東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その5)

2013年09月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猛暑のため8月はウォーキングをお休みしていましたが、9月になりウォーキングを再開しました。今月は、田布施川沿い史跡めぐり8回シリーズの5回目です。
 最初の予定では、8月の下見で歩いたとおりに田布施交流館から城南公民館までウォーキングすることにしていました。しかし、変更を余儀なくされました。城南小学校が運動会だったため、城南公民館内広場は駐車する車で溢れていました。このため、交流館に戻るための車を駐車できませんでした。予定を急遽変更して、交流館を出発して交流館に戻るルートに変更しました。

      長田の聖観世音菩薩堂           田布施川右岸をのんびりウォーク
 

 最初に岸信介氏のお墓詣りをしました。私が学生の頃、確か山口県人会か何かの会合の時に、杖をついておられてのを見たことがあります。その時に、写真を撮らせてもらうなどしておれば良かったと思いました。お墓参りの後、200m位歩いた先にある聖観世音菩薩堂に行きました。

                 林の中で、4世紀に作られた国森古墳を見学


 長田を過ぎると、田布施川右岸堤防の歩道をのんびり歩きました。つがいの鴨や川底を泳ぐハヤなどを見ながらのんびり歩きました。そして、雑談をしながら楽しく歩きました。秋になったとは言え直射日光の暑いこと。でも、ときたま吹く風の気持ち良いこと。

        クモの巣がはる雑木林をかき分けながら、石走山古墳にたどり着く


 最初に見学した古墳は国森古墳です。4世紀頃に作られた、田布施で最も古い古墳です。ほとんどが円墳の中で、この古墳だけは珍しい方墳です。また埋葬方法も、古い形式である竪穴式です。他のほとんど、例えば石走山古墳や後井古墳は横穴式です。

   石走山古墳見学後、雑木林を下山      後井古墳前で、立札の説明を読む
 


 次に、隣りの山にある石走山古墳に行きました。石走山の緩い山道を登っていると、鳩の骨が散乱していました。レース鳩だったのでしょう、緑色の足輪を見つけました。レース中に、この場所で鷹にでも襲われたのでしょうか。
 石走山古墳周辺は手入れがされていないようでした。クモの巣が張る雑木林の中を、下草をかき分けるように進むと古墳がありました。

     とても広い後井古墳内部          蚊に追われるように後井古墳を退散
 

 石走山古墳を見終わると、後井古墳に行きました。ゆっくり見ようと思いましたが、大量の蚊が襲ってきました。後井古墳前で昼食をとって休憩するつもりでしたが、蚊のあまりの多さに別の場所に移って昼食をとりました。風が吹く場所は比較的蚊が少なく、道端に座っての昼食休憩となりました。

           後井古墳から200m位田布施苑寄りの道端で昼食休憩


 休憩が終わると、田布施苑に向かって歩きました。この頃になると、日差しもさらに強くなりました。着いた田布施苑でトイレ休憩をしました。苑内はクーラーが効いていて、少ない時間ながら涼むことができました。体を冷やした後、次に富永有燐の墓所に向かいました。その場所は、田布施苑を見下ろす小さな丘にありました。いろいろな時代の、変わった形のお墓がたくさんありました。

       涼んだ田布施苑を出発             富永有燐の墓所を散策
 

 富永有燐墓所から、木陰の山裾を通って瓜迫農村公園に行きました。この公園の北側に、富永有燐が晩年に住んでいた庵跡がありました。今は雑草ばかりで、庵があったことさえ分かりません。そして、その横に巨大な富永有燐の碑が立っていました。その碑の直下には、吉田松陰から富永有燐へあてた文が石碑として彫られてありました。

 吉田松陰から富永有燐へあてた文      仰ぎ見るような巨大な富永有燐石碑
 

 以前あったはずの富永有燐の庵は、跡形も無くなっています。倒壊後、誰も修復しなかったのでしょう。「残念!」の一言です。富永有燐が活躍していた頃、幕末から明治にかけてたくさんの長州人が亡くなりました。例えば八海地区では、第二奇兵隊事件などの出来事が古老に口伝えされています。

                瓜迫農村公園の前で、今回の参加者7名


 富永有燐碑を見終わると、ひたすら交流館に向かって戻りました。途中、観音橋近くで古代米アートを道から見下ろしました。7月の事前調査時は苗を植えたばかりで文字や模様がよく分かりませんでしたが、今回は「WE LOVE TABUSE」とはっきりと読めました。お米の種類別田植えも大変だったでしょうが、これからの稲刈りも大変だと思います。
 交流館で解散後、数名が郷土館に行きました。そして、今回見学した後井古墳などの出土物を見ました。そして、古代の田布施について思いをはせました。

 今回参加された方々、お疲れ様でした。

      きれいに色づいた古代米            郷土館内で出土物を見学
 

 ※第1回から最終回の第8回までのウォーキングは、次のとおりです。クリックしてみてください。

  第1回 麻里府~八海   第2回 田名~平生     第3回 八海~交流館
  第4回 平生~交流館   第5回 交流館~城南   第6回 交流館~行者山~田布施街
  第7回 城南~光市塩田 第8回 小行司~余田畑

==========健康ウォーキングクラブ==========


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