我が家から少し北に、立派なケヤキの屋敷林が残っているところがある。
住んでいるところは横浜の西のはずれで境川で大和市に接している。
室町時代には大和市に深見城というのがあって、
境川のこちら側にも中屋敷、馬場屋敷、牢場坂などの地名が残っている。
大和市最古で927年の延喜式にその存在が記録されている深見神社についても、
その大門が境川のこちら側にあったらしい。
中屋敷には、大きな農家だったことをうかがわせる旧家も残っている。
こういった農機具も戦後しばらくの時期まで活躍していたのだろう。
今は少なくなった手入れのよい生垣が昔をしのばせる。
生垣にはカラタチが利用されたこともあったに違いない。
このあたりは鎌倉古道になっていて人々の往来も盛んだったようだ。
お地蔵さんから少し北へ行ったところには瀬谷銀行跡がある。
明治期に盛んになった養蚕業の関係で明治40年に設立され、のちに鎌倉銀行と合併した。