この映画を頭からけなしている人はほとんど見たことがないけど、
一定の賞賛をした上で、この主人公あるいは主人公の生きる日本という国が
ほぼ戦争被害者としてのみしか描かれていないことに対しての不満は
いくつかネット上で見かけました。
それで、実際はどういう感じなのかと、ちょっと構えて見に行ったんだけど、
うーん、後半のいくつかの場面の不自然さ(説明不足?)の箇所以外は、
ただただ丁寧な描写と主人公のすずの柔らかい人柄に好感を持つばかりでした。
素直で優しい人には勝てない。
馬鹿といえば馬鹿だし、意識低すぎといえば意識低すぎ、
鈍いといえば鈍いんだけど、置かれた場所でやるべきことを淡々とやり、
ふわふわと人の好意や悪意の間を浮かぶように泳ぎ、
自分の傷にも気付かず、それで誰も何も責めず、
ずっとやさしいという主人公はとても魅力的だったのです。
でも戦局が激しくなり、悲しい事件が起こる後半になると
さすがの主人公も、精彩が消え、生きる意欲も薄れてしまうようになります。
その辺は、見ていてつらい。
これだけ傷つくと、それはそうなっちゃうよなぁと思うし。
でも結局、なくしたものがたくさんあっても、
彼女の素直さや優しさは結局は全部が失われることはなく
それを取り戻していくような展開にほっとする。
戦争に負けた後に、すずが感情を爆発させるシーンだけは、
ちょっと説明不足だとは思います。
原作ではすずが終戦後に、焼け野原の町に初めて韓国の太極旗が上がるのを見て、
加害側国民としての自分に気づき、さらにショックを受ける、というような
シーンがあったらしいんだけど
映画では太極旗が一瞬見えるだけで終わり、これでは何が言いいたのかわかりません。
この中途半端で意味不明な説明不足のせいで、ネット右翼な人たちが、
終戦後は韓国・朝鮮人進駐軍?たちによる復讐の暴力や虐殺が蔓延した、
と言うようなデマが乱れ飛ぶ状況になってしまった。
このシーンをカットするなら太極旗もカットすればよかったのに、
本当によくわからないシーンだなぁ。でも、どっちにしても、
加害国の人たちひとりひとりを責めることは、わたしにはできないんですけどね。
その人たちの誰かがわたしだったかもしれない。と思うから。
たまたまそこに生まれてそこに育ったら、自分がその人だったかもしれない。
だから、そういう人たちを丁寧に描いた映画を、
被害者としてしか描いてないと非難するようなことがわたしには難しい。
それに、今の世の中でも、加害者性が全くない人なんているだろうか?
そこを厳しく糾弾し始めたら、誰もがつらくつらく生きるしかなくなるのでは?
そう考えると、わたしはやっぱりそういう非難はしたくないかなぁ。
他にもいくつか、意味不明の中途ハンパになってる部分を人に教わって、
腑に落ちないことがいくつかありますが、
全体としては、わたしはこの映画はやっぱり好きです。
すずのような人、立派ではないけど優しく穏やかで呑気な人が好きだし、
その芯の強さにも感服する。とても魅力的な人だと思う。
あと、予告で見たときは、みんな褒めてるけどこれ大丈夫か?と不安になった、
すずの声の、のんですが、心配いらなかった。
そんなに絶賛するほどかな?とは思うけど役柄にとても合ってる声でよかったです。
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