Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「日本人」でいいじゃないか

2016-01-25 23:01:00 | ノンジャンル
さて、琴奨菊の優勝に際し、「日本出身力士」という奥歯に物が挟まったような表現が横行しています。
日本国籍を取得している旭天鵬が優勝しているため、「日本人」の優勝としてカウントすべきというクレームがでたからなんでしょうが、あまりにも形式主義と言うか、「日本人」というと「ナショナリズム」云々にくわえ、国籍という形式で揚げ足を取る気満々のクレームにおびえたというか、そもそもメディアがクレームをつけそうな勢力のシンパというオチもあるためか、一種のャ潟eィカルコレクトネスとしてこういう妙な表現が出回っています。

ボクシングの「日本のジム所属」も微妙な表現ですが、これもャ潟eィカルコレクトネスの世界であり、「特別永住者」などの扱いを考慮したものですが、カテゴライズをそうしたために、日本のジムに外国出身ボクサーを所属させたケースも含まれることになり、違和感を覚える人も少なくありません。

要は「日本人」をどう捉えるのかですが、国籍という形式的基準ではなく、出身も考慮した「一般的な」認識にあわせればいい話です。
逆に出身は日本でも、国籍を離脱しているケースをどうするか。ノーベル賞受賞者に対しては明らかに「日本人」としているわけで、日本出身で米国籍は「日本人」として、外国出身で日本国籍も「日本人」は基準が一定でないですね。

ドナルド・キーンの名著に「私が日本人になった理由」があるじゃないか、と言われそうですが、世界基準で言えば「アメリカ系(欧米系)日本人」でしょう。米国でも統計上は出身で細かくカテゴライズしてるわけで、逆に「米国人」というカテゴリーはそれこそ戦時とか「国家」を強く意識する時や、政治や社会保障に関する場合を除けばそこまで意識されず、意識するのは「中国系」「イタリア系」といった出身です。

じゃあ「日本出身」でいいじゃないか、という批判が出てくるでしょうが、言い換えである「アフリカ系米国人」「ネイティブアメリカン」と言ったャ潟eィカルコレクトネス絡みを除けば、「系」は「人」と概ね扱われるわけですが、中国籍を持っていないのにチャイニーズはおかしい、という人はいるでしょうか。

そう考えると、「日本人」ということに何か不都合があるのか。「日本出身の日本系」を日本人と呼ぶことに遠慮をするほうがおかしいわけで、「広義」「狭義」とか、「法律上」といった状況でカテゴライズが変わるものだ、と柔軟にとりたいものです。


初場所が終わり

2016-01-25 23:00:00 | ノンジャンル
初場所が終わりました。
日本出身の力士としては栃東以来10年ぶりとなる琴奨菊の優勝となりましたが、琴欧州と把瑠都も優勝していたんですね。モンゴル勢が全部だと勘違いしていました。
今場所の琴奨菊は見違えるような取り口でしたが、押し相撲(厳密にはがぶり寄りですから四つ相撲ですが、出足一気の馬力相撲なんで押し相撲に近いでしょう)特有の「波に乗る」感が今場所は特に強かったですね。
往年の琴風や荒勢ほどの「型」はないですが、いかにも「お相撲さん」らしい取り口の快進撃は見応えがありました。

琴奨菊に完敗した3横綱ですが、特に白鵬の相撲ぶりがおかしかったですね。14日目の稀勢の里戦がその典型ですが、あれは痛くもない腹を探られてもおかしくないでしょう。栃煌山戦で先場所の猫だましに続いての注文相撲は大ブーイングでしたが、あんな「余裕」をかましたような注文をする反面、終盤の気合のなさは遺憾です。ただ14日目は控えに入るタイミングが非常に遅く(中継でも言及あり)、痛めている肘になにかあったのかもしれません。

ちなみに琴奨菊は豊ノ島の取ったりを喰ったのが唯一の黒星になりましたが、下位の奇襲なんですよ。あるいは小兵の業師。決して体格に恵まれた「大横綱」が多用するものではありません。

大関陣は豪栄道が大敗で来場所カド番。稀勢の里もクンロク。三役陣も嘉風がようやく勝ち越しただけ。平幕を見ても目立つのはそれこそ最後まで優勝を争った豊ノ島くらいでしょう、活躍が目立ったのは。そういう意味では面白味に欠けた印象です。
ちなみに注目していた勢ですが、初めて横綱を喰いましたし、白鵬戦もいい感じだっただけに、星は大きく負け越しましたが成長は見えました。あとは正代でしょうか。来場所中位から上位に当たる位置でどうなるか。

さて、今場所というか、かねてからの持論ですが、公傷制度を復活すべきでしょう。メディアも指摘していますが、遠藤が怪我を庇いながらの相撲も限界で休場し、十両陥落が確実になったこと。他のスメ[ツ、特に格闘技で怪我に対して救済もなく無理を押して出場することを事実上強いられる競技は無いわけで、中途半端な相撲で負け越しを少しでも少なくするというセコい相撲にならざるを得ないのでは、プロスメ[ツとして観客に対しても失礼でしょう。

休場といえば今場所はインフルエンザで行司や審判までが「休場」しましたが、不戦敗と合わせて2日や3日で再出場しているのはどうか。
学校だとそれ以上の登校停止になるわけで、「感染源」になっている可能性もありますし、なによりも観客への感染リスクも指摘できます。
公傷とあわせて、傷病休場の基準を設けて、プロとして見せるに足る状態を確保すべきでしょう。

あと、今場所指摘したいのは審判の質の低下、いや、劣化でしょう。
差し違えが続出したのですが、その審判団の判定に批判が集中しており、審判部は「流れは」と強弁していますが、ならばビデオは要らないでしょう。ビデオ判定が導入されるきっかけとなった大鵬ー戸田戦の「世紀の誤審」に対する世間の批判に対し、時の理事長が「ビデオなんて当てにならん」と言い放ったそうですが、今場所の対応はそれに近いものがあるわけで、14日目も中継のアナも解説者もあからさまには言いませんでしたが、審判がおかしいと言いたそうな口調になるシーンがありました。

完璧を期すのもいいですが、確認目的で物言いをつけることでその都度進行が止まるのもいかがなものか。しかも手を挙げるタイミングが遅く、勝ち名乗りを上げかけて慌てて手を挙げるケースが目立ちました。特に初日の天覧相撲でそれが連発したのは不細工の極みであり、これが相撲通の昭和天皇なら「ひとこと」あったかもしれないような事態です。