1/2からの続き。
茶臼山古墳の円墳部に登って、周りの景色を眺めました。この古墳ができた頃、今の柳井市の古開作,新庄,余田は海だったはずです。さらに田布施,平生方面に海が続いていたはずです。この古墳ができるさらに数百年前、この付近の勢力の中心は柳井ではなく田布施だったと思われます。余田付近の海が閉じて、上関半島が島ではなく半島になった頃に何かが変わったのではないかと思います。私は、余田付近の海の閉鎖による海上交通の変化が勢力に変化をもたらしたのではないかと思います。
茶臼山古墳脇の資料館 石鳥居の向こうに代田八幡宮の社
茶臼山古墳の脇にある資料館を少し見学して、次に代田八幡宮に向かいました。途中柳井病院隣を通過したのですが、誤って川に沿う道を下ってしまいました。道を戻って予定のコースに戻りました。ため池横を通って代田八幡宮に入りました。代田八幡宮を見学後、しばらく歩いて菅原天神に行きました。境内には、青銅製の大きな牛が寝そべっています。
青銅製の大きな牛が寝そべる、色鮮やかな菅原天神
菅原天神を過ぎると、柳井川の堤防沿いの道を下流に向かって歩きました。柳井湾に出ると漁港がありました。漁協関連の方にお話を聞くと、この漁港は山口県漁協の柳井支部的な所だとのことでした。阿月にある建物に、事務などをする人が勤めているとのことでした。この漁港からは、さきほどまで歩いていた茶臼山古墳や柳井病院などが見えました。漁港を後にしてすぐ、柳井排水機場に着きました。その排水施設に並行する橋を通って、川の反対側に渡りました。
漁港から琴石山を見て 〇:茶臼山古墳 柳井川排水機場 矢印:渡った橋
柳井川排水機場の橋を渡ると、火力発電所に向かって歩きました。しばらくすると、国道新188号線が通る大きな橋の下をくぐりました。橋をくぐっていると、橋の下に火力発電所の煙突が見えました。橋の下をくぐり抜けると、少し響くような音が聞こえてきました。周東環境衛生組合清掃センターのゴミ焼却場です。とても高い煙突から、煙がもくもくと上がっていました。
国道新188号線の橋の下をくぐっていると、火力発電所の煙突が見える
火力発電所を左手に見ながら、ぐるりと北浜に沿う堤防脇を歩きました。しかし、堤防は防潮堤にもなっているのでしょう、とても高くて海を見ることはできませんでした。このため、景色を堪能しながらのウォーキングは望ませんでした。対岸が伊保庄の、工場地帯を抜けるようにもくもくと歩きました。しばらくすると、さくら土手が見えてきました。
対岸が伊保庄の、工場地帯を抜けるとさくら土手に出る。向こうに旭橋が見える
さくら土手の途中にとても古い橋、旭橋が見えてきました。旭橋は昨年の今頃までは歩いて渡ることができました。しかし、今は渡ることができません。解体を待っているようです。橋の袂に、昭和6年架橋とうっすら彫ってありました。旭橋を見終わると、柳井市内に向けて歩きました。
途中、とても貴重な遺跡天津橋を見ました。ルネサス柳井セミコダクタの敷地に保存してあります。とても珍しい石の橋です。私が子供の頃、運河に架かっていたこの橋を覚えています。運河はすでに埋め立てられているため、一見すると今は巨大な庭石にしか見えません。
天津橋からどんどん歩いて線路を超え、午後5時頃にJR柳井駅に到着しました。歩いた距離は15kmです。8kmほどに絞ってから再度下見をしようと思います。ただし、茶臼山古墳は外さないようにしようと思います。
通行禁止の旭橋(昭和6年架橋) 石橋の天津橋、運河は埋め立て済み
下図の橙色のルートは今回、柳と井戸~国木田独歩旧宅~茶臼山古墳ウォーキング調査のため歩いたルートです。あちこち試行錯誤しながら歩きやすいルートを探索しました。本番のウォーキングでは、訪れる名所旧跡を絞ってウォーキングする距離を9kmほどに短縮し、29日に下見をしようと思います。
柳と井戸~国木田独歩旧宅~茶臼山古墳ウォーキング調査のため歩いたルート(2/2)