Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「当たり前」は付加価値ではない

2016-01-23 19:23:00 | 交通
モーニングウィング、朝のTJライナーと相次いで登場してくることで、メディアが「有料着席サービス」マンセー記事を垂れ流しています。今日の東京朝日夕刊がまさにそうでしたが、確かに需要はあるし、自分自身総武快速線のグリーン車をちょこちょこ使っていますが、それでも「有料着席サービス」を全面的に是とすることには違和感を覚えます。

着席を「サービス」と考えること自体がずれているわけで、当たり前の状態をサービス、あまつさえ「付加価値」というのが公共交通であれば、それを使うことを「強制」するモビリティマネジメントなんかは、いわゆる「社畜」よりもマゾヒスティックな対応を強いるわけで、「当たり前の状態」が提供できていない状態に対して異を唱えていかないと、世の中は良くなりません。

かつての「アクティ」、今の京急A快特のように、ラッシュ時の有料車両を日中は一般列車として提供するのであればまだ許容範囲ですが、専用車両という位置づけになると、日中遊ばせるわけにはいかない、ということで、本来可能なはずの座席提供を絞り、有料サービスへの誘導を図っているとしか思えない状況が実際に起きているだけに、パブリシティ記事のマークを付けるべきと言えるマンセー記事の行き着く先は、「座りたかったら別料金」という世界でしょう。実際、最近の通勤型はバリアフリー対応を錦の御旗に立席スペースを大幅に増やしたり、優先座席を増やしていますから、一般の座席提供数は相当減っています。

「当たり前の状態」が「サービス」になってしまうのは、独占状態だから、というのは自明の話です。競合が常にある飲食店で、「箸や食器を別売りにすれば儲かる!」という発想をする間抜けがいないのも、競争原理の下ではそういう客から搾り取るという発想は不可能だからです。あるいはLCCのように必ず発生する代金支払いに手数料を取るというのも「当たり前」に金をとる発想ですが、こちらは「本体」をそれ以上に勉強しているわけです。

こういう記事には、成熟化して乗客が増えない鉄道会社は料金収入に頼るしかない、というコメントをもっともらしく述べる「専門家」が湧いてきますが、こういうときだけ「民間企業」「営利企業」の論理を振りかざして「当たり前」に「追加」を払うことを正当化していますが、そういう「専門家」は往々にして「公共交通は公共の補助がないと無理」とか、公共性を前面に出して公的支援を正当化しているわけで、常に事業者目線で立場や論拠を使い分けているわけです。

まず一般車両の混雑緩和を図る。そこで事業者の手に負えない部分は「公共交通の輸送改善」として公費を積極的に投入する。事業者と公共はまずその「王道」を進まないといけません。時世時節に応じてあるべきサービスは向上、進化するわけで、それに応じて負担増をお願いすることは否定してはいけませんし、新規需要が見込めないからと向上、進化を止めることは許されません。それができるのは独占状態だからであり、向上や進化は本来自由競争が原則なのに独占が認められることの対価として事業者が負担すべき部分です。
その意味で、安い運賃を守るために、という理由で3/4の減車というサービスの切り詰めを行った新京成は、安かろう悪かろうに安住することを良しとしない利用者からは非常に評判が悪いのです。

公費の投入としても、通勤ラッシュの改善というのは最大多数の最大幸福になる費用対効果の高い事業です。
「あるべき姿」「最小限の水準」が充足できていない状態の改善です。マイナスからのスタートです。それを考えると、「交通の維持」と言いながら、バスでも可能な対応に対して過剰な軌道系交通を導入することに公費を投入するのであれば、限られた財源をどう配付すべきなのか、という議論も可能でしょう。社会派諸氏の中では、公費を投入して(過剰な)軌道系交通を推進することと、(あるべき姿のはずの)着席サービスを付加価値とすることは両立するようですが。

あらゆる分野で、過去よりも高性能なものが提供されており、かつ物価指数等を考えたら消費者の負担は悪化していない。というのが世間の常識でしょう。然るに独占状態を約束されている公共交通においては、そうした既存マーケットに対する「改善」が何故止まるのか。公共とともに汗をかき、利用者も「付加価値」ではなく全体の底上げとしてのコストアップを理解する。あるべき姿に対して「いびつ」であり「異常」なのが足下の流れである、ということを考えていかないと、公共交通はますます「悪かろう」の暗黒面に堕ちていきます。


関西私鉄のダイヤ改正

2016-01-23 15:19:00 | 交通
関西私鉄各社のダイヤ改正がJRに先立ち3月19日に行われます。
ざっと見たところ、まず言えるのは輸送規模の適正化、という色彩が濃いです。増解結の中止に代表される列車編成の短縮、種別の単純化による通過駅をフォローする列車キロの削減、という内容が目に付きます。

神戸周辺も大きく動き、阪急神戸線、阪神、山陽が変わります。ちなみに新開地での接続が命綱の神鉄は改正をアナウンスしていませんが、接続を取るための微修正で終わるのでしょうか。神鉄は経営そのものが予断を許さない状況だけに、このタイミングで目立った対策を打つことが出来ないところまで疲弊しているのか、気になるところです。

阪急は通特と通急の増解結中止。このあおりで通特は神戸三宮折り返しになり、新開地は通急がカバーしますが、山陽電車からの流動で見れば、これまで乗り換え無しの直特に対し、新開地の対面接続で阪急特急、ということで乗り換えのハンデを最小限に留めていたのが崩れます。
阪急方面なら新開地での着席と言う売りもあっただけに、山陽方面との流動を諦めたのか、あるいは競合ではなく棲み分けが確立していると言う見方でしょうか。


(先代の区特。末期の停車駅は青木、芦屋、香櫨園、甲子園)

阪神は区特の御影始発化。魚崎、尼崎にも停車と言うことで、住吉、西宮、久寿川以外の各駅に停車して甲子園から尼崎、野田停車というのは私が神戸にいた頃の準急並みです。


(ゼロ年代中盤までいわゆるR車による準急がありました)

JRの摩耶駅を意識しているのがありありですが、狭い御影のホームに始発狙いの行列というのはどうなんでしょうか。まあかつての急行は東須磨からやってきていながら、青木で区特、直特退避ということもあり青木で楽に座れており、それを考えると今とあまり変わらないかも。


(かつてあった御影行き急行)

深夜の特急や急行の運転区間延長、最終御影行き特急の急行化は地味にありがたいサービスに見えますが、西宮までの救済にすぎません。この時間帯の緩急接続は尼崎なので効果が低い半面、芦屋以西にとっては時間がかかるだけです。今回設定の急行御影行きは西宮以西は特急と同じ停車駅と言うことで、臨急の停車駅が正式に急行停車駅として確定したようで、青木の急行停車復活の目はこれで完全に消えました。


(天理行き臨時快急。幕は「快速急行」のみ。行先は副標)

なんば線直通の拡充も目を惹きますが、大阪難波や尼崎以東の区準や普通のスジとつなげた格好で、いわば「化け」が発生しました。


(駅の案内も快速急行難波行き)

今でも月1回、天理教の月次祭で運転される臨時快急は、阪神線内では「快急難波行き」と表示され、補助標識、車内放送等で大阪難波から急行天理行きになることが示されていますので、今回の「快急」も尼崎行き、難波行きで案内され、種別変更となる駅で最終の種別、目的地が示されるものと思います。


(スクロールで「この臨時快速急行は難波から天理行き臨時急行に...」)

山電は黄色直特が再び東須磨、須磨寺を通過します。須磨区エリアで毎時6本、という公約を変形させて実現させるための奇策でもあった黄色直特の神戸三宮${磨間各駅ですが、さすがにイメージが悪かったのでしょう。特に夕方の退勤時間帯直前に赤直特が5連続した後に黄色直特が2連続する時間帯は東播地区の事業所帰りにちょうどいい時間帯とあってよく嵌っており、神戸三宮で降りるだけに須磨から「普通」は気が滅入りました。


(「各駅」と言われると)


それでも西元町、大開、西代は停車のままというのは神戸高速(神戸市)への配慮でしょうか。毎時6本と言っても須磨浦公園特急(須磨から普通に接続)と普通で15分ヘッド、毎時2回だけその合間に黄色直特といういびつな間隔だったので、15分待ちに統一してしまったようです。


(当初の黄色直特は追加2駅を列挙)

あとは朝ラッシュ時の追い越しパターンの変更。日中同様明石退避を止めて霞ヶ丘退避に。ただしこれまで藤江でS特、明石で直特、須磨でS特と直特ダブル退避だったのが、藤江、霞ヶ丘、須磨でそれぞれS特、直特のダブル退避となっており、東二見から須磨までの間で普通の所要時間が実に1サイクル分(13分)伸びました。阪神では逆に普通のスジを立てて1サイクル分短縮した改正もあっただけに、直特のスジを立てるためとはいえ、思い切った変更です。実数としては僅少でしょうが、人丸前~西舞子から東垂水、塩屋、須磨浦公園に行く人はまさかの13分増です。