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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

奥多摩のんびり日帰りツーリング

2007年11月25日 | 田舎暮らし
 一年ぶりに奥多摩に行ってみました。20年ほど前は毎週のように、奥多摩,奥秩父,山梨などの山間地域を民俗調査のために歩いていました。古い民家に行っては、そこに住んでいる古老から昔の作物を中心にした農業を中心にした生活文化を聞いていました。実際に作っていた作物(ヒエ、アワ、モロコシ、キビ、小豆、シコクビエなど)の種子を貰い受けることもありました。あれから20年経って、話を聞いた古老達がだんだん亡くなって寂しいかぎりです。

              今や奥多摩の象徴でもある小河内ダム


 奥多摩の小河内ダムに最初に行きました。しかしながら、連休のためかとても道が混んでいました。最初、サマーランド前で渋滞、次に青梅の吉野梅郷で渋滞、そして小河内ダム前で大渋滞です。ダムに着いたのは午後1時頃で予定よりだいぶ遅れてしまいました。
 当初は丹波山村に行く予定でしたが、だいぶ時間が過ぎていたため今回は丹波山村は行きませんでした。この村の古老達には、いろいろな雑穀の種をいただいたり、その作り方を教わりました。しかし、今では雑穀を作っている人は誰もいません。昔雑穀が栽培されていた畑はソバ畑になっていました。

             小菅村金風呂付近の小河内ダム湖畔


 次に、丹波山村から経由する予定だった小菅村に行きました。12月はもうすぐのため村人も冬の準備をしていました。冬野菜の世話や漬物作りに忙しそうでした。家の軒下には、干した菜っ葉がぶら下がっていました。

    誰もいなかった通称原始村         漬物用の菜っ葉の乾燥
 

 小菅村を過ぎて山の道を延々と走っていると、ようやく山の中にある長作に着きました。とても小さな集落です。

              長作付近の舗装された山道


 長作では休憩も兼ねて長作観音堂を見学しました。昔はとても山深かったであろうこの集落に、8世紀頃建立のとても古い観音堂があります。長作を過ぎると、山梨県上野原の西原に着きました。この西原は、雑穀の村として有名でした。私もここのある家に何度も着ては泊まっていました。秋にはキビ、アワ、モロコシ、シコクビエなどの雑穀の収穫を手伝いました。夜には雑穀を食材にした夕食をいろいろ食べさせていただきました。雑国に関する資料もいただきました。しかし、その家の古老が亡くなってからは行くこともなくなりました。

       長作観音堂           壊れた水車小屋(水車の軸が残存)
 

 西原には以前現役の水車がありました。その小屋に行ってみました。しかし、水車の軸は残っていましたが水車本体は無くなっていました。小屋は雑草に囲まれており、ここ数年使われていないことは明らかです。この水車には大きな石臼が設置してありました。当時、このの住民は決められた順番に水車を使って製粉していました。以前、台風による大水で壊れたこの水車を、村人と一緒に修理したことを思い出しました。

            雑穀がよく栽培されていた西原の広々として畑


 西原を過ぎて八王子に帰りました。この頃になると、日が影って風も冷たくなってきました。この付近は山に囲まれている地域のため、午後3時過ぎるともう家々は山の陰がかかります。早いところでは午後13時には日が当たらなくなる家もあります。とても、自然条件が厳しい地域です。

            西の方を仰ぎ見るも富士山は見えず


 西原から八王子に戻るために和田峠を越えます。この峠までの急な道をひたすら登ります。この地域の家々はこれから冬支度でしょうか、山の沿った急な斜面畑には漬物に使う白菜が畑にたくさん育っていました。晩秋の風物詩でもある干し柿を横目で見ながら和田峠を越えました。

  木の頂上付近に取り残された柿        夕日を浴びる紅葉
 

 和田峠を越えると、広大な関東平野が一望できる箇所があります。遠くを見ると新宿の高層ビルがポツポツと見えます。すっかり日が傾いて、山の陰が山すそを覆わんばかりです。高尾山からの下山客も足早に歩いていました。

           和田峠から、八王子,関東平野を見下ろす
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