芸術活動を続けることってこれ程大変なことかと、つくづく思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 15:31
話題のパイク展『森の中ケージ、啓示の森』ですが綺麗な鈴虫の鳴き声が、、
— ワタリウム美術館, WATARI-UM, (@watarium) 2016年8月17日 - 23:06
まさか美術館内で聴けるとは嬉しいやら、困ったり、驚いたり。
コレクションじゃないと大騒動だな pic.twitter.com/IMUoE1j68l
続いて神宮前・ワタリウム美術館「ナムジュン・パイク展 2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」。ジョン・ケージ経由で禅の思想に影響を受けたこともあってか、初期作品では「見立て」による新鮮な価値の創造に長けているように感じられた。 pic.twitter.com/6UJhVTOTDB
— 青い秋田犬 (@aoiakitainu) 2016年8月18日 - 13:29
ワタリウム美術館のナムジュンパイク展に行ってきた。60年代のカルチャーを作った多くの人はジョンケージを通過しているんだなあと改めて感じた。そのジョンケージは日本の禅から大きな啓発を受けたことを思うと、日本文化の懐の深さや、この逆輸入の関係も不思議だなと思う。
— とんこつ (@tnkt42) 2016年8月16日 - 23:11
連続ツイート「安岡正篤の『易と人生哲学』を読んで考えたこと」
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:36
(易1)陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ)が近鉄の会社員向けにやった講義記録『易と人生哲学』を読んだのだけれど、とても面白くて為になったので、ぜひ紹介してみたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:36
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(易2)安岡正篤は、玉音放送の原稿を完成させ、GHQより戦犯容疑がかかった際には蒋介石の圧力で無罪になり、三島由紀夫が憧れ、佐藤栄作を通じてケネディに沖縄返還交渉開始を決断させたことから、昭和最大の黒幕と呼ばれる人物。この本を読むと、彼の易に関する深い視座が理解できる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:37
(易3)易とは変化であり、止まることのない創造的進化、いわばクリエーションである。また十干十二支の干とは木の幹(陰=女)、支とは木の枝(陽=男)のことで、四柱推命における何年・何月・何日・何時は、年の干支が先祖や祖父母、月の干支が父母兄弟、日が本人の運命、時間が子孫を表す。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:38
(易4)陰陽の陽とは分かれて枝葉となり花実となる発動分化、言わばバイナリーによって生まれる情報や知能、理知的なものわかりで、男性的原理。一方の陰が、木の根幹に当たる統一含蓄、成長の原動力で、抽象的な女性的原理。この二つが相待つ相対性理論が易経で、これを統一させるのが「中」。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:39
(易5)これはヤスパースの枢軸時代の話にも繋がるのだけれど、中国の「中」の思想と孔子の中庸は、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で指摘した中庸に影響を与えているだろうか?言い換えると、アリストテレスの中庸のルーツに、中国の「中」と同じゲシュタルトがあるのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:40
(易6)ヘーゲルの言う正反合のアウフヘーベンは、外部を持たない熱死状態まで続く複雑系、かつ一元論的なサイバネティックスであり、「中」の哲学だと言い換えることができるだろう。さらにそれは孔子やアリストテレスの中庸の哲学であり、ナーガールジュナの中観とも一致するだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:41
(易7)陽すなわち男性原理が行き過ぎると、「わからなくなる」。つまり、あまり分派しすぎると情報過多となり、生成力、創造力がなくなる。そうなったら、枝から幹に、幹から根にと、結び直さなくてはならない。これが「創造」で、この結びの力のことを「徳」と呼ぶ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:41
(易8)芸術を純粋なる情報だと捉えがちな人(例えばオブリスト)に対して私が感じる違和感は、全てを一元論的に捉えることを唯一可能とする抽象を取りこぼしがちだから。しかし、それを純粋に情報として捉えようとする人に指摘しても、なかなか理解されないのが辛い所。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:42
(易9)女の本質は、儒教で言う所の「仁」であり、それは仏教で言う所の「慈悲」の心、つまり「生みの働き」である。その特徴は根本的、内省的、没我的である。それを芸術に昇華させると、狩野芳崖の『悲母観音』の様になる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:43
upload.wikimedia.org/wikipedia/comm…
(易10)かえりみて、くだらないものを省くのが役人であり指導者の役割。省庁が「省」の字を使うのは、くだらないものを省いてスリム化するため。だから役所やルールは、小さくて簡潔であればあるほど良い。この逆が、冗長や冗談の「冗」。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:43
(易11)明治天皇の愛読書は朱子の作らせた『宗名臣言行録』で、伊藤博文は陛下の前に出る時には、この本を読んで勉強したという。また「習」の字は、羽を持つ鳥の胴体を意味し、小鳥が巣から離れる練習をしているのを象形的に描いたものだそう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:44
(易12)鳥の学習機能が個体に限定されない様に、人間の言語能力(もしくは言霊の持つ意味)は個体に限定されないと私は考える。これはカントの構想力や、チョムスキーの生成文法、唯識の阿頼耶識の考え方とも矛盾しないだろう。言わば個体を超えた魂の連続性だ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:45
(易13)夷とは「えびす」と読み、「つね」という意味もある。大きい弓を張って仁王立ちしているという文字で、東夷とは山東地方の人のことを指し、中国人は武勇に優れるこの東夷を尊敬してさえいた。荻生徂徠が東夷徂来と称したほどで、また昼働いて夜に明かりをつけて勉強することを明夷と言う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:45
(易14)易を学んで思うのは、易を生んだ暦とは最古の統計学だということ。そして変わらないものの上に、変わるものがあるのであって、その逆ではない。つまり運命の中に、宿命と立命があり、この宿命観と立命観は、「ニーバーの祈り」における、変わるものと変わらないものと、とても良く似ている。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:46
以上、連続ツイート「安岡正篤の『易と人生哲学』を読んで考えたこと」でした。最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 18:47
AITが2016年11月1日〜12月31日までスペインのバスク州サン・セバスティアンに位置するアートセンターTABAKALERAに滞在できる、日本を拠点にするキュレーターを8月29日まで公募しています。ご興味のある方、ぜひどうぞ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月18日 - 19:37
a-i-t.net/ja/projects/20…
彼は日台断交の際に蒋介石に送った信書にも関わっていた気がする。違ったかな。 twitter.com/curatorshinya/…
— अह्मद् तोदोरोकि (@ahmadhito) 2016年8月18日 - 18:56