東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川沿い史跡巡りウォーキング8回シリーズ(その5)の事前調査2/2

2013年07月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田布施川沿い史跡巡りウォーキング8回シリーズ(その5)の事前調査1/2では、歩く距離が11kmもあるなどの問題がありました。このため、ウォーキングルートを大幅に変更して6km程度のコースを考えました。そのルートは、交流館から田布施川の上流に向けて右岸を歩いて、国森古墳方面などを経由して城南公民館まで行くルートです。今回、バイクで走ってルートを確かめてみました。この猛暑、バイクとは言え刺すような日射でした。

     スタート地点の交流館バス停留所        田布施川右岸を上流に向け走る
 

 まずは、交流館から田布施町役場前を通って、詩情公園を左に見ながら田布施川の右岸をどんどん上流に向けて進みました。30分位堤防の道を進むと、田んぼアートが見下ろせる場所に着きました。古代米(有色米)を使ったアートですので、秋にならないと何が描かれているのか分かりません。去年10月の田布施町ウォーキング大会の時は、はっきり見ることができました。

  何かが描かれているようですが、秋にならないとはっきり分からない田んぼアート


 田んぼアートを見下ろした後、国森古墳の入口まで行きました。下見の時は古墳まで登るつもりです。続いて、石走山古墳の入口まで行きました。ここも下見の時は、古墳まで行くつもりです。石走山古墳を過ぎると、山陽本線の上をまたぐ陸橋を渡りました。

     国森古墳入口の案内板         石走山古墳入口、階段を登ると古墳に
 

 私が中学高校の頃、山陽本線をまたぐこの陸橋はありませんでした。何年か前に農免農道として開通したのではないかと思います。この陸橋のおかげで、西田布施から城南や宿井方面へ行きやすくなりました。ただ、それほど走っている車がいません。

            陸橋から、田布施川,山陽本線,城南,そして石城山を見て


 陸橋を過ぎてしばらく行くと、右手に行く舗装道路があります。その道を右手に100m位行くと後井古墳があります。今回はルート探索が目的ですのでスキップしました。陸橋からの道路を直線にどんどん進むと、田布施苑に行く道が見えてきます。本番ウォーキングでは、田布施苑でトイレ休憩する予定でいます。

    田布施苑ではトイレ休憩予定           見上げるような富永有燐碑
 

 田布施苑西側の小高い場所に富永有燐の墓地があります。そして、その墓地から下ると瓜迫農業公園があり、その公園の向かいに巨大な富永有燐の碑があります。富永有燐は幕末に吉田松陰などと親交があり、明治以降この地で私塾を開いていたそうです。
 富永有燐碑を確認すると、城南公民館に向かって走りました。途中、田んぼを掘り返しているブルドーザーなどの大型機械がありました。この付近は、古代は海の下でした。半年ほど前の新聞に、この付近の史跡調査で漁具などが発見されたことが載っていました。

   古代は海だった城南の広い田んぼ           終点の城南公民館
 

 前回調査したルートは距離が11kmもありました。全面的に見直した今回のルートは、5.5kmでした。本番では後井古墳にも行くので、トータル6km~7kmになると思います。とても歩きやすい古墳散策を中心にしたルートです。なお、終点の城南公民館から交流館までは車で戻る予定でいます。

            古墳散策を中心としたルート ※橙色矢印は本番で通る道

コメント
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