教育史研究と邦楽作曲の生活

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保育者が「専門職」であるには?―専門的知識・技術だけでは足りない

2012年09月15日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 ⑤の原稿を仕上げていて、ちょいと広く投げかけたいなと思った部分があったので投下。
 内容は、テキスト『幼児教育の理論と応用』でいうと、第11章第3節にあたる部分です。このテキストの出版にむけて少々訂正したものを以下に挙げてみます。授業では、2年後期の科目「保育者論」で教えています。
 保育者養成の教材を作るため、いろいろ調べていると、保育の世界では、「専門職」という言葉が表面的に使われているなぁと感じることがあります。また、保育現場での話を聞いていると、まれに、専門職であるために必要なことが欠けているなぁ…と思うこともあります。そこで、「専門職」概念をもう少し深く考えることができたら、保育者の資質・地位向上のためにやるべきことがもっと広く見いだせるんじゃないかなと思いました。
 卒業を控えて保育者集団に入っていく準備をしている学生たちに、「自分だけの問題」としてではなく、広く「自分たちの問題」として、保育者の専門性をとらえる視点と姿勢を持って欲しい。以下の部分は、そのような問題意識から書き上げたものです。


第3節:保育者が専門職であるには? ―「教師の専門職性」論を踏まえて

 保育者は「専門職」であるべきか。「専門職」を、専門の職業という意味合いで使えばもちろんそうだろう。保育者すなわち幼稚園教諭と保育士は、専門の公的資格を必要とし、専門的な知識と技術とによって専門的職務を遂行する必要があるからである。
 「保育者は専門職である」と言うとき、そこで問題になるのは保育者独自の専門性である。しかし、実は、「専門職」概念をただ「専門の職業」と理解するだけでは、保育者の専門性について十分に考えることはできない。「専門職」という概念は近年はあまり厳密に論じられなくなったが、教育の世界では、1960年代以降の「教師(教職)の専門職性」論の中で、長年議論されてきた蓄積ある概念である。もちろん現代の保育者独自の「専門職」論があってもよく、必ずしも「教師の専門職性」論の文脈で語られる必要はない。ただ、保育者独自の専門職性を追究する上で、近接領域で蓄積ある「教師の専門職性」論から学べることはあるのではないか。
 そこで、本節では、「教師の専門職性」論ではどのような論点があったのかを検討し、保育者の専門性とは何かを考える上で、一定の示唆を得たい。

1.教師の専門職性

(1)professionと専門的知識・技能
 教師の専門性とは何か。科学的真理にもとづく専門的知識・技能か。高度な教育内容か。しかし、このような把握では、上級学校や専門高等教育機関の教師ほど権威は増し、教壇に立たずに科学的研究や技術訓練に熱心な者ほど権威が増すことになる。そうなると、幼稚園教員<小学校教員<中学校教員<高校教員<大学教員という権威の階層が形成され、各学校段階によって異なるはずの教師の専門性の違いが不問に付されてしまう。とくに、最も幼い子どもを対象とする幼稚園教員の専門性が、正当に認識されなくなる。また、子どもとかからわらず、教育をせずに研究のための研究をくり返す教師や、現場と交流しないで研究室や大学にこもっている「理論家」「思想家」「技術者」の方が、高い教師の専門性を有しているという、実態に合わない論旨につながってしまう。そうなると、現場における教育実践を、専門性の中に位置づけられなくなる。教師の専門性を、科学的真理にもとづく専門的知識・技能や教育内容のみに帰着させることは、実態に合わない結論を導いてしまいかねない。
 教師が専門的知識・技術を有していることや、専門職を名乗っていること、社会に専門職であると見なされることとは、同じではない。専門的知識・技術を有していれば、または名乗りさえすれば、社会が専門職として認めるわけではないのである。では、専門職として認められるには、どのような条件が必要なのか。まず、専門的知識・技術の有無は、専門職の唯一の条件なのか、検討してみよう。

(2)専門職の条件 [略]

2.教職の自律性
(1)教師の職権範囲 [略]
(2)教師の専門職性と教師集団
 [略]
(3)「教師の専門職性」論から学ぶこと―保育者が専門職である/になるために
 以上、「教師の専門職性」論をおおまかに検討してきた。ここから、保育者が専門職である/になるためには、どのようなことが必要なのかを考えてみよう。
 専門的知識・技術は専門職の重要な条件ではあるが、それだけでは専門職にはなり得ない。必要条件ではあるが、十分条件ではないのである。保育者が専門職である/になるためには、専門的知識・技術の向上だけでなく、他にも努力すべきことがある。
 他にも努力すべきこととは、次のようなことである。まず、保育職の範囲と機能とを明確にすることである。保育職には他の職種と協力してやるべき職務もあり、どこからどこまでが保育者の職務かについて明確にしていく作業が不可欠である。
 また、専門的判断・措置について、利用者や上司・雇用者から信頼して任せてもらえるように、保育現場における判断・措置を適切に行うための資質を身に付けるように努めなければならない。なお、この資質は、一部の保育者だけでなく、すべての保育者が身に付けなければならない。保育の専門的知識・技術についても、広く深い一般的教養と専門的・批判的研究にもとづいて、高度化していかなくてはならない。
 さらに、現行法令の範囲内で、保育者の資格・養成・待遇・研修等について有効な自主規制・維持改善を行いうる保育者集団を形成・育成しなければならない。また、普遍的精神のもとに、営利的立場に陥らずに社会へ奉仕し、己の職務に没頭することのできる文化・倫理を形成していかなければならない。
 これらのことは、一人ひとりの保育者がそれぞれ努力していくだけでは実現できない。保育者個人の努力に加えて、集団として、協力・協働して実現させるものである。

<主要参考文献>
市川昭午『専門職としての教師』明治図書、1969年。
奥田真丈・永岡順編『教職員』現代学校教育全集第16巻、ぎょうせい、1980年。
永岡順・熱海則夫編『教職員』新学校教育全集26、ぎょうせい、1995年。
佐藤学『教師というアポリア―反省的実践へ』世織書房、1997年。

 (以上は、白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用2、社会評論社、2013年に所収しております)

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