Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

6年ぶりの不発弾処理

2013-02-08 23:13:00 | ノンジャンル
2007年3月4日にあった不発弾処理から6年、また同じようなエリアで発生です。
前回はサイトでも記事にしている通り青木でしたが、今回は甲南町。前回は阪神高速、R43、阪神電車が規制対象でしたが、今回はちょっと北になったことでR2が対象となりましたが、他の幹線道路、鉄道は対象になっていません。


(青木駅方向から現場方向を見る)

ちょうど今週は神戸に行ったので現地を見ましたが、今回もマンション建設現場での発見です。周囲がマンションや市営住宅という土地柄で、すぐそばには小学校もあるという状況。例によって土嚢を積み上げ、万が一の事態になっても真上に噴き上げて被害を最小限に抑える体制は取られています。


(右手の柵は福池小学校。斜向かいのマンションの先が現場という近さ)

奇しくも往路は大阪市北区であった不発弾処理の日で、伊丹着陸コースの真下とあって空路も迂回措置でした。
最初、予約情報に悪天候等での払い戻し、変更対象とあって怪訝に思ったのですが、搭乗して着陸態勢に入ったところで不発弾処理の影響で着陸が遅れるとのアナウンスが入りましたが、今回現場を見た2月17日の神戸の話があり、同日は新幹線も浜松の不発弾処理があるので、またえらく不発弾が多いな、と思ったのです。

ちなみに迂回コースは生駒山系の南端からまっすぐ着陸コースに入らず直進し、阪高14号松原線の大和川TBを左下に見るあたりで転進。大阪ドームをみやりつつ尼崎から宝塚手前でUターンして北側RW14から着陸というコースでした。
北風なら新大阪駅付近でRW32に復帰させて無理やり着陸させるようでしたが(離陸便は新大阪付近での小回りをしないで、上記着陸ルートの逆回りのような感じで進む予定)、結局北風が吹いていたにもかかわらず南風用に用意されていたRW14ルートで着陸しました。
これで昨年4月の爆弾低気圧の朝に乗ったRW32離陸とあわせて、伊丹の離着陸は両方向4パターン総てを体験したことになります。

今回の規制も半径300mですが、神戸市の発表によると退去命令が出るのは前回のように建物単位ではなく、町丁というかブロック単位となっており、分かりやすいです。
前回と今回の両方に被る不運な家は無いようで、ちょうど真ん中を分けるような鳴尾御影線は両方とも通行可能になっています。


(更地に爆弾を覆う土嚢の山。周囲は見事にマンションばっかり...)

余談ですが、前回と今回の規制区域は被らないといいましたが、不運な人もいるわけで、複数の知人で、マンションを購入して転居したなどの理由で、2回食らった人がいました...


(その拡大。爆弾を覆うように土嚢が積まれている)

今回は幸い南北方向の幹線の規制がなく、東の青木幹線、西の魚崎幹線(十二間道路)と使えます。
R2が青木幹線との交差点になる小路交差点と、十二間道路との交差点になる田中交差点の間が通行止になりますが、R43、山手幹線、鳴尾御影線への迂回が指定されており、公共交通への影響もR2を通る阪神の国道バスだけで、それも迂回対応です。区間内の小路、田中バス停が通過扱いになるとのことで、鳴尾御影線かR43への迂回になります。(山手幹線への迂回だと本山中町バス停も通過しないといけないのでありえない)

ちなみに神戸の前回今回は400ャ塔h爆弾(日本で言うところの250kg爆弾)で、そのまま搬出するようですが、大阪のそれは2000ャ塔h爆弾(いわゆる1トン爆弾)で、現地で弾薬の抜き取りを行っていました。大阪市のサイトによると、爆弾自体が既に裂けており、そのまま搬出できない状態だったようです。



理由にならぬ理由

2013-02-08 20:28:00 | 交通
間引き運転に関する議論があちこちで目にしますが、どうも気になるのが「反論のための反論」、言ってみれば「詭弁」の類の議論です。

その中でも「錦の御旗」のようになっているのが「安全」を理由にしたものですが、「安全は輸送業務の最大の使命である。」という国鉄時代の安全綱領の筆頭があり、JR各社にその思想が受け継がれていることは重々承知しているとはいえ、今回を始めとする昨今の状況は、「安全」を履き違えているのでは、と思いたくなるのです。

そもそも輸送業務の最大の使命が「安全」であるとしても、輸送業務という目的を果たした上での話です。
ブラックジョークの域ですが、究極の安全は動かさないことに尽きるのであり、動かなければ事故は起きません。それを真顔で実行しようとしているのが原子力規制委というのはさておき、今のJREは動かさないことで安全を担保する、ということが「輸送業務の使命を果たした」と勘違いしているように見えます。

そもそも「7割運行」でどう安全が担保できるのか。制動距離の問題、また当リなどへの対応と言う意味では、確率は10割も7割も1割でも、走る電車には等しく発生します。所定の運行本数に対しての見かけの確率は下がりますが、走っている個々の電車における確率に差がないという当たり前の事実に気がついていないわけで、リスクの認識、分析能力が問われます。

ついでに言えば、運行間隔を空けることで団子運転が回避できて追突リスクが減る、と言う評価の反面、運行間隔が空くことで線路上に雪が降り積もる時間が増えるため、積雪に伴うリスクが増えると言う評価も可能です。(クルマが通らない裏道があっという間に積もる論理です)

そして止めることによって発生するリスクを全く考慮していないこと。
今回のケースでは、間引きで惹起した輸送力不足によるさまざまな事態がリスクとして認識されているのか。常磐線で発生した車両貫通扉のガラス破損も、場所や状況によっては乗客が重傷を負ったり、極端なケースは出血多量で死ぬリスクもあるわけです。
階段や通路に人が溢れましたが、これも線路への転落による事故発生リスクがあるわけで、実際混乱のさなかに秋葉原で人身事故がありましたが、続報がないこの事故、もし「不慮の事故」だったとしたら因果関係的に責任を問われかねません。

そして最終的に「お客様混雑」で遅延してしまうのですから、リスクヘッジになっていないのです。

また問題なのは、自社のリスクヘッジが他社のリスクを高める、つまり、リスクの付け替えになっていることです。
自社の輸送力不足を他社がカバーするということにつき、運行にリスクがあるというのであれば、それは他社にリスクを取らせているということです。それは「ババ抜き」であり、利用者のリスク軽減には全く寄与していない話です。
止めることで発生するリスクの問題もそうですが、本来考えるべきこと、つまり、「安全」にしても、その果実は本来まず利用者が享受すべきものですが、昨今の対応は、それは自社が享受するだけで、利用者にとってのリスクは減らないばかりか高まっているというのでは、「安全」を本当に考えているのか怪しくなります。

もうひとつ、これは交通の混乱が社会に影響を与えるということ自体にも言える話ですが、社会活動、国民の生活のための「ツール」である交通の事情が社会活動や国民生活に影響を与える、というのは本来本末転唐フ事態です。
公共インフラとして社会活動、国民生活に寄与すべく、影響を与えないように対応するのが本来であり、ベストを尽くしたかも怪しい状況で社会活動、国民生活に支障を来すような機能停止は本来の姿ではないはずです。

これと相似形の構図が見られるのが、間引きを決めたら復帰に時間がかかる、というシステム的な問題を理由に挙げる向きです。
システム上無理だから出来ません、というのも結局ツールが目的を振り回していることに他なりません。そういう対応が取れないというのは、公共インフラとしての「問題点」として改善が求められる部分であるという認識がありません。
しかも零細企業ではないリーディングカンパニーです。経営資源を副業に注ぎ込む余裕があったら、まずすべきことは何か、子供でも分かる話です。

最後に、天気予報への「責任転嫁」も指摘できます。
もちろん天気予報が大外れだったことが直接の契機となりましたが、天気予報は最悪を想定するという意味では、安全目に外れる可能性のほうが高いのです。

そして根本の問題として、天候に関する判断において、天気予報を頭から信じているのかと言うことが挙げられます。
自社で情報を取得して、判断していないのか。気象庁や専門会社のデータを入手しても、判断をするのは自社の意思決定部門でしょう。「天気予報が雪です」でまさに「鵜呑み」にしたということでしょうか。

地震対応においては気象庁の観測網に頼り切ることをせず、自社でも「新幹線地震早期感知システム」を使い、安全に新幹線を停止させる、と胸を張っており、実際に東日本大震災でも機能したわけですが、一方で公共インフラのなかでも重責を担う首都圏の運行に関しては、主体的な情報収集や判断を行っていないということがあるのでしょうか。
要は入手した素材を切り間違えた。それは気象庁や専門会社と同じミスですが、意思決定の責は自社にあるのです。


今回の事態は、刻々と変化する状況に対応する危機管理の能力、そしてリスク管理における優先順位の取り違えなど、公共インフラ企業として非常にお寒い状況であることを知らしめたと言えます。

そして東日本大震災時に、建物悼潟Xクと言う意味では市中の商業施設などと差がないはずなのに(あったら安全の根本が疑われます)、帰宅難民を保護する商業施設などを尻目に締め出した対応とあわせて、公共インフラ、指定公共機関としてのスタンスを強く疑わざるを得ない状況ではないか、そう考えざるを得ないのです。

それでも組織としてはなかなか非を認めづらいでしょうし、実際にはきちんと分析して挽回することも多々あるわけで、ゆえに厳しく批評している面もあります。
しかし一方でそういう「大人の対応」(若干姑息だが...)に気付かずに、理由にならぬ理由で正当化して梯子を外される向きが少なくないのはどうなんでしょうか。贔屓の引き唐オという言葉がぴったりなんですが。