別所沼スマイルRCの湯川君のフェイスブックへの投稿で、今年のボストンマラソンに君原健二さんが招かれることを知った。
以下湯川君の記事を拝借
君原さんは現在でも市民ランナーとして走っているのだが、2年程前から神経性の疾患で走ることも歩くことも出来なくなってしまったという。
それでも少しずつ回復し、昨年末の青島太平洋マラソンで2年ぶりのフルマラソンに挑戦。自身72回目のフルマラソンを見事に4時間32分28秒で完走した。
そして2月の北九州マラソンも4時間29分31秒で完走した模様で、ボストンに向けて調子を上げているようだ。
君原さんは、ただ単に招待されて行くだけではなく、きちんとレースを走って完走したいということだ。
75歳になる君原さんの、ちょうど第120回となるボストンマラソンが楽しみである。
自分もいつかは出場し、『心臓破りの坂』を走ってみたいとひそかに憧れている大会である。
ボストンマラソンの歴代優勝者を見ると、日本人では瀬古さんが2度優勝している(1981年、1987年)ほか、
田中茂樹(1951年) 2:27:45
山田敬蔵(1953年) 2:18:51
浜村秀雄(1955年) 2:18:22
重松森雄(1965年) 2:16:33
君原健二(1966年) 2:17:11
采谷義秋(1969年) 2:13:49
あと、日本出身のゴーマン美智子さんが1974年と1977年に優勝している。
ボストンマラソンの歴代優勝者は、優勝した年の50年後の大会に招待されるという粋な慣例がある。
上記の通り、君原さんは1966年に優勝しているので、今年の大会に招待されることになるだろう。
1975年、その前年に女子の部で優勝した美智子ゴーマンさんにお誘い頂き
日本で初めての海外マラソンツアーを組んで参加者を募って出場した。
生涯最後のレースと覚悟して練習に練習を積んで準備したが、2か月前の青梅マラソンの途中で足に怪我をし
ほぼ2か月間歩くのもままならず臨んだ今でも悔しい思いがこみ上げてくる思い出深い大会である。
練習不足がたたって心臓破りの丘では歩いてしまったが、それでも2時間31分00秒だった。
順位は121位、例年ならこのタイムだと50位くらいには入れることが多いのに、
この年は追い風を受けた絶好のコンディション、私も十分な練習ができていたら2時間20分を切れたと思うほどだった。
当然私は50年後でも招待があるわけでもないが2025年、自分が走ってから50年目に是が非でも参加したい。
湯川君、一緒に走りに行こうじゃないか!
写真はその当時の私と長男 (自分でいうのもなんですが若かったな~!)