箱根駅伝に憧れて、箱根駅伝を応援しながら育ち、
そして走ることも出来た私は凄く恵まれていたと思います。
東京大田区で育ち、兄の後ろを追いかけて知らないうちに箱根駅伝を応援していました。
当時はテレビなんて無く、コースで今か今かと選手を待ち受け、
たまにラジオを持った人の周りには黒山の人だかりが出来ました。
かすかに聞こえるラジオの音と、自分の想像で待つ間の緊張感は今ではなかなか味わえない貴重なものです。
生まれて初めて出た駅伝は中学校の2年生の時、「大田区中学校対抗駅伝」だったと思います。
或いは3年生の時だったか覚えていませんが、1区で下級生のH君が7位で来て
2区を走った私が2位まで上がった時の事をはっきり覚えています。
1区には同級生のライバルが居て、彼を避けて2区にエントリーしたのですが、
やはり今思っても逃げていたんでしょうね!
今の様に写真が発達していればもっともっと写真を残しておけたのですが、
残念ながら中学校時代の駅伝の写真は1枚も有りません。
運よく大学で「箱根駅伝」に4年間連続で出場することは出来ましたが、
自慢できるほどの戦績を残せませんでした。
何かセンスが足りなかったんですが、50年以上たった今の気持ちで取り組んでいたら
もっともっと走れたような気がします。
その大学時代の写真もほとんど残っていません。
先ほど、最近の女子駅伝でのアクシデントの動画を見ながら、複雑な気持ちでいっぱいです。
コメントも沢山読みました。
いろんな意見が有りますが、私個人とすれば「このまま死んでも良い!!」
という気持ちで走っていたことは間違えありません。
彼女たちも同じ思いだったと思います。
大会運営面や指導者の立場から見るとまた違った面が有るのも事実、
応援者としての立場で感じるものも個人個人違うのですが、選手は命がけなんですね。
出来ることならもう一度走り直してみたい気持ちでいっぱいです。
何だかうまく書けませんが、どんなレースを見ても何時もいつも思う事です。
きれい大好き別所沼
そして走ることも出来た私は凄く恵まれていたと思います。
東京大田区で育ち、兄の後ろを追いかけて知らないうちに箱根駅伝を応援していました。
当時はテレビなんて無く、コースで今か今かと選手を待ち受け、
たまにラジオを持った人の周りには黒山の人だかりが出来ました。
かすかに聞こえるラジオの音と、自分の想像で待つ間の緊張感は今ではなかなか味わえない貴重なものです。
生まれて初めて出た駅伝は中学校の2年生の時、「大田区中学校対抗駅伝」だったと思います。
或いは3年生の時だったか覚えていませんが、1区で下級生のH君が7位で来て
2区を走った私が2位まで上がった時の事をはっきり覚えています。
1区には同級生のライバルが居て、彼を避けて2区にエントリーしたのですが、
やはり今思っても逃げていたんでしょうね!
今の様に写真が発達していればもっともっと写真を残しておけたのですが、
残念ながら中学校時代の駅伝の写真は1枚も有りません。
運よく大学で「箱根駅伝」に4年間連続で出場することは出来ましたが、
自慢できるほどの戦績を残せませんでした。
何かセンスが足りなかったんですが、50年以上たった今の気持ちで取り組んでいたら
もっともっと走れたような気がします。
その大学時代の写真もほとんど残っていません。
先ほど、最近の女子駅伝でのアクシデントの動画を見ながら、複雑な気持ちでいっぱいです。
コメントも沢山読みました。
いろんな意見が有りますが、私個人とすれば「このまま死んでも良い!!」
という気持ちで走っていたことは間違えありません。
彼女たちも同じ思いだったと思います。
大会運営面や指導者の立場から見るとまた違った面が有るのも事実、
応援者としての立場で感じるものも個人個人違うのですが、選手は命がけなんですね。
出来ることならもう一度走り直してみたい気持ちでいっぱいです。
何だかうまく書けませんが、どんなレースを見ても何時もいつも思う事です。
きれい大好き別所沼