教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

資料提示器具としてのタブレット端末についてメモ

2016年11月09日 20時26分06秒 | 教育研究メモ

 私の所属大学では全学生にiPadの配布を行って、積極的に授業で使用しています。私はずっと紙資料・板書派でしたが、時代の波には逆らえず、積極的に使用して授業するようになりました。小中高校でもどんどんタブレット端末の導入が進んでおり、教員養成の教育内容としても重要性を増しています。教職課程担当教員がタブレット端末を使えないというのは、笑えない時代になってきました。

 さて、このタブレット端末の使い勝手について思うことがあったので、少しメモしておきます。というのは、授業資料が複数ある場合の提示器具として使うのは注意が必要だということ。

 現在のiPadは、画面に同時に複数窓を表示することができないため、いちいち切り替えなければなりません。つまり、iPadひとつでは同時に違う資料を見比べることができないということです(最近少しできるようになりましたが、画面が小さくて読むのは難しいです)。紙資料の場合、机に広げられる限りで複数の資料を広げて見比べることができます。iPadだけではこれができない。複数の資料から読み取って内容をまとめる、という学習法がやりにくいのです。iPadで資料を提示するのは便利ですが、やはり印刷した紙資料を全廃することはできなさそうです(iPadが複数あれば違うかもしれませんが…)。

 学生全員が見ることができるスクリーン・電子黒板などを併用すれば、複数資料の読み取り学習の可能性が少しあります。ただ、提示できる範囲は画面や文字の大きさなどに制限されるので、提示できる情報量は多くありません。教授・学習上、やりにくいことには変わりないです。

 紙の節約という別次元の要請も意識しながら、配布資料をデータ化してiPadによる提示だけで授業できないか模索してみましたが、やっぱりそういう風な使い方が得意な機器ではなさそうですね。今は紙資料とiPadの併用に落ち着きました。小中高校でも、電子教科書の導入がだんだん現実的になってきていますが、これだけで何とか出来ると思わないことが大事ですね。

 もちろんタブレット端末には別のところにいいところがあります。やはりネット検索機能や各種アプリを使えることは魅力的。いまや調べ学習には必須。そのへんでさらなる活用を模索してみたいと思います。

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