現在進行中の「チャレンジ2020」のTシャツは二人の手を通して作られている。
その二人と打ち合わせ中、今度は走るチャレンジャーとしても参加すると云う話になった。
その二人が写真のように硬い約束の元でチームを結成した。
今日は記念すべき日になったが、実際に走ってくれるのは何時になるんだろう?
一人は牧元隆芳君、ボストンマラソンにも一緒に行った40年来の走友で 「TM工房」代表者。
ランニング指導者でもある。
かたやSMILEワークス金子さん。
今この二人で盛り上がっている。
現在進行中の「チャレンジ2020」のTシャツは二人の手を通して作られている。
その二人と打ち合わせ中、今度は走るチャレンジャーとしても参加すると云う話になった。
その二人が写真のように硬い約束の元でチームを結成した。
今日は記念すべき日になったが、実際に走ってくれるのは何時になるんだろう?
一人は牧元隆芳君、ボストンマラソンにも一緒に行った40年来の走友で 「TM工房」代表者。
ランニング指導者でもある。
かたやSMILEワークス金子さん。
今この二人で盛り上がっている。
「チャレンジ2020」 では毎日速報のためにタイム計測とランナーの写真は欠かせない。
走っている時に見る沼の風景とカメラを持って歩きながら見る沼の風景はかなり趣が違う。
歩いている時には余裕が有るからか、夏休みの子供の姿が凄く目につく。
走っていてももちろん目には入っているのだが、
その映像が脳味噌へ伝達されてもその先の風景に繋がらない。
要するにその子の将来だとか、その子の家族や兄弟について、
あるいは友達関係について想像や思いが届き難いのだ。
今日、カメラを持って歩きながら印象に残ったシーンがあった。、
お母さんと麦わら帽子 (見かけは麦わら帽子でも素材は今では麦わらではないと思うが) の子供が
網を持って虫取りをしていた。
(今ではなかなか採集の価値が有る虫が居るとは思えないのだが)
或いは小魚を救おうとしていたのか?
とにかく僕の少年時代は恵まれていた。
毎日のように先生と一緒に網とかごを持って昆虫採集だったから。
しかし、何で先生が一人の少年を毎日のように面倒見てくれたんだろう。
毎日のように感じただけで長~い一日だったり、二日か三日の出来事が
65年も経つと毎日の様になってしまったのかも知れない。
だけど夏休みは毎日わくわくする日の連続だったな。
残念なのは日記が出てきたのだが、ざらざらの紙に鉛筆書き、
長い年月で黄色く変色し更には擦れてしまっている。
わくわくしながら読み始めてみたのだが、それほど感動したり感激する様な事は
ちっとも書いて無くて少々がっかりした。
要するに子供とは言え文章が稚拙なのだ。
幅4メートルの道路を挟んで住んでいた 「室生犀星さん」 なんて父親の顔を見る以上に
毎日会って見ていた (父は仕事へ行くが犀星さんはいつでも家に居た) んだから
もっと文章の書き方くらい教えてくれても良かったのに。
何しろ新聞をとらない人だったから、御自身の記事など掲載されると 「坊や、新聞を……」
と言って私が新聞をあげに良く行ったんだから。
もう、遠い昔のことだなぁ。
それは中学校2年生の夏休みの思い出だ。
前年に新設校 「大田区立馬込東中学校」 へ集団転校した私たちにもささやかな陸上競技部が有った。
有ったと云うより私と岡田京三君の二人で作った様なものだ。
グランドが全く無いと言ってもよいほど狭く、グランドでは走れなかった。
全く弱かったけれど熱心に先生がオートバイで伴走してくれた。
鳥谷先生と云う体育の先生だったが陸上は全く知らない。
それでも私と岡田君の活動を見て一緒に頑張って下さった。
夏休み中の練習が休みになった時、兄が通う高等学校 (東京都立田園調布高等学校)
の練習に連れていってもらった。
兄は3年生、東京都で走り幅跳びの2位になって全国インターハイへも出場していた。
兄の一級下(2年生)の前田さんと云う長距離の選手が一緒に練習してくれた。
多摩川の土手を何キロくらいだっただろう?(恐らく8キロ)
苦しくて苦しくて。 前田さんはしゃべりながら私に合わせてくれたんだとは思うのだけれで、
1日でへこたれ2日目には行くのがつらかった。
兄の顔をつぶしたくないので2日目も最後の3日目も何とかくらいついて走った。
さて、中学校の練習が再開された初日、道路へ出ていつものコースを走り始めた時
とたんに皆が後ろの方に下がってしまった。
いや、私だけが突然飛び出して皆を引き離してしまったのだ。
それほど頑張って飛ばした訳じゃないんだけど、不思議な出来事だった。
たったの3日であんなにも力がついたのか!?
今でも不思議なくらいだ。
お陰でその秋に行われた大田区立中学校の連合運動会の3000メートルで3位になる事が出来た。
あの頃の仲間は皆何してるだろう?
同じ様に60年近く前の道路での練習を思い出したりすることもあるんだろうか?
中学2年の夏休みの思い出だ。
子供の頃、自分には夏休みがあっても先生も休みが有るとは知らなかった。
自然観察と称して先生を誘って毎日の様に
蝶や虫捕り、小川へ入って小魚獲り、よくぞ先生も付き合ってくれたものだ。
私に走るきっかけをくれた渋谷登先生のこと。
先生も若かったけど、時代も今とはうんと違っていたんでしょう。
先生と一緒でない時には兄や兄の友達たちと大森海岸へ出かけて、
海水浴や魚釣り、帰りには必ずアサリをたくさん採って帰ったものだ。
片道4キロ程の道程をとりもちで(今では死語か? ) とり も 獲り? 取り? 鳥?
モチノキからネバネバした糊の様な成分をとって竿を回転しながら
細い竿の先に指で塗りつけてトンボを撮ったりしてた。
全部兄貴に教わった。
兄も立派な先生だったな!
たったの4歳しか違わないのになんでも知っていた兄は私の自慢だった。
その兄は学校の先生になった。
かつて勤務した会社の陸上部の後輩N君は兄が中学校で教えたのだが、
今でも先生、先生と言って集まりに呼ばれている。
こうして夏休みは私にいろいろなことを教えてくれた。
私は孫たちにはこんな夏休みを送ってもらいたいと思う。
今日のチャレンジャー 「下爺と4人の娘」
私が勝手につけたチーム名。
かつての名選手で今も凄い、年齢別ランキングをご覧あれ。
65 | 1位 | 1 | 下工垣 敬一 | 埼玉 | 3:01:20 |
かすみがうらマラソン |
彼と彼にマラソンの手ほどきを受けた4人の女性が参加してくれた。
私は大学4年時に、猛烈に練習して心身共にへとへとになって卒業と同時にランニングにオサラバしてしまった。
今思うとあれは失敗だった。
誘ってくれた企業が2社あったが両方ともけって、とても走る暇はなさそうな会社を選んだのだが、
誘ってくれた2社は、今は誰でもが知っている大企業だ。
その会社を選ばなかった事がもったいなかったのでは無く、
一番記録を伸ばせる時にヘビースモーカーとなって遊びまわっていた事が失敗だったと云う訳だ。
そんな頃、めきめき頭角を現していたのが今日の主役の下工垣さんだった。
その後、28歳で再び走り始めた私は2時間28分までは記録を伸ばしたが、やはりそこまで。
素質の違いが有ったかもしれないが彼は2時間15分台までいった名選手だ。
私の後輩ランナーの佐川君とも交際が有ったと聞き、急きょ佐川君に電話をして旧交を温めてもらった。
お陰で私も久しぶりで佐川君と話が出来た。
ランニングっていろんな人を結びつけるものだな~!
突然だけど大学時代の陸上仲間(彼は慶応ボーイのやり投げ選手だった)大貫君を思い出した。
今日も暑い一日ですね!
今日の 「チャレンジ2020」 で走った村地哲徳さん、昨日に続いて二日間連続のフルマラソンを完走。
もちろん今日は別所沼公園、タイムも3時間43分37秒。
昨日のタイムは聞き損ねましたがやはり3時間台は間違いないでしょう。
昨日は皇居で行われた 「皇居竹橋マラソン」
さすがに今朝起床しようとした時、猛烈に足がつったとと言っていた。
私なんか加齢のためか、ちょっと走っただけで寝ている最中に良く足がつる。
村地さんの目標は来年の 「スパルタスロン」 と云う事だ。
2020年のイベント終了までに何回走ってくれるんだろう?
とにかく脱帽! 脱帽!
いよいよ 「東京オリンピック・パラリンピック」 が5年後に迫ってきた。
今日はその日を記念して清水市長がスターター役を引き受けてくれたのは嬉しかった。
そしてチャレンジャー戸井麻里子さんはこの暑さの中を一人で完走。
水をかぶりながら、40キロ手前ではとうとう足がつって腰を下ろすシーンもあったが
4時間3分15秒という驚異的なタイムだった。
「何とか3時間代に収めたかった!」 と悔しがっていたが、
この酷暑の中での単独走を考えるととてつもないタイムだ。
沢山の人にお集まりいただき、心から感謝申し上げます。
今日の 「チャレンジ2020」 は久しぶりに私がスタートランナーを務めた。
沼のワイアットアープ?こと青い稲妻、青石さんがスターターを努めてくれた。
そのスターター役を明日は、さいたま市の清水市長が務めて下さる。
明日は2020年の 「東京オリンピック・パラリンピック」 のジャスト5年前日に当たる。
それを記念してさいたま市の「オリンピック・パラリンピック部」が粋な計らいをして下さった。
さいたま市では明日からカウントダウンが始まって、5年後の本番へ向けてムードを盛り上げる。
オリンピックの素晴らしさをまだ知らない子供たちには
夢と希望を持って事前の学びをしてもらいたい。
10と云う数の重みをちょくちょく考える事が有る。
今日で 「チャレンジ2020」 が202日を終了した。
ちょうど10分の一、10%、一割、・・・・・・。
今までの事を10回繰り返せば、いや、あと9回だ。
物を考える時数字を使うとうんと面白い事が有る。
別所沼を走る時、4周くらいは訳なく走れる。
その時に 「あ~、こんなこと後10回でフルマラソンだ!」
そして5周走ると 「後8回だよ!」
「あっと言う間に終わりそうだな」
今日はめちゃめちゃ疲れてしまったので、明日また考えてみる事にする。
「チャレンジ2020」 の201日が終わり、自分でも5キロ走ってみた。
別所沼公園のジョギングコースは日陰が有って良い、とはよく言われる事ですが、
走ったあとでコースを写真撮りしてみた。
ところどころの直射日光が当たる個所にさしかかると、あまりの暑さで頭がくらくらするほどだ。
ご覧の様な木陰にさしかかった時にはホッとして、日差しのきつい所へ出る時には覚悟が居る。
しかしこんな公園で日々走れるのは実に幸せ。
大切に後世へ残さないといけない市民遺産だ!
今月の24日(金曜日)は2020年の東京オリンピック・パラリンピック開会のジャスト5年前の日に当たる。
当日は、さいたま市の 「オリンピック・パラリンピック課」 から要請があり
清水市長に 「チャレンジ2020」 のスターターを努めていただくことになった。
9時ちょうどスタートで、何社かの報道機関からの取材も有ると思う。
その日から5年後へ向かってカウントダウンが始まる。
「チャレンジ2020」 としては大変光栄なことで、その日を境に
オリンピック・パラリンピックへの関心がより一層高まって行って欲しい。
昔のオリンピックはいざ知らず、今やパラリンピックとは一体となった大イベントである。
そこで皆様へのお願いとして、以後この大イベントを呼ぶ場合、必ず
「オリンピック・パラリンピック」 と呼んで頂きたいと思う。
スポーツは誰でもが楽しみ、人生での多くの事を学べる貴重なものだ。
今日、第198日目を終了した「チャレンジ2020」 でもパラリンピアンの参加を検討している。
具体的に 「参加したい!」 と云う声もあるのだが、もっと運営のノウハウを積み上げたうえで
さいたま市の 「オリンピック・パラリンピック課」 の指導も受けながら具体化してゆこうと思っている。
当日お時間に余裕のある方は是非スタート時間(午前9時)に別所沼公園ドームへお越しください。
難しい問題だと思うが早い段階で解決してほしい。
当初予算の二倍になってしまうというのがどうも理解できない。
今回の安倍総理の見直し発言になったのは
政府が国民感情を確りと把握していたことの表れでホッとした。
しかし現代のオリンピックは巨大になりすぎている様な気がする。
確かにオリンピック開催は経済効果を生むのは間違いないが、
50年前の東京オリンピックでその後の日本経済の発展に大きく寄与したのは、
新幹線の建設、高速道路建設、競技施設建設などの投資効果は絶大なものが有ったものの
忘れてならないのは円谷幸吉さんのマラソン、東洋の魔女のバレーボール優勝を筆頭に
日本選手団の戦う姿勢の素晴らしさが国民に勇気を与え、夢を与え、感動した人々が
「自分たちにもできるんだ!」
という自信を持って汗を流したことがその後の経済発展の最大の要因だったと思う。
今、日本は十分に発展を遂げたが、ややもすると平和ボケしている次の時代を担う青少年に
感動と希望、勇気を与え、再び日本が発展するために頑張ってもらうきっかけ作りが最も大切だと思う。
お金の問題より人の心の問題が大切だと思う。
今さら言っても遅いのだが、オリンピックは未経験の国で開催することが、
世界の人々が均等に経済発展の恩恵に浴していける最高の手段だと思うのだが。
しかしせっかく掴んだチャンスでもあるから、世界中の国の手本になる様なオリンピックを迎えたいものだ。
個人的には、トライアスロンとマラソンを楽しみにしている。