東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 竹部、御蔵戸方面ウォーキングの下見(1/2)

2017年08月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ウォーキングを再開する9月が近づいてきました。そのため、まだまだ暑い中をウォーキングの下見に行ってきました。お盆を過ぎる頃から少しずつ涼しくなるはずが、まったく涼しくなりません。猛暑の中を5人でのんびり下見に出かけました。今回は、田布施町竹部地区と御蔵戸地区の史跡を探索しつつ下見をしました。猛暑で疲れまくりました。

 河村徳尚武信の石碑     東竹部薬師公会堂    現公会堂建設時の写真
  

 郷土館に10時集合して、最初に河村徳尚武信の石碑があるK氏邸を訪れました。しかし、ご不在でした。そのため、遠目に石碑を見させていただきました。続いて、東竹部に行きました。最初、東竹部の史跡を案内していただく町議のSさんを訪ねました。すると、すでに薬師公会堂に行っておられるとのことで、すぐに公会堂に向かいました。すると、Sさんと班長さんが待っておられました。ありがとうございました。

            東竹部薬師公会堂に安置された薬師様


 東竹部の薬師公会堂に安置されている薬師様はもともと、西竹部との境付近に建っていた薬師堂に安置されていたそうです。お堂が古くなったため、新しく現公会堂を建てた時に薬師堂から引っ越ししたとのことです。それらのお話を聞いている時、私は初めて竹部に東地区と西地区があることを知りました。そして、西竹部に「寮」があったことを知りました。ありがたいことに、Sさんに西竹部も案内していただきました。

  薬師堂跡を指すSさん    西竹部の岡の寮跡     西竹部の公会堂
  

 東竹部と西竹部の境近くの丘に登ると、「寮」があったとされる場所がありました。西竹部では「岡の寮」と呼ばれていたそうです。偶然でしょうが、竹尾にも「岡の寮」があります。こちらは建物がまだ残っています。たまたま、近くで草刈りをしていたOさんにお話を伺うことができました。Oさんによると、戦前に尼さんが住んでいたそうです。
 お寺の形態には、お堂,寮,庵,院,坊,寺がありますが、お堂は人が住まず、寮,庵,院,坊,寺に尼さん,修行僧,ご住職などの人が住んでいました。各地に残る「寮」跡には、主に尼さんが住んでいたようです。ほとんどの「寮」が戦争中に無人となりました。

          西竹部公会堂のお地蔵様、午前中に地蔵盆の催し


 西竹部に着くと、鍵を持っておられるTさんに西竹部公会堂を開けていただきました。ありがとうございました。Tさんのお話では、この日の午前中に公会堂で地蔵盆があったそうです。公会堂内に入らせていただくと、木造と思われる立派なお地蔵様が安置されていました。かつてこのお地蔵様が「岡の寮」にあった頃、毎日のように尼さんが拝んでいたのでしょう。

     立派な木造のお地蔵様         竹部印の提灯が数個
 

 失礼ながらも、ブリキ缶の中にあった竹部印の提灯数個を見させていただきました。何に使われたか知っている人はいないようでした。ずっと使われず、云い伝えられたなかった提灯のようです。もしかして、麻郷の高松八幡宮で今でも行われている「お迎え提灯」のような夜祭りに使われたのかもしれません。八幡八幡宮か祇園社か菅原神社で提灯を使う夜祭りがあったのかも知れません。かつての儀式であった虫送りや野辺送りに使われていたのかも知れません。今やそれを知っている方はおられないようでした。

        今回下見ウォーキングした竹部地区と御蔵戸地区

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