21年目の1月17日が暮れていきました。
20年目の節目を過ぎたこともあり、静かな「1.17」でしたが、20年目で「一区切り」となりがちなことへの警鐘を意図したかのような報道などもまた目についたわけで、そうであれば今後も22年目、23年目と目配りを忘れないでほしいものです。
首都圏では5時46分にTVで放送したのは今年もNHKのみ。それも極小化している感じで、黙祷が終わり、コメントを少し流した5時50分にエンドマークです。黙祷の時間も、昨年同様東遊園地の中継から北淡の集会にスイッチ。それぞれの場所でそれぞれの行事をしているは当然ですが、黙祷を中座する格好の中継はどうなんでしょう。
ちょっと気になったのは、これまで5時46分の時報とともに「黙祷」の鰍ッ声が流れますが、確か以前はちょっと長く尾を引いた独特の節回しだったのに、今年は短く「黙祷っ」と入ったこと。あの節回しが特別な1分間に入る「儀式」でしたが、今年はちょっとその心構えを欠いた状態で黙祷に入りました。
上でこれからも忘れないでほしい、と言いましたが、もちろん本欄も来年もまたその先もこの日を忘れず、そして想いを馳せる日としていきます。
20年目の節目を過ぎたこともあり、静かな「1.17」でしたが、20年目で「一区切り」となりがちなことへの警鐘を意図したかのような報道などもまた目についたわけで、そうであれば今後も22年目、23年目と目配りを忘れないでほしいものです。
首都圏では5時46分にTVで放送したのは今年もNHKのみ。それも極小化している感じで、黙祷が終わり、コメントを少し流した5時50分にエンドマークです。黙祷の時間も、昨年同様東遊園地の中継から北淡の集会にスイッチ。それぞれの場所でそれぞれの行事をしているは当然ですが、黙祷を中座する格好の中継はどうなんでしょう。
ちょっと気になったのは、これまで5時46分の時報とともに「黙祷」の鰍ッ声が流れますが、確か以前はちょっと長く尾を引いた独特の節回しだったのに、今年は短く「黙祷っ」と入ったこと。あの節回しが特別な1分間に入る「儀式」でしたが、今年はちょっとその心構えを欠いた状態で黙祷に入りました。
上でこれからも忘れないでほしい、と言いましたが、もちろん本欄も来年もまたその先もこの日を忘れず、そして想いを馳せる日としていきます。