放送されました。
線路内逃走については、男性が痴漢冤罪を理由に理解を示す半面、女性はやってないなら正々堂々して、と反対の声を紹介し、キャスターも逃走するのは悪い、というスタンスでした。

弁護士も出てきましたが、そもそも被疑者になったら聞く耳持たない、という扱いになることが無視されているばかりか、疑われたら弁護士を呼んでとか、実態を無視し、誰もが弁護士を知っているわけでもないのに、しかもよく考えたら自分たちの商売になるような提言です。痴漢冤罪保険も紹介されていましたが、そもそも「被害者」の一方的な主張を元に証拠もないのに検挙するという痴漢冤罪特有の問題点を弁護士が指摘しないことに問題があるわけで、そういう根本から異を唱えれば、保険も不要です。その意味では、今のおかしな状態が飯のタネになる層によるパブリシティ記事と言えます。

痴漢冤罪は先日も総武線平井駅で明らかに痴漢冤罪としか思えないような事件が発生していますが、警察は周囲の証言を無視して「被疑者」を連行しました。
証言があっても聞く耳持たない、証言もない一方当事者である「被害者」のみの主張を優先するという体制では、弁護士とかが能天気に身の潔白を主張して、なんて綺麗事もむなしく響くわけです。

現状はあたかもゲシュタモ祠GBに捕まるようなもので、真実など関係なく、目をつけられた、捕まったら身の破滅、おしまいなのです。そりゃ線路に逃走するのも、正直言って「当然」であり、この「官営美人局」状態を抜本的に改めない限り、線路内逃走はなくならないでしょう。

そして能天気に、いや、為にする意図でキャンペーンや周辺産業のパブリシティを垂れ流すメディアも同罪でしょうね。









思考停止的解決法の蔓延

2017-06-05 22:33:00 | 交通
東急バスが道路から唐黷アんできた人と接触してそのまま走り去ったという「ひき逃げ」事件が報じられています。
運転手は気が付かなかったと主張していますが、ドライブレコーダーには映っているので、事実なんでしょうが、左後部側面への接触となると常に見ておけと言うのも難しい位置であり、何とも評価が難しい事故です。

とはいえ大型車両の左側というのは死角と言うか鬼門であり、巻き込み事故も多発しています。
死角をなくす工夫も採られていますが、並行して動いている歩行者や自転車が相手となると完璧を期すのは難しいようです。

とはいえ見えなかった、分からなかったでは済まされない現実があるわけで、バスやトラックなどの業界では「自主ルール」として、左折時に一旦停止をするケースが増えています。

従来から一部事業者では徹底してきたこの「自主ルール」、広まるきっかけになったのはおそらく2007年9月に発生した神姫バスの死亡事故でしょう。中1日で2件連発という信じられない事態には当時驚くというより呆れたのですが、その再発防止策として、左折時は一旦停止、右折時は止まるつもりで最徐行、となったわけです。

この取り組みが徹底するにつれて、全国規模で発生しているのは何か。左折巻き込み事故の減少でしょうか。
いや、渋滞の多発であり、追突リスクの増加です。
左折巻き込み事故が年間何件発生しているのか、という観点で見れば、一旦停止は左折の数だけ発生するため、一体いくつ桁が違うのか、という話になります。それでも人命には代えられないのでしょうが、左折時の一旦停止は同時に別のリスクを招くことが無視されています。

確かに安全という面ではリスクを確実に低減していますが、「ヒヤリハット」も含めて左折巻き込みは何件発生しているのか。そして一旦停止以外の対応では防止できないのか。
何よりも問題なのは、道交法で規定していない「自主ルール」であり、しかもそれは道交法で容認されている走行の「逆」であることです。

交通は青信号で進むように設計されています。言い換えれば、青信号で止まることは、信頼の原則を損なう危険な行為です。
右左折時は直進する交通や歩行者の妨害をしてはいけないので、その場合は停止することは当然ですが、何もないのに一旦停止する、というのはどうなのか。

後続車から見たら、何ら危険もないのに青信号で止まる。横断歩行者の存在を想定するよりも理不尽な事態ですし、追突のリスクが非常に高まります。
じゃあ左折表示を出したクルマがいたら停止することを想定すべし、となると、それこそ横断歩行者の保護と同様、交差点手前では常に一旦停止にでもすれば満足か?という話です。

実も蓋もない言い方をすれば、恐ろしくレベルの低い運転手への対策が、教育等では対応しきれず、道路交通全体に影響を与える形で実施されたわけです。法令との整合性やその影響を無視したに等しい対策ですが、事業者にとっては背に腹は代えられないわけです。

この対策、もう一つ問題があります。一旦停止するとはいえ、それが形式的になっている面が否めないわけで、一旦停止して動き出したら歩行者や自転車を認めて急停止、というケースが意外とあります。これは車内転梼膜フの原因になりますし、巻き込み事故そのものにもつながります。

あるいは歩行者や自転車が、バスなどの左折後に通過しようとしたらバスが止まった、ならば進もう、という意識が発生して上記のような状態になったり、お互いが譲ってお見合い状態になったり、動きが止まるケース。後者は交差点で進まなくなるので決定的な交通の阻害になります。

安全に名を借りた「渋滞製造」が現実に全国で発生しているわけです。左折するバスなどが延々と歩行者や自転車を待ち(通れるタイミングでも進みませんよね)、歩行者信号が赤になってようやく通過して、その時には既に赤信号、と右折車線のない交差点での右折待ちと同等の効果を発揮しているのです。

バスがまず定刻に来ないのも、こうした運転手法の変化が一因となっていることは想像に難くないわけで、渋滞もないのに5分、10分と遅れるバスに、車内で、バス停でイライラするのももはや日常茶飯事です。
ダイヤは現実に合わせればいいのですが、その見直し分が「自主ルール」の弊害、利用者の損害そのものなのです。

いや、安全はすべてに優先する、としたり顔でご高説を垂れ流す人も湧いてくるのでしょうが、動く物に起因するリスクを根本から除去するには「止める」しかないのです。動かさなければリスクは無い。そりゃそうですが、動かして意味があるものを止めてどうするという話です。動かす前提でリスクをどう低減するのか。いまのやり方は、その命題から逃げているに過ぎません。