別所沼スマイルRC(ランニングクラブ)

経歴は問いません。マラソンに興味ある方、別所沼の楠田昭徳へコメント下さい。
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思い出

2007-12-15 19:20:09 | Weblog
 朝、走り終わってから準備中の仕事の打ち合わせで新宿へ出かけた。 南口の改札口を出て甲州街道を見ると必ず思い出すことが有る。 東京オリンピックは何年前だったろうか?、大学3年の時(21歳)だから43年前になるが、そのオリンピック選手選考会を兼ねた毎日マラソンがあった。 毎日マラソンは今でもそうだがその当時も例年琵琶湖で行っていたと記憶するのだが、その年はオリンピックの為に国立競技場を出発して甲州街道をひたすら西へ走って飛田給折り返しのコースで行われた。 折り返し地点には今も記念碑が建っているがその様なことを知っている人が少なくなってゆくのは寂しい限りで、今再び東京にオリンピックを招致しようと言う活動が盛んだがかつて東京でオリンピックがあったことを知らない子供たちが多いということを聞くと、つくずく自分が年をとったと実感する。
 その毎日マラソンへの出場資格を直前の名古屋中日マラソンで獲得し、参加する事が出来た。 当時のビッグレースへの参加標準記録は2時間35分だったが私のもちタイムは2時間29分34秒で記録順のゼッケンナンバーが43番だった。
 レースは中間点(昔はハーフマラソンが無かった)を1時間11分15秒くらいで通過したが、かなり後方の集団だったように思う。 案の定オリンピック狙いで前半を飛ばした選手が次々に脱落してきたが私自身もスタミナ切れで全くの失敗レースだった。 
 丁度新宿駅南口前に差し掛かった時トップがゴールインした花火が打ち上げられて、大きく脱落してしまった自分が情けなく感じながら走ったことを思い出す。
 そんな訳で新宿へ行くたびに思い出すのだが、町の様子は全く変わってしまい、今では同じコースを設定する事も難しいのだろうが、再び東京でオリンピックが行われるならば是非是非かつてのコースを検討して欲しいものだ。
 2~3日前の新聞にゲブレシラセの記事が出ていたが、かつて東京のコースを走りぬけたアベベ・ビキラからの伝統を引き継いでいる自信が感じられるコメントだった。 記録は更新されているもののアベベは史上最高のマラソンランナーだったと思う。 
 そして日本代表で3位になった円谷幸吉さんと中日マラソン(彼も名古屋中日マラソンが初マラソンであり2時間26分台で毎日マラソンの出場権を得ていた)、オリンピック選手選考毎日マラソンと2回一緒に走った事を誇りに思います。
 その円谷幸吉さんのご冥福を祈りたいと思います。