新年ということもあって、ちょっと大上段に構えた話をしてみます。
毎月トップページの写真をメインとする更新をしていますが、そこに添える文章はあまり変わり映えがしないもの事実です。
とはいえ新年ですからそれっぽい言葉を並べているのですが、今年はちょっと思うところがあって、普段と違う一文を入れてみました。
「今年は初心に帰って利用者の目線を常に意識して交通を語っていきたいと思います。」
これだけだと当たり前のようでもあり、それが何か、と言われておしまいになりそうなんですが、年末に早いもので8月には5年目を迎えるこのサイトへの取り組みを考えたとき、ふと思ったことでもあるのです。
もともとサイトのタイトルである「Straphanger」はニューヨーカーの間で言うところの「吊革にぶら下がる人」のことなんですが、ちょっと気取ったこの表現をこのサイトのタイトルにしたのは、交通関係については素人である以上、素人なりの視点、つまり、利用者サイドに立った視点で語るという意思があったからです。
タイトルにある「ちょっと詳しいつもりの素人が交通を語ってみました...」ではないですが、社会人としてはそれなりに年輪を刻んできたとはいえ、所詮はこの世界に関しては素人であり、妙に背伸びをするよりも、素直に利用者としての意見を述べることが大事だと考えたからです。
そう考えて始めたこのサイトですが、最近特にその思いが強くなったのは、世の中のあらゆるサービスやモノのユーザーが抱くそのサービスやモノに対する感想や批判、そしてそれに向き合う事業者の関係に対し、こと交通に関してはその感想や批判をストレートに出すことを嫌い、事業者の立場に必要以上に慮る風潮が感じられるからなのです。
ユーザーが素直に良いサービスを求めること、より良いサービスを追求すること。私が普段身を置いている仕事の世界をはじめとする他のサービス業や製造業においては当たり前過ぎる話であり、それを出過ぎた要求として批判すると言うことは、よしんばそれがいわゆるクレーマーに類する世界で無い限りは有り得ない話であり(さらに言えば事業者サイドからはクレーマーに対してそのような批判をすることはない)、真摯に向き合っているのです。
しかし交通の世界では、それを「ヲタの戯言」と批判することが多々あるわけです。いわゆる「社会派」と言うのでしょうか。事業者の立場に配慮しない意見は幼稚であり、それを理解したうえで批判すべきである、と言うスタンスです。
もちろん自分に特別なサービスをしろというクレーマーまがいの主張ならそれも分かりますが、「安くて良いもの」を求めるユーザーとしての普遍的な要求に対してきちんと向き合っているのか。それが疑わしい状況というか、必要以上にユーザーの要求を縛り、事業者サイドに立っているのではと言う疑念がどうしてもぬぐえません。
そもそも論として、ユーザーがそこまで考える必要があるのか。ユーザーにその要求がかなえられないと言うその説明責任は事業者側にあるのではないか。
その回答まで推測して自己完結するのが正しい「交通論」なのか。そしてその推測した回答が本当に正しく、公平妥当なのか。現に「社会派」が出来ないとしてきた「制約」があっさり当の事業者によって打破されることもしばしばなのです。
そこまで考えたとき、素人が素人なりに語るのであれば、「それくらいはできるのではないのか」という問題提起であり、要求ではないか、と言う非常に単純な結論に帰結したのです。
もうひとつ、今年のテーマとして考えたいのが、「納税者の視点」です。
昨年は道路財源の一般財源化が行われたわけですが、このテーマを論じる中に納税者の視点を踏まえたものが少なかったように記憶しています。
逆に道路財源を公共交通に使え、と言うような論調が目立ったわけですが、なぜガソリン税や自動車重量税といった自動車のユーザー、オーナー「のみ」が畑違いの負担をしないといけないのか。税金と言うものの根本的な性格を考えたとき、こうした主張が平然と出てくるところに危機感すら感じるのです。
そうした流れで昨今の交通問題を考えたとき、どうしても、というか、基本的に独立採算で公共性の高いサービスを提供するほうが難しいと言わざるを得ない中で、公共セクターによる交通への関与、端的にいえば税金の投入が恒常化している現実があります。
税金による整備、維持自体は必要なものと考えますが、そこに「納税者の視点」はあるのか。
要は税金を投入する以上、その事業の必要性、妥当性が厳しく問われるのです。税金で賄うべき水準は何か。必要最低限なのか、過剰サービスなのか。そこを見る力を大事にしたいのです。
あの「事業仕分け」はなぜ実施されたのか。限られた財源から別の事業費を捻出すると言うのがその主目的です。
縦割りの予算や制度の中だけを見ていれば問題が無くても、その費用を削れば別の予算に回せるのではないか。税金を原資としたサービスは交通だけではない、と言う当たり前の事実に立ち返って考えるのが、「納税者の視点」だと思うのです。
もちろん上記の「より良いサービス」を求める素人の視点と矛盾する部分も出てきますが、そこは「安くて良いもの」を求めると考えれば、納税者としてより効率的な税金の使われ方になるほうが負担が軽い、というか、より多くのサービスとなって帰ってくるわけで、その見極めと言うか目利きを「納税者の視点」で行うと考えたいです。
偉そうなことをつらつら書きましたが、蓋を開けてみたら大した内容ではないことも十分あり得るだけに、天に唾すると言うか、暴論に等しい話かもしれません。
しかし、まあお正月ですから、三日坊主に終わるにしろ、志くらいは高く持ちたいと思って書いてみました。
毎月トップページの写真をメインとする更新をしていますが、そこに添える文章はあまり変わり映えがしないもの事実です。
とはいえ新年ですからそれっぽい言葉を並べているのですが、今年はちょっと思うところがあって、普段と違う一文を入れてみました。
「今年は初心に帰って利用者の目線を常に意識して交通を語っていきたいと思います。」
これだけだと当たり前のようでもあり、それが何か、と言われておしまいになりそうなんですが、年末に早いもので8月には5年目を迎えるこのサイトへの取り組みを考えたとき、ふと思ったことでもあるのです。
もともとサイトのタイトルである「Straphanger」はニューヨーカーの間で言うところの「吊革にぶら下がる人」のことなんですが、ちょっと気取ったこの表現をこのサイトのタイトルにしたのは、交通関係については素人である以上、素人なりの視点、つまり、利用者サイドに立った視点で語るという意思があったからです。
タイトルにある「ちょっと詳しいつもりの素人が交通を語ってみました...」ではないですが、社会人としてはそれなりに年輪を刻んできたとはいえ、所詮はこの世界に関しては素人であり、妙に背伸びをするよりも、素直に利用者としての意見を述べることが大事だと考えたからです。
そう考えて始めたこのサイトですが、最近特にその思いが強くなったのは、世の中のあらゆるサービスやモノのユーザーが抱くそのサービスやモノに対する感想や批判、そしてそれに向き合う事業者の関係に対し、こと交通に関してはその感想や批判をストレートに出すことを嫌い、事業者の立場に必要以上に慮る風潮が感じられるからなのです。
ユーザーが素直に良いサービスを求めること、より良いサービスを追求すること。私が普段身を置いている仕事の世界をはじめとする他のサービス業や製造業においては当たり前過ぎる話であり、それを出過ぎた要求として批判すると言うことは、よしんばそれがいわゆるクレーマーに類する世界で無い限りは有り得ない話であり(さらに言えば事業者サイドからはクレーマーに対してそのような批判をすることはない)、真摯に向き合っているのです。
しかし交通の世界では、それを「ヲタの戯言」と批判することが多々あるわけです。いわゆる「社会派」と言うのでしょうか。事業者の立場に配慮しない意見は幼稚であり、それを理解したうえで批判すべきである、と言うスタンスです。
もちろん自分に特別なサービスをしろというクレーマーまがいの主張ならそれも分かりますが、「安くて良いもの」を求めるユーザーとしての普遍的な要求に対してきちんと向き合っているのか。それが疑わしい状況というか、必要以上にユーザーの要求を縛り、事業者サイドに立っているのではと言う疑念がどうしてもぬぐえません。
そもそも論として、ユーザーがそこまで考える必要があるのか。ユーザーにその要求がかなえられないと言うその説明責任は事業者側にあるのではないか。
その回答まで推測して自己完結するのが正しい「交通論」なのか。そしてその推測した回答が本当に正しく、公平妥当なのか。現に「社会派」が出来ないとしてきた「制約」があっさり当の事業者によって打破されることもしばしばなのです。
そこまで考えたとき、素人が素人なりに語るのであれば、「それくらいはできるのではないのか」という問題提起であり、要求ではないか、と言う非常に単純な結論に帰結したのです。
もうひとつ、今年のテーマとして考えたいのが、「納税者の視点」です。
昨年は道路財源の一般財源化が行われたわけですが、このテーマを論じる中に納税者の視点を踏まえたものが少なかったように記憶しています。
逆に道路財源を公共交通に使え、と言うような論調が目立ったわけですが、なぜガソリン税や自動車重量税といった自動車のユーザー、オーナー「のみ」が畑違いの負担をしないといけないのか。税金と言うものの根本的な性格を考えたとき、こうした主張が平然と出てくるところに危機感すら感じるのです。
そうした流れで昨今の交通問題を考えたとき、どうしても、というか、基本的に独立採算で公共性の高いサービスを提供するほうが難しいと言わざるを得ない中で、公共セクターによる交通への関与、端的にいえば税金の投入が恒常化している現実があります。
税金による整備、維持自体は必要なものと考えますが、そこに「納税者の視点」はあるのか。
要は税金を投入する以上、その事業の必要性、妥当性が厳しく問われるのです。税金で賄うべき水準は何か。必要最低限なのか、過剰サービスなのか。そこを見る力を大事にしたいのです。
あの「事業仕分け」はなぜ実施されたのか。限られた財源から別の事業費を捻出すると言うのがその主目的です。
縦割りの予算や制度の中だけを見ていれば問題が無くても、その費用を削れば別の予算に回せるのではないか。税金を原資としたサービスは交通だけではない、と言う当たり前の事実に立ち返って考えるのが、「納税者の視点」だと思うのです。
もちろん上記の「より良いサービス」を求める素人の視点と矛盾する部分も出てきますが、そこは「安くて良いもの」を求めると考えれば、納税者としてより効率的な税金の使われ方になるほうが負担が軽い、というか、より多くのサービスとなって帰ってくるわけで、その見極めと言うか目利きを「納税者の視点」で行うと考えたいです。
偉そうなことをつらつら書きましたが、蓋を開けてみたら大した内容ではないことも十分あり得るだけに、天に唾すると言うか、暴論に等しい話かもしれません。
しかし、まあお正月ですから、三日坊主に終わるにしろ、志くらいは高く持ちたいと思って書いてみました。