さて、昨日までの続きです。出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
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白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(4)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月8日。
白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より
2.フレーベルの教育思想と幼稚園構想
(1)ペスタロッチーの継承とその批判
フレーベルは、ドイツ・チューリンゲンに生まれ、イエナ大学で自然科学を学修し、測量技師や農園の秘書を務めた後、1805年に初めて教職を経験した。フレーベルにとって、この教師体験はとても満足するものだったようで、「子どもが好きで、教えたくてしかたがない」「自分は教師の仕事のために生まれたかのようだ」と兄に手紙を送っている。彼が初めて教壇に立ったフランクフルトの模範学校は、ペスタロッチーの教育原理に基づいた授業を行っていた。フレーベルは、ペスタロッチーの原理にあこがれ、1805年と1808年にスイス・イヴェルドンにあったペスタロッチーの学園を訪問し、その教育を観察し、実際に教壇にも立った。しかし、そこで見た教育の実際は原理の実現にはほど遠いものであり、フレーベルは動揺した。彼は、基本的に自分をペスタロッチーの弟子と考えていたが、これ以後、ペスタロッチーの教育思想を引き継ぎながらも批判的に検討するようになる。
フレーベルは、ペスタロッチーの何を引き継ぎ、何を批判的に検討して独自の思想を形成したか。その重要なところを整理すると、大きく3つに分けられる。
第1は、「合自然・直観・自己活動による教育」というペスタロッチーの教育方法原理を継承したことである。ペスタロッチーは、1801年に『ゲルトルート教育法(ゲルトルートはいかにその子を教育したか)』を出版し、「メトーデ」(1809年以降は「基礎陶冶の理念」に改称・改良)という教育方法原理を確立させた。メトーデとは、子どもの自然な歩みに合った方法で教えようとする合自然的な教授法である。ペスタロッチーは、子どもの自然な歩みについて、事物から得られる印象を受け容れた曖昧な直観から、明確・明瞭・明晰で包括的な概念(真理)へ進むと考えた。また、直観から概念への発展は、自己衝動に支えられた自己活動によって促されると考えた。フレーベルは、子どもを合自然に直観から自己活動によって教育するという、このメトーデの思想を継承・発展させることになる。
第2は、「教育は誕生時から始まる」という原理を継承したことである。ペスタロッチーは、道徳的生活(愛・信仰)の基礎を合自然的に発展させるものとして、「居間」の生活を重視した。誕生以来、乳幼児期の「居間」における父母の愛は、道徳的・宗教的心情を目覚めさせる出発点として重視された[i])。彼の名言である「生活が陶冶する」とは、特に乳幼児期に始まる生活過程を指している。フレーベルは、乳幼児期の生活における教育を重視する原理を継承し、追究し続けた。
第3は、教育を教材・要素から展開するメトーデの方法を批判し、あくまで教育目的から展開する方法を追究したことである。ペスタロッチーは、直観によって事物を認識する根本的要素として数・形・語の3つを挙げ、これらを通して事物を再構成する道筋をメトーデと呼んだ。これにより、教育は、知識(言葉)を伝達することではなく、知識を組み立てる能力を形成することとして捉えることができるようになった。しかし、このメトーデを追究するあまりに、教育課程を数・形・語のみに還元してしまい、実際には機械的・断片的な教授を生み出す結果となった。そして、メトーデは、ペスタロッチーが目指した人間を道徳状態(自分の良心によって感じ、考え、行動する状態)に発展させるという目的や、子どもの生活現実から遊離してしまったのである。フレーベルは、イヴェルドンの学園でこの形式的教授の実態を目の当たりにし、困惑した。そして、教育目的から展開する教育方法を批判的に追究するようになった。
図4 ペスタロッチーと子どもたち(Pestalozzi,J.H.)(1746~1827)
出典:小西重直『新日本建設とペスタロッチー』西荻書店、1948年。
[i])なお、「居間」とは、彼にとっての理想的な家庭生活を指し、現実の家庭生活とは異なる。ペスタロッチーの生きた18世紀ヨーロッパは、大きな社会変動によって家庭生活の秩序が崩壊を始めるとともに、政治的・経済的不平等が顕著になった。ペスタロッチーは、家庭が崩壊し、愛や良心の欠落した貧困層の子どもたちを見て、彼らを人間として生きさせる方法はないか、貧民も善を欲しているはずだと考えた。民衆の悲惨な状況を作り出している負の源泉をせき止め、人間(とくに貧民)を救済するという使命感に動かされ、「居間」の思想を形成している。
【参考文献】 略 ※(0)参照
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