東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 新嘗祭上納 献穀米抜穂式神事を見学

2017年09月22日 | ふるさと



 21日午前、田布施町では33年ぶりと言われる新嘗祭上納 献穀米抜穂式に行ってきました。少し遅れて行ったため、私が着いた時には式は始まっていました。この新嘗祭は山口県内を田んぼを変えながら毎年どこかで行われているそうです。今年は田布施町とのこと。

   勢ぞろいした刈女      農業関連の方々     刈り取りの前にお神酒
  

 33年前にも田布施の田んぼで行われたそうでが、私が結婚したばかりの頃です。しかも、当時は東京で暮らしていた為知りませんでした。東京にも少ないとは言え田んぼはあります。毎年どこかで新嘗祭が行われているのでしょう。
 
 稲刈りに使う鎌が刈女に手渡される    奉耕者に先導されて田んぼに向かう
 

 新嘗祭献穀米抜穂式神事の式が進行し、最後に全員にお神酒が配られました。斎主である高松八幡宮の宮司さんより乾杯の挨拶がありました。続いて、刈女(かりめ)に鎌が手渡されました。そして、奉耕者に先導されて田んぼに入りました。

      田んぼの前に並んだ、これから稲刈りをする刈女などの方々


 稲刈りが始まる前に、稲刈りをする刈女などの方々が田んぼの前に並んで紹介がありました。 その後、稲刈りをする方々は田んぼに入りました。そして、厳かに稲刈りが始まりした。儀式ですので3列だけを刈りました。刈り取った稲は束ねられて、刈女の方々により運ばれ、テント横に置かれた竹にはさ掛けされました。その後、記念写真が撮影されて神事が無事に終わりました。関係者の方々、お疲れ様でした。

      3列ほど厳かに稲刈り         全員で記念写真 右:刈った稲
 

 新嘗祭の由来を私はよくは知りませんが、日本書紀や万葉集にこのような神事が出てくるそうです。私の考えでは、稲作が始まった弥生時代に起源があるのではないかと思います。弥生時代以降、お米は生きるための糧となりました。そのため、古代に生きる人々は毎年のように神に豊作を祈ったに違いありません。その神事が永い間に儀式化され統一化されたのが新嘗祭ではないかと思います。
 なお、田植え時に苗を植える女性を早乙女(さおとめ)または植女(うえめ)と呼び、稲刈り時に稲を刈る女性を刈女(かりめ)または御刈女(おかりめ)と呼ぶとのことです。

         記念写真後、並んだ刈女(かりめ)の方々

コメント
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