Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

消えた烏龍茶

2013-02-11 18:38:00 | ノンジャンル
烏龍茶のティーバッグが残留農薬の問題で回収される騒ぎになっています。
ペットボトルと違い、好みの濃さに出来、家で手軽に作れて茶ガラの処理がいらないので重宝しているのですが、スーパーの店頭から消えてしまった格好であり、困った話です。

中国茶なんて、と言う人もいるでしょうが、本格的な茶器で淹れるとウソみたいにおいしいんですけどね。ただあの茶器まではなかなか揃える勇気がありませんが。

それはさておき、各社が回収に走りだしてしばらくして沸き起こったのが、「回収はやり過ぎでは」という声です。基準値超えと言っても茶葉をそのまま食べない限り問題ないレベルなのに何を大騒ぎ、という声がメディアで出ています。

何とも鼻白むというか、こういう人たちやメディアは原発事故の後、神奈川や静岡などでお茶(茶葉)からセシウムが検出された時は何て言ってたんでしょうね。

まさか放射能浮「!って大騒ぎしてなかったでしょうね。今烏龍茶に関して主張しているのは、当時のセシウムを巡る議論と一緒で、お茶として淹れる分には問題ないという説明を受け入れずに絶対の安全を求めていたわけです。

あの時ちょっとの検出も許されない、と言っていた人たちは、今回の烏龍茶なんて全国的な問題でもあり即刻全量破棄を主張しないといけませんが、なぜか腰が重いようです。
放射能と違い、農薬の場合は毒ギョーザを例に挙げるまでもなく、被害の発生は確実であり、セシウムのように排出可能性も期待できませんから。

もちろん今回の回収騒動を批判している人には、原発事故当時のセシウム検出に対する神経質とも言える反応を厳しく批判していたと言う筋の通った人もいますが、みんながみんなそうなのか。

こうしてみると、「食の安全」を言い募る勢力の中には、反原発の口実だったり、中国が相手だとダブルスタンダードになる、というダークサイドの存在も疑われるわけで、「安全」をおもちゃにするいちばんたちの悪い性格と言えます。

小学生新聞に出た粟生線問題

2013-02-11 13:39:00 | 交通
民鉄協会主催の「私とみんてつ 小学生新聞コンクール」の6回目の受賞作品が駅に掲出されています。
思えば第1回の最優秀作品が「コアラ新聞」で、まだ神戸に住んでいた当時、阪神電車の駅に掲出されたユーカリが丘線がテーマの壁新聞に、「電車内で嘔吐してしまいました」という強烈なつかみもあってのけぞりましたが、今回第6回の最優秀作品は「神鉄新聞 神鉄粟生線活性化特別号」と、第1回目の意趣返しのように今度は千葉で神戸ネタを見ることになりました。


(初富駅にて)

沿線の子かな、と思いきや、三田線田尾寺が最寄り駅の小学校ですから、三田線利用時に問題の所在は知っているという程度でしょうか、でもよくまとまっていました。

出色は乗降調査。まあ夏休み中の日曜日夕刻となる18時21分粟生発という厳しい条件で、しかも1両分ですからあまり期待できない状況ですが、「部活帰りの学生が多かった」とあるのに、この数字は厳しいです。

【調査結果】
粟生6人乗車、大村2人乗車、三木上の丸1人乗車、1人降車、恵比須1人乗車、1人降車、志染1人乗車、5人降車(この時点で車内4人)、押部谷2人乗車、1人降車、栄13人乗車、3人降車(この時点で車内15人)、西鈴蘭台2人乗車、1人降車(ここから鈴蘭台まで車内MAXの16人)、鈴蘭台西口1人乗車、1人降車、鈴蘭台16人降車(準急新開地行きなので降車か乗り通しかは分からない)


(実態調査の拡大)

添えられた写真からは先頭車両のようにも見受けられるので、大半の駅で改札から離れている代わりに、新開地では一番便利な車両です。
ただそれにしても悲惨な結果で、上記以外の駅の乗降ゼロ、特に小野、三木、緑が丘の乗降ゼロって、という感じ。西鈴、西口での乗車もわずかで、日曜の19時過ぎでは新開地へ向かう流動が皆無に近いということでしょうか。

このデータからだと、志染(厳密には緑が丘)までの小野、三木市域と、押部谷からの神戸市域で流動に分断が見られるということ。存続問題に揺れていますが、押部谷、行っても志染が一つの区切りになる対応が現実的か、という結果になります。

乗客を増やす方法として挙がっているプランが子供らしいというか、和歌山電鉄のたま駅長にあやかっては、と粟生駅に豆しば駅長の提案。面白いし可愛いけど、加古川線で来まっせ、大半の来訪者は。
そして三木市名物の山田錦味噌を使った生みそドーナツ。生ドーナツブームに乗ればという提案ですが、これは粟生線に限らず、三木市で考えてきたら面白いかも。でもメインはR175の道の駅や山陽道の三木SAになりそうですが。


(活性化のアイデアも)

「車やバスも便利だけど、やっぱり電車が走ってない町はなんだかさびしい」という感想の冒頭が粟生線問題の本質でしょう。単にモータリゼーションへの敗北ではなく、公共交通同士の競争での敗北ということが、他のありがちなケースとの大きな違いです。

「鉄道志向」が高い、という話が一般化出来るとしたら、それをことごとく打ち砕くような神鉄の状況はそれこそイレギュラーなケースかも知れませんが、だとしたら何かここだけの条件があるはずで、それを対応すればいい話なんですが...




賭博への課税問題

2013-02-11 02:37:00 | ノンジャンル
前に指摘した競馬の当たり馬券に対する税金の問題ですが、税法(というか通達)の対応と社会通念の乖離が問題になっているということでしょう。

競馬に限らず、この手の「賭博」は須らく何口かを買って1つの当たりを狙うというシステムなのに、その一連の項の一部だけを切り取って課税しているからおかしいのです。

不思議なのは同様に業法で違法性が阻却されている金融商品の場合、損益の通算が許されているということ。株式投資でA社の売却益とB社の売却損は通算できるのに、馬券の場合はA社の売却益に課税されるということです。

株と競馬は違うといいますが、出資者に事業収益による配当を約する株を、勝手に売買して値上がり、値下がりに期待する売買の部分は賭博と考えるべきで、たまたま金融関係の各法令で競馬など公営競技と同様に許されているものでしょう。

そう考えれば、損益が通算できる(金融商品内のカテゴリーを超えて)金融商品に対して、まったく通算が許されない競馬、という不公平さはどう見るのか。金融というと何でも通る風潮ですが、現物の受け渡しを事実上前提としていない為替や商品、株の上がり下がりを予想する先物取引と、馬の勝ち負けを予想する「勝馬投票券」のどこが違うのか。

そして最大の問題は、明らかに負担能力がないのに税金を課しているということ。
上記のように、一連の行為の一部を切り取って課税するという恣意的な課税をすることで、一連の行為における収益と課税対象と見做される収益に大きな差が出るのです。

もちろん会計上は赤字だけど税務上は黒字で課税、ということはそれなりにある話ですが、それを考慮しても常軌を逸している運用です。

朝から外れ続けて、メインでようやくトントンに近いところまで戻した。というように勝ったり負けたりを繰り返す競馬ファンは多いでしょうし、毎週末2万円くらいは突っ込むという人も少なくないでしょう。
そんな人が年間収支でトントンのレベルに終わったとして、税務上は100万円の所得なので、50万円を控除して、その半分を給与所得と合算して、その合算金額に基づく税金を納めます。

この人の場合、一般的なサラリーマンであれば地方税合わせて75000円程度の税金を納める必要がありますが、収支トントンでそれはないだろ、という話になるでしょう。
もちろん勝った証拠がなければそれまでですが、ネット投票、電話投票のように記録が残るケースは、国税がやる気を出せば入れ食い状態になるはずです。というか、今回のケースでここまで拘るのであれば、「法の下の平等」の観点からもきちんと取り立てないとおかしいわけです。

しかしそうなれば公営競技は1レース1点買いで当てないと損をする、という話になるわけで、公営競技はやるだけ損、ということになれば、公営競技の終了となりかねません。
ギャンブルなんてなくなって当然、という原理主義的な人は喜ぶでしょうが、社会に与える影響は大きいでしょうね。

ちなみに宝くじも賭博ですが、これも法令で許可されており、しかも非課税です。
もし課税対象になれば、賞金に対する控除額は当たり券の券面金額だけになるわけで、大量に買って当たりを狙うと、中途半端に当たると大赤字になるリスクが発生します。

もしそうなれば宝くじを買いますか?という話であり、それをしようとしているのが税務当局なのです。

公営競技、金融商品、宝くじと、賭博の収益に対する課税方針がまちまちなうえに、非常識とも言える結果にもなるのは問題だと思います。