マイケル・ムーアの撮ったフィンランドの教育の動画を見た。
職員室の先生たちの自由な服装や雰囲気がとても気持ちよく、
宿題がないとかテストがほとんど記述式だとか、開放的で自由な様子でした。
でもね、これは、具体的なひとつひとつのことを考えなしにただ真似しても
良い結果にはならないと思うし、アプローチの仕方は様々でいいと思うけど、
「学校って幸せになる方法を見つける場所」・・・ここ、これは、はっとした。
そう言われればそうで、当たり前のことだけど、
日本ってなんか個人が幸せになりたいって思うことが、
あまりおおっぴらに推奨されない感じがあるもん。
幸せの定義もいろいろだろうけど、
「学校って幸せになる方法を見つける場所」だし、人生は楽しむものだと思いたい。
自分は楽しむために生まれてきたと思いたい。
たとえばうちの親のような古い人間は楽しむということに対してあまりいい顔しない。
楽しいから何かするというのは、見下されたり良くないことのように
批判的な目で見られることが多いように思う。
勉強のため、仕事のため、親のため、社会や国のため、
あるいは理想のため、何かを成し遂げるためとかなら褒められるけど
楽しむためというのは、それらに比べたら随分と軽く見られているというか、
むしろ悪いことのように思われがちな気がする・・・特に日本などは。
窮屈な世の中だな。
その動画を見た数日後に、
実はフィンランド式はその後大失敗して学力低下が大変だという記事も見たけど、
教育に関してはいつも試行錯誤で仕方ないと思うんですよ。
時代が変われば人も変わるし子供達も変わるし、
それに合わせた教育をしていくしかない、むしろ試行錯誤であるべき。
何かが成功だと言って丸ごと真似たり、
失敗だと聞いて丸ごとやめたりするようでは、余計心もとない。
常に正しい一つだけの正解なんて、人間相手にあるはずないもんね。
でも、幸せになる方法を見つける場所、
自分にとって幸せが何かを見つける場所、っていう部分は
ずっと同じでいいと思う。
フィンランドの教育
職員室の先生たちの自由な服装や雰囲気がとても気持ちよく、
宿題がないとかテストがほとんど記述式だとか、開放的で自由な様子でした。
でもね、これは、具体的なひとつひとつのことを考えなしにただ真似しても
良い結果にはならないと思うし、アプローチの仕方は様々でいいと思うけど、
「学校って幸せになる方法を見つける場所」・・・ここ、これは、はっとした。
そう言われればそうで、当たり前のことだけど、
日本ってなんか個人が幸せになりたいって思うことが、
あまりおおっぴらに推奨されない感じがあるもん。
幸せの定義もいろいろだろうけど、
「学校って幸せになる方法を見つける場所」だし、人生は楽しむものだと思いたい。
自分は楽しむために生まれてきたと思いたい。
たとえばうちの親のような古い人間は楽しむということに対してあまりいい顔しない。
楽しいから何かするというのは、見下されたり良くないことのように
批判的な目で見られることが多いように思う。
勉強のため、仕事のため、親のため、社会や国のため、
あるいは理想のため、何かを成し遂げるためとかなら褒められるけど
楽しむためというのは、それらに比べたら随分と軽く見られているというか、
むしろ悪いことのように思われがちな気がする・・・特に日本などは。
窮屈な世の中だな。
その動画を見た数日後に、
実はフィンランド式はその後大失敗して学力低下が大変だという記事も見たけど、
教育に関してはいつも試行錯誤で仕方ないと思うんですよ。
時代が変われば人も変わるし子供達も変わるし、
それに合わせた教育をしていくしかない、むしろ試行錯誤であるべき。
何かが成功だと言って丸ごと真似たり、
失敗だと聞いて丸ごとやめたりするようでは、余計心もとない。
常に正しい一つだけの正解なんて、人間相手にあるはずないもんね。
でも、幸せになる方法を見つける場所、
自分にとって幸せが何かを見つける場所、っていう部分は
ずっと同じでいいと思う。
フィンランドの教育