Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「人災」をスルーするのはなぜ

2013-02-07 00:23:00 | 交通
安直な対応が招いた失態といえます。
大雪の予報が良い方向に外れたのは「安全目」と言う意味ではよかったのですが、それに乗っかった格好の対応が誠実かどうかでこれほどまでの事態になるという教訓です。

雪は積もらず、間引きの影響で「お客様混雑」で運転見合わせというのは何かの冗談でしょうか。
7割運転を発表した段階で「何を考えてるの?」という世界でしたが、こうなると「独り相撲」というか人災です。
「降雪の影響」と運行情報に出ていますが、11時現在で都心部は積雪がゼロと言う状況で何の影響か。「間引き運転の影響」でしょうに。

そもそも「大雪」の予報を撤回しなかった気象庁のチョンボです。5日夕方の段階で南岸低気圧が今回、雪の目安となる八丈島のラインぎりぎりとはいえ、重なるか北に回るという可能性が強くなったうえに、日本海に低気圧の発生が予想されていたわけで(予想天気図に明記)、南岸低気圧と言うよりも二つ玉低気圧に近い状況です。

こうなると寒気の流れ込みは弱まるわけで、前夜の民放ニュースでも1月14日とは低気圧の発達度合いが全然違うという話があり、西日本での雨の降り始めにおける状況を見れば、「肩透かし」を予想する材料は揃っていました。
にもかかわらず大雪情報を繰り返したのはメディアも同罪ですが、引っ込みがつかなくなったのか、朝になってもみぞれ交じりから小雪程度を大雪が降っています、といわんばかりの報道でごまかしていますし、その後は気象庁のミスを連呼する状況です。

天気予報は悪い方向へ外れることを嫌うというより、最悪を想定するため、安全目の方向に外れることは想定しないといけません。1月14日の大雪が問題なのは、危険側に外れたからです。
一方で公共インフラのほうは「外れました」では話にならないわけです。外れたときの対応も考えないといけないのです。
動いて当たり前のものを動かさない、というのは、動かすことが出来ない、動かすことで却って混乱するということが確実な場合に限定されるわけです。今回の対応はその「確実性」を確信するに足る状況だったのか、と考えれば、そんな状況には全くなかったと言うことは自明です。

ネットの世界では「止むを得ない」といった物分りの良い意見や、果ては出社するほうが悪い、という意見まで見られるわけですが、公共インフラに対する認識の甘さも極まれりというか、日頃の「社会派」気取りの物言いを恥じるべきとしか言いようが無い状況です。出社するほうが悪い、などと言う言い草に至っては、こういう世間知らずを養うために仕事をして税金を納めていると思うと、怒りすら湧いてきます。

だいたい、輸送力の上限近くで対応している重通勤路線においては、輸送力が確保できなければ捌ききれなくなって遅延どころじゃない事態になることくらい少し考えれば分かる話です。運転見合わせで人が溢れても、運転を再開すれば電車は遅れていますが人は捌けます。つまり、人が溢れるのは遅延ではなく輸送力不足が大きな要因です。

そして当初予報通りであっても自宅待機をするような「危険な」状態ではないことは雪国を見れば分かる話であり、単に首都圏の交通インフラが社会の要請に応えられないだけなのです。いつもの輸送量を捌く必要があるなかで、遅延を防ぐため、と言う理由がそもそも論理矛盾を起こしているのですが、事業者もそれを擁護する「社会派」も、その程度の認識ということです。

公共インフラが機能しなかったときの影響を何と考えているのか。インフラが機能しなければ社会のあらゆる活動がストップするのですが、今回はインフラが勝手に機能停止してしまい、社会生活を止めるなど影響を及ぼしたのです。
中には制動距離が、と言うもっともらしい説明を弄する手合いもいますが、そもそも豪雨など制動距離に影響する気象条件は他にもありますが、その都度間引きなんかしていないわけで、まさに後付の理由です。

今回私鉄各社は平常運転を予告していましたが、間引きの影響が他社路線どころかバスや航空船舶に至るまでの乗務員や職員の出勤、また間引かれた路線からの乗客流入によるオーバーフローなど確実に波及するわけで、自社の過剰な余裕は他社のギリギリの余裕を食いつぶすのです。

こうした波及影響は震災や計画停電のときにも発生した事象ですが、その教訓が全く見えていないわけです。
そういう意味では、今回のような計画的な運休については、それが波及する他社との連携、調整が必要であり、また社会生活への影響が大きいことを考えると、一企業が独断で決定できないようにする、監督官庁がその是非を判断する、将来的にはコントロールタワーとなる機構を設置する、というやり方にしないと、雪だ雨だと予報が出るたびに「人災」が繰り返されます。
監督官庁も銚子電鉄を「副業で...」と嫌味を言う暇があったら、「副業に夢中で首都の交通インフラの維持を軽視しているのでは」と指摘すべきでしょう。

今回は増発対応といったエキストラの対応を必要としたわけでもなかったのです。通常通り、普段と同じ要員と設備で対応するだけであり、天候状況に応じて運休などの対応を決めればよかっただけの話です。だいたい、鉄道に限らず、最大限の要員確保をして「異常事態」に備えるのが常識であり、予報が外れれば淡々と通常運転をするだけですから、気象庁やメディアの「予報外し」を嗤うだけで済んだ話です。

それがなぜこのような「混乱」になったのか。今回の対応をすべきだった理由やしなかった場合の問題点につき、きちんと説明する義務がありますし、あわせて検証を受ける義務があるといえるのですが、メディアもこの失態の一翼を担ったということもあり反省どころか隠蔽に走っているわけで、気象庁の「予報外し」だけ報道し、自分たちの煽り、そして間引き運転による人災については東京朝日が7日朝刊で検証記事を載せたくらいで、あとはだんまりに近い状態というのでは話になりません。

1997年から1998年にかけて多発した輸送障害をなぜかメディアはあまり取り上げず、1998年1月の大雪で発生した抑止・缶詰事故も、長時間抑止などの実態は後からパラパラ報じただけだったことを思い出します。あの時は深夜でしたが、今回は朝ラッシュ時、まさに白昼堂々ですが、「最大の災害」を無視するメディアの存在意義は何なんでしょうね。