Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「書聖」を見る

2013-02-24 23:04:00 | ノンジャンル
上野の国立博物館で開催中の「書聖 王羲之展」に行ってきました。
上野の山でも一番奥にあり、こういう時こそ博物館動物園駅が残っていれば、という位置関係でした。

中国の書家の中でも別格とも言える「書聖」の名を持つ王羲之は魏晋南北朝時代、東晋の人です。
私もそうだったのですが、高校あたりで書道を選択すると王羲之の蘭亭序とか、初唐の三大家の作品を臨書したことで馴染みのある書です。


(平成館入口。看板の書は左が行穣帖、右が蘭亭序)

解説を見て驚いたのが、後に唐の太宗(李世民)が王羲之の書をいたく気に入り、初唐の三大家と呼ばれる欧陽詢、虞世南、褚遂良に王羲之の模写をさせたということ。なんとも贅沢なやり方であり、今風に言えば、大家の歌を当代に人気実力兼ね備えた歌手がカバーする感じでしょうか。
模写と言うことでは、日本の三蹟、藤原行成の模写もありました。(ただし真筆とは断定できておらず、「伝藤原行成」だが)

で、太宗は王羲之の真筆を陵墓に副葬品として入れてしまい、そうしたこともあって真筆が残っていないということも価値を高めているのですが、拓本や模写ですら非常な価値を持ち、歴代の皇帝が手元に納めたわけで、行穣帖なんかは模写が2行15文字しかないのに、長々と跋文が付き、乾隆御覧之寶、乾隆鑑賞、太上皇帝之寶と乾隆帝の鑑賞印がべたべたと。まあ一般人が押したら台無しになるような鑑賞印ですが、乾隆帝ともなるとそれが宝物という裏書きになるわけです。

一方で初公開と銘打った大報帖なんかはこうした鑑賞印が一切押されていないわけで、どうやって歴代皇帝の目を逃れたのか気になります。

久々に文化に浸ったのですが、人気の展覧会だけあって混み合っていたのには辟易です。
こうした展覧会では解説が流れるイヤホンがレンタルされるのが通例ですが、それに聞き入って解説が終わるまで展示物の前を立ち去らない人が大半なので最悪です。

絵画と違い書ですから、壁に掲げるわけにも行かず、ガラスケースに平置きされるのを見る格好で、立ち止まられると全く見えないのです。
これがマニアックな鑑賞者ばかりならまだしも、「昔の人はすごいねぇ」と言うようなレベルのミーハーにも及ばないレベルの中高年が大半ですから、筆致や鑑賞印を含めて見たいのに邪魔の極みです。

「よく分かっていない」と言うのが露骨に出るのが、解説がある場所しか溜まっていないうえに、王羲之を理解するために、と設けられた、魏晋南北朝以前の書の解説に、イヤホン解説があるので溜まっていたり、王羲之以降に王羲之の書法がどう伝わったのか、というコーナーに王羲之でないから関係ないと人がまばらだったりするわけです。
特に後者は初唐の三大家の代表作の拓本が並んでいたりするわけで、もったいない話です。

解説イヤホンも重宝しますが、動きが止まり、係員が動くように促したり、追い越して好きなところから見て下さいと案内するのでは、イヤホンが元凶と言えます。
イヤホン組の鑑賞ラインを下げるとか、解説時間を短くするとか(今回はNHKアナの朗読付と謳っており、それも一因でしょう)、イヤホンを残すならそれなりの対応が必要です。




圏央道への名称変更

2013-02-24 03:09:00 | 交通
今春、首都圏のいわゆる「三環状」のうち圏央道が大きく動きます。

東名の海老名JCTから海老名ICまでのわずかな開通だった神奈川県内区間において、新湘南バイパスの茅ヶ崎JCTから寒川北ICまでの5.1kmが4月14日に、また海老名ICから相模原愛川ICまでの10.1kmが年度内ギリギリの3月30日にそれぞれ開通し、一気に形が見えてきました。


(海老名IC・2010年4月)

さらに千葉県内においても、東金JCTから木更津東ICまでの42.9kmが4月27日に一気に開通し、東京都(多摩)、埼玉、茨城県内に偏った感のあった整備状況が、一気に「環状」の度合いを進めた格好です。


(高尾山IC・都内の整備は距離が短いこともありあと少し)

この新規開通区間に加えて、「圏央道」として16.1kmが追加されます。
4月27日の千葉県内区間の開通に合わせ、東金JCTで接続する千葉東金道路の二期区間である東金JCT¥シ尾横芝IC間が圏央道に名称変更されるのです。


(「千葉東金道路」でIC番号が8番だった松尾横芝IC・2007年12月)

もともとこの区間、1998年に開通した時点で圏央道を名乗るべき区間でした。まだ「圏央道」がなかった時代ならまだしも、既に青梅IC£゚ヶ島JCTまでの区間が開通しており、その後の五月雨式の開通を考えたら、別に千葉県内に開通区間があってもおかしくなかったのです。

このあたりは償還期限が迫り、黒字で期間を延長する理由もなかった京葉道路、千葉東金道路という「収益源」を確保するため、いわゆる「千葉プール」を拡大して償還期限を延長する目的が見え見えで、その後アクアラインを千葉プールに連結することで「盤石」になり、民営化でNEXCO東日本全体のプールになったという流れになり、今回晴れて圏央道になった模様です。


(ICに掲出されている番号はまだ「8番」の松尾横芝IC)

まあこういう「大人の事情」はさておき、高速道路(と連続する有料道路)でまとまった規模での名称変更と言うのは珍しいケースです。

分岐側に1区間だけ伸びた際に本線側の枝線扱いにして、延伸時にJCTからの全体に新しい路線名をつけて改称するケースはありますし(長野道岡谷IC、上信越道藤岡IC、紀勢道勢和多気IC、岡山道岡山総社IC)、一般有料道路が高速道路のネットワークに組み込まれて改称されるケースもありますが(老ノ坂亀岡道路→京都縦貫道、笹谷トンネル→山形道、海南湯浅道路(海南IC°g備IC)→阪和道)、複数区間がまとまって改称となるとこれは珍しいです。


(北陸道から日本海東北道に改称された区間・2010年11月)

記憶にあるのは、延長に伴う改称として2003年の舞鶴道→舞鶴若狭道(若狭地区の小浜西ICへの延伸に伴う)、また本線区間が延伸して晴れて新しい名称をもらった例として、2002年の北陸道→日本海東北道(新潟中央JCT$V潟空港間)、2012年の山形道→日本海東北道(鶴岡JCT℃cみなとIC)があり、あとは別のネットワークとして独立した例として2011年の東名阪道(均一区間)→名二環(名古屋第二環状道)があるくらいです。


(東名阪道だった均一区間・2011年2月)

そういう意味では今回の改称は2012年の日本海東北道のパターンに似ています。
既存の千葉東金道路の延長なのでそのままの名称を使っていたのが、木更津方面とつながったのを機に本来の名称である圏央道になったのです。


(道路名は消え、IC番号は圏央道のものになった松尾横芝IC)

この発表があったのは2月21日ですが、現地ではもう改称準備が始まっていたようで、一般道にあるICへの案内標識は「千葉東金道路」の文字が消されており、IC番号も東金道路としての番号から圏央道としての番号に変更されています。(山武成東:7→94、松尾横芝:8→93)


(千葉東金道路の終点というのもあとわずかな松尾横芝IC)

ICに掲示されている番号はまだ従前のままですし、終点となる松尾横芝ICには「千葉東金道路 終点」の看板が残っていますが、どのタイミングで消えるのでしょうか。
正式な改称前の「変更」については、上記の東名阪から名二環への改称において、「名二環(東名阪)」の表示が事前に出ていたケースがありますが。


(改称前に早くもお目見え・2011年2月)



懲りずにお花畑へ逃避とは

2013-02-24 03:08:00 | 時事
政権交代となった総選挙からまだ3ヶ月ですが、時代の節目というか、天下分け目の決戦のあとでは他の選挙がイマイチ目立ちません。地元では千葉県知事選挙が3月17日にあり、さらに船橋市長選挙も6月にあり、県知事選挙の方はャXター掲示板が立ち始めていて、選挙があるんだ、と気がつきました。

かつては自民、共産一騎打ちという構図が多かった県知事選ですが、共産候補がすんでのところまで追い詰めるといったケースもあった時代も今は昔で、左翼勢力は全く不振なうえに、今回は民主党が不戦敗と、事実上の信任投票になるのでしょうか。

まあ「青春の巨匠」といわれた知事ですが、目立たないという批判はあるものの、無事これ名馬じゃないですが、無難にこなすこともまた実績と言えるだけに、実は死角がない状態では対抗馬を立てにくいのでしょう。

とはいえ前首相のお膝元である千葉県での不戦敗というのは、痩せても枯れてもちょっと前まで政権与党だった民主党としては恥ずかしい事態でしょう。
党勢の衰退極まれりという感じで、参院選での巻き返しどころかとどめを刺されて解党の危機かもしれません。まああれだけこの国や国民をひっかきまわしてグチャグチャにしたのですから、当然の報いでもありますが。

そういう悲惨な状況の民主党ですが、総選挙後の状況を見るとさもありなん、というか、この政党に責任ある仕事を任せる方がおかしい、と言いたくなります。
要は総選挙の総括ですが、自分達の能力、やって来たことを棚に上げての執行部批判という極楽トンボとも言える無責任状態では話になりません。

税収を確保しないで「大きな政府」の支出など出来やしないのに、消費増税が悪い、という錬金術師もびっくりの発想ですし、国民の審判を先送りして少しでも甘い汁を吸いたかったという意思が見え見えの解散批判もそうでしょう。これで解散を後送りしていたら、「第三極」が体制を整えてしまい、民主党は惨敗どころか一気に消滅もあり得たということが分からないのか。

前首相の除名を要求とか言っていますが、分派活動に勤しみ、執行部に立て付いてきた連中がどの口でいうかというところです。執行部批判をするのなら、「維新」や「未来の党」になった連中や、民主にいながら維新などに秋波を送り続けていていた反乱分子のほうが先でしょうに、それを言わないのは自分達が隙あらば船から降りようとしている卑怯者だからでしょう。

解散を迫ることでプレッシャーをかけたつもりが、真っ向勝負で解散し、国会論戦でも圧唐オた解散当初は、負けるにしても相当善戦出来る印象があったのに、そこでグダグダして勝機を逸して惨敗したのは、結局足を引っ張りまくった陣笠や地方組織に有権者が愛想を尽かした証左でしょう。

宇宙人と自称原子力の専門家というトンデモ元職2人の尻拭いをした揚句に除名要請とは前首相も踏んだり蹴ったりです。実際にはあれこれ決断し、決定しているという実績があり、外部からの評判はそれなりにあるのに、民主党に伝統的な「お花畑」政策を希望する勢力が多いだけに、それと相容れない政策を実行したこともあり、責任を一手におっかぶせている感じでは、二大政党制など夢のまた夢でしょう。

まあ、そういうお花畑の発想から抜けきれないというか、下野してお花畑に逃避する傾向が強まったということは、いよいよ国民から愛想を尽かされるというか、とどめを刺される日が近づいたということです。