Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

値上げ揃い踏み

2010-01-21 00:33:00 | 交通
高速道路のETC割引の見直し、そしてANAの特割の見直しときて、こんどは鉄道、JR東日本が回数券の一部廃止や土日きっぷなど割引切符の廃止を打ち出しました。

周遊型、乗り放題タイプの割引切符がまた消えるわけですが、もともと土日きっぷは大人用が18000円と、陸羽線以南のJR東日本全線と一部私鉄というエリアを2日間乗り放題という商品としてはやや割高感があるだけに、需要喚起という効果が極小化して、単純往復代わりと言う利用法がメイン、それも違法な使い回しまで流行というデメリット面だけが目に付いていたとも聞いていますから、商品の目的を考えると存続の意義が薄れていた可能性が高いです。

とはいえ「ぐるり北海道」や周遊きっぷなど使い勝手のいい商品も道連れになっているあたりはやはり「殿様商売」なんでしょうか。特にETC割引の見直し、ANAの値上げというライバルの動向を見て、さっそく動いたといううがった見方も出ていますし。

JR側は、代わりに昨夏販売して好評を博したとする「ツーデーパス」の発売や、土日きっぷのエリア+αをエリアとする「ウィークエンドパス」を新発売するようですが、特急券込みから普通乗車券部分のみのフリーパスにして特急券は別払いと言うのも、どう考えても体の良い値上げです。

発売価格を見ても、需要喚起を期待する層には確実な値上げであり、逆に単純往復で利用する層には値下げのケースも出てくるというわけで、廃止理由と目される事態を考えると自己矛盾している性格の商品です。

そもそもツーデーパスもそうですが、連続する2日間普通列車乗り放題といっても、いわゆる「乗り鉄」以外にとっては非常に使いづらいわけで、新幹線や特急を使うとすぐにお値段が跳ね上がり会社の術中にはまるような感じです。

そもそも土日きっぷが指定席4回までOKという前提と言うことは、4列車利用をスタンダードにしているわけですが、ウィークエンドパスと土日きっぷの差額9500円で新幹線や特急に指定席がほしくなるような距離を「4回」乗れるかと言うと怪しいわけで、どう考えても値上げでしょう。

これで道路、航空、鉄道と値上げ攻勢がでそろったわけですが、こうして見ると、競争が激しい製造や小売りはデフレ一直線の半面、実質的に規制産業で独占が働いているようなマーケットでは値上げです。
そういえば租税公課も増税路線ですから、収入はデフレに引きずられて上がらない中での値上げと言う悪性インフレのパターンに陥っています。

このあたり、うがちすぎな見方ですが、景気対策が急務と言いながら、高速、航空、鉄道が揃って利用抑制につながりかねない値上げに踏み切ろうとしているのは、意図的なものがあるのかもしれません。
もしかしたら、移動需要を喚起するのではなく、移動そのものを抑制する目的が隠されている。例えば運輸部門の温室効果ガスを抑制するために移動需要を縮小させてしまうといった意思が働いてるのかもしれません。

まあ、陰謀論の読み過ぎですが、そう考えたくもなるような不況下の値上げ揃い踏みなのです。




違和感ある判決

2010-01-21 00:03:00 | 時事
北海道砂川市の私有地に立つ神社は政教分離違反という最高裁判決が出ました。
さすがに神社を撤去しろではなく、違反しない方法を考えなさいということで差し戻しになったのですが、理屈では分かるが感覚的に受け入れられない判決です。

これまで政教分離訴訟の基準となってきたいわゆる目的効果基準は理解できます。何かしら宗教とのかかわりが避けられない現実を踏まえ、政教分離の趣獅ノ抵触するような行為に限定して違反とするというのは穏当なものでしょう。

公有地に宗教施設を置けない。一見正論ですが、様々な理由で宗教施設に公共施設を併設することは考えられますし、宗教施設そのものを公共施設と看做すこともあります。
今回のような地域の会館をかねているケースもそうですし、公園のように親しまれているケースもあるわけです。

今回のケースももともと民有地だったのを市に寄付したという経緯があるわけで、そこに宗教への支援援助という感覚はなかったと見るのが妥当であり、目的効果基準であれば議論以前の話だったはずです。

存在を問題とするのであれば、目的効果基準どころの話ではなくなります。
ここまで厳格に取るのであれば、公有地に宗教行為を行なう一切の施設の存在を許さないという厳格な基準が必要です。観光施設だから、慰霊施設だから、という理由は理由になりません。東京都の慰霊施設も出ていましたが、仏教の施設と容易に分かる形態で、仏式でもっぱら儀式が行なわれる施設です。

慰霊であれば千鳥が淵のように「無宗教」であるべきであり、仏式をもっぱらにする施設がOKなら、それこそ靖国神社は何の問題にもならないはずです。
今回の原告もクリスチャンだそうですが、要は政教分離といいながら、神道狙い撃ち、神道だけ特別な基準を設けているという「逆差別」ではないでしょうか。

この手の「原告」に共通する感情として、自分たちには信教や思想信条の自由があると声高に訴えるのに、神道を信仰する人や、国歌国旗を尊敬する人の信教や思想信条の自由は爪の先ほども認めないという極端なダブルスタンダードです。

今回の訴訟でも、もし神社の撤去や遷座を必要とする事態になった場合、神社を崇拝する大多数の住民の信教の自由を踏みにじってまで、たった2人の信教の自由を守るというパラドクスが発生するのです。

なにせ原告は、「私はクリスチャンの立場から、信教の自由のために訴訟を起こした。」と言い切っていますから、それにより神道に対する信教の自由が侵される事態になれば、司法権という国家権力がキリスト教に肩入れした、という政教分離に抵触する効果が事実上発生します。

今回の原告は「互いに信仰は尊重しなければならない。かたくなにならず、尊重し合える存在になって」と述べたそうですが、その存在を認めないともいえる主張をする以上、尊重ではなく排斥といえます。その根底には上記のような極端なダブルスタンダードが見え隠れしているだけに、余計にそう感じます。

ちなみに最高裁が示した「新しい基準」を見ると、「宗教施設の性格や一般人の評価を考慮して、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」とありますが、そうなると、今回の訴訟の客体となった神社に対する「一般人の評価」はどうなんでしょうか。

地域は市有地に会館と神社があるという状態に違和感を感じてこなかったはずです。今回の原告は違うのでしょうが、少なくとも、地域の総意として神社の遷座や撤去を求める意見にはなっていなかったことを考えると、市が特定の宗教に利便を図っている、地域住民の信仰の自由に干渉しているという「評価」は決して出てこないはずです。

そうなると、この「新しい基準」に従って判断して、憲法に違反しないという結論を導くことが一番妥当ということになります。