東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 赤子山 史跡巡り下見ウォーキング(3/3)

2022年06月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 赤子山頂上から東に向かう尾根をゆっくりと下りました。下草が生えていない山道なので、のんびりと森林浴しながら歩きました。宇佐木の家々が見え始めた頃、怪しげな階段が上に続いていました。何か上にあると直感してその階段を登りました。すると、あとで宇佐木の方に聞いて分かったのですが、金毘羅社がありました。金毘羅社は海辺に多いのに、この金毘羅社は山の中にあります。これまた宇佐木の方に聞くと、古代ににおいて宇佐木は海辺だったとのこと。干拓前の宇佐木は海だったのです。今は宇佐木から遠くに海辺がありますが、江戸時代初期まで海岸は宇佐木近くまであったようです。

         宇佐木の山の中に鎮座する金毘羅社の鳥居


 金毘羅社を出ると、小川を跨ぐように建築された変わった家を見学しました。この家の持ち主にお話を聞くと、今の建築法では建て替えはできないそうです。つまり、住み続けるためには修繕しかできないとの事でした。続いて万徳寺に寄りました。そして、本番史跡巡りウォーキング時にトイレをお借りすることをお願いしました。快諾いただき感謝です。その後、早乙女塚に寄りました。田布施にもある早乙女塚、この平生の早乙女塚も、早乙女が武士に切られた伝承がある塚です。今、その塚の近くに説明板が碑として立ててあります。田布施の早乙女塚も碑を建てたいものです。

   小川をまたぐ家      寄った満徳寺     田んぼの早乙女塚
  

 早乙女塚の碑を眺めていると、平生町史研究会の方に偶然出会いました。このコロナでなかなか郷土館に行けなくて残念とのことでした。コロナ惨禍が早く終わって、自由に郷土館に来ていただけるようになればと思います。天池に沿う大内川を下流に向かってどんどん歩きました。途中のお地蔵様や稲荷社などを見学して、出発地に戻りました。下見ウォーキングに参加された方、お疲れ様でした。

        平生町 赤子山史跡巡りウォーキング下見ルート


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