佐藤彦五郎記念館に続いて井上源三郎記念館に行きましたが、これまた私設資料館のため閉館していました。井上源三郎は遅咲きの人のようです。天然理心流を習っていたようですが、なかなか免許皆伝になりませんでした。しかし、近藤勇達と共に京都で新撰組のメンバーの一人となりました。無骨ながら新撰組でまじめに働いたのでしょう、粛清の対象になることもなく組長に抜擢されました。しかし、戊辰戦争時の鳥羽伏見の戦いで銃弾を受けて亡くなりました。
日野宿本陣近くにある井上源三郎記念館
新撰組のふるさとである多摩地区は、士農工商の身分が緩かったのか、農民や商人が刀剣を趣味にする刀剣講があったそうです。正義感が強い人が多く、犯罪を起こした者を追い詰めて殺した事件もあったようです。それだけ、農民や商人であっても武士に憧れがあったようです。そのため、武士の最高位である将軍を信頼していたようです。そのため、新撰組メンバーは「侍より侍らしく」を掟にしたのでしょう。
井上記念館近くの地蔵尊 八坂神社の鳥居 八坂神社本殿
同じ多摩地区の八王子には千人同心と呼ばれる組織がありました。もともとは武田信玄につらなる家臣だった集団が、武田氏滅亡後に徳川家康に取り入ったようです。一番の務めは日光東照宮を警護する任務だったようです。やはり徳川将軍を誇りに思っていました。隣は日野市ですので、新撰組とも何らかの関係があったに違いありません。甲陽鎮撫隊が八王子を通過した時には歓迎したようです。
トタン屋根でレトロな駅舎のJR日野駅 日野駅内の新撰組案内コーナー
井上源三郎記念館を出ると、裏道を通ってJR日野駅に向かいました。途中、お地蔵様を見たり八坂神社を見たりしました。甲州街道をしばらく歩きました。私が八王子市に住んでいた頃、この通りに合った種屋さんによく行きました。雑穀の種や地元産の種を買いました。その種屋さんはどこにもありませんでした。JR日野駅に着きました。懐かしい赤い屋根のレトロなJR日野駅は昔そのままでした。違いは、駅構内に新撰組の案内兼お土産屋コーナーがあったことぐらいでしょうか。JR日野駅から我家に帰りました。
今回ウォーキングした、日野市の新選組などの史跡コース
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