イスタンブールの歴史地区で最後に見学したのはブルーモスクの傍にあるアヤソフィアだ。
アヤソフィアは元来キリスト教の大聖堂であり、また諸皇帝の霊廟としても用いられた。
東ローマ帝国の代表的な遺構は今は博物館となっている。
キリストと皇帝(10世紀初頭?)
本堂への中央入口はもともと皇帝の典礼にのみ使われたそうで上部にモザイク画がある。、
キリストを取り囲むように聖母マリアと大天使が配置され、キリストに礼拝する皇帝が描かれている。
見学順序は後先だが、まず2階から見た全景。
最初の聖堂は360年コンスタンティウス2世の手によって正統キリスト教会の聖堂として建立された。
2度の焼失ののち537年にビザンティン建築の最高傑作と評価される大聖堂が再建された。
円柱も壁も大理石が使われ柱頭の透かし彫りも素晴らしい。
アヤソフィアのシンボルである中央の大ドームは高さ56m、直径31m。
聖母子と大天使(870年代?)
アプス(半円形の後陣)に残る5m近い聖母子の座像のモザイク画。右側には大天使が見える。
1453年コンスタンティノポリスを占拠したオスマン帝国のメフメト2世は大聖堂を没収、モスクへの転用を宣言した。
十字架が取り外されミフラーブが加えられたが、内部の改修は必要最低限にとどめられた。
ミフラーブはメッカの方向を示すため建物の中央より、ややずれて配置されている。
またスルタンが礼拝するための祈りの席が設けられた。
6mもの円盤に描かれた歴代のスルタンの花押が何枚も掲げられていた。
漆喰を剥がした痕跡
オスマン帝国はモザイク画を破壊することはせず、漆喰で塗りつぶしていた。
1847年アブデュルメジト1世の命により、漆喰が剥がされ本格的な調査が行われたが、
調査完了後ふたたび漆喰が塗られた。
トルコ革命後、1931年にアメリカのビザンティン研究所がモザイクの調査を始め
1950年代までモザイクの調査と漆喰の除去を行った。
ディシス(13世紀後半)
2階ギャラリーに描かれたモザイク画のディシス。デイッスとは「とりなし」の意味。
下部がほとんど剥がれている。
剥がれているモザイクの拡大。
元はこういう絵だったらしい。
中央のキリストにマリアと洗礼者ヨハネが人々の罪を許し救済することを請うている。
聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻(1122年から1134年頃)
12世紀に作成された、コンスタンティノポリスに残る唯一のモザイク画として貴重だという。
ベルガマの壺
ベルガモン遺跡の神殿跡の大理石で造られているという壺。
昔は外に置かれイスラム教徒が礼拝の前に体を清めるための水が入っていたらしい。
キリスト教とイスラム教、全く相容れない宗教でありながら、
貴重な建築美術が破壊されることなく残されたのは素晴らしいことであった。
イスラム教の時代ありキリスト教の時代あり、大きな変遷の歴史ですね。
キリスト教時代の建物が破壊されずに手を加えただけで利用されたというのは
すばらしいことですね。相反する宗教だからと何でも破壊弾圧するのは、
その宗教自体も狭量にすると思いますから。
私は「アヤソフィア」というのを今回初めて見せていただいたのですが、
これまたすばらしい建築物でその場にいたら文字通りぽかんと口を開けて眺め
ぼーっとしてしまいそうです。
スルタンの花押は直径6mもの円盤に描かれているのですか。それが何枚も
余裕を持って掲げられているのですね。どんなに大きな建物なのなのやら。
今のような便利な重機があるわけでもないのに
よく造りましたね…圧倒されます。
その全景を拝見して、如何に壮大な建築物であるかを一瞬にして理解出来ました。
ビザンティン位しか記憶ありません。
しかし、6世紀頃に、このような建築物が建てられ、美術的にも素晴らしいものを
遺したことは驚異でもあります。
大理石の柱頭の透かし彫りと言うのは 凝っていますね!
世の中、偉大な人物は沢山ありますが、私としましては 建築家を殊に尊敬しています。
不思議なんですね・・・
遺跡、文化物は やはり時の為政者の判断に依って、破戒されたり、原形を留めたりするものですから
このように、多少の変化はあっても その姿を伝え続けているのは 素晴らしいことですね。
こう言うことを拝見できる おーちゃんのブログに感謝しています♪
日本は将軍など権力者が変わってもほぼ単一民族であり大和朝廷の流れで一貫していますし、
外国から支配されたことも宗教的に大きな変化もありませんでしたから、
トルコなどの歴史は想像を絶するものがあります。
そんな中でアヤソフィアのような素晴らしい建築が残されているのは驚きです。
昔の人は重機もなくて巨大なものを構築する智恵と熱意が凄かったようですね。
材料として大理石が豊富だったというのも影響しているでしょうか。
日本でも奈良時代に法隆寺、唐招提寺、東大寺大仏殿などを建築しているのは誇るべきことでしょう。
日本は木造なので焼失のケースが多いですが、
為政者が歴史的建造物を破壊しないという姿勢は望ましいことですね。