東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

東京散策(4/5) 秋葉原を散策、JAZZ喫茶で家内と夕食

2013年07月02日 | 家族関連



 東京に来てから4日目、秋葉原に行きました。秋葉原は今、AKB,フィギュア,萌え喫茶ですっかりおなじみです。しかし、私はそれらに興味はないので、スルーして電子部品を買いました。大学生だった18歳の頃から、ほとんどが電子部品の購入のためです。あとはたまに今は埼玉県に移ってしまいましたが、秋葉原にあった交通博物館に行くぐらいでした。

                JRお茶の水駅に下りて、徒歩で秋葉原に向かう


 JRお茶の水駅で下車してから秋葉原に徒歩で向かいました。このお茶の水駅には、一時期日立の本社ビルがありました。私は最初テレビの部品試作課に勤め、その後コンピュータ関連の仕事をしました。当時IBM事件があって大変な騒ぎがありました。第五世代コンピュータ開発のためICOTに出向したこともありました。日立に勤めていたその頃、この本社に来るために何度かお茶の水駅を利用しました。この本社で山口県下松にある笠戸工場の方と偶然会って、お話しをしたことがありました。実は、日立に入社した時に笠戸工場(または柳井工場)勤務を希望したのですがかないませんでした。もし笠戸工場に勤務できていたら、40年近くも東京にいるはずはなかったのです。しかし笠戸工場に勤務できていたら、家内と出会うこともなく別の方と・・・・そう思うと、不思議なものを感じます。
 お茶の水駅周辺にはいろんな大学があったため、お茶の水界隈はさながら学生街でした。さらに、すぐ近くの神保町には学生目当ての古本屋街がありました。学生時代、神保町,お茶の水,そして秋葉原界隈を闊歩したものでした。お気に入りの喫茶店もありました。学生時代はあまり女性とお付き合いすることはありませんでした。しかし大学も終わりの頃、オロオロしながらこの街をデートした記憶があります。なんとも懐かしい界隈です。その方は、千葉県の方でした。九十九里海岸近くの誰もいない林の中での事が甘く思い出されます。

  お茶の水と秋葉原途中の湯島の聖堂       電子部品街でお買い物
 

 JRお茶の水駅を出ると、湯島の聖堂横を歩いて秋葉原に向かいました。何店かお店を回りながら、お目当ての電子部品を購入しました。ラジオの補修部品少々と雄雌ピンなどです。学生時代はディスクリート部品が多かったのですが、今はICに関わる部品や半完成品を購入することが多くなりました。秋葉原で買い物を済ませると、岩本町から地下鉄に乗って帰りました。

    秋葉原ガード下をくぐる                 今回購入した電子部品
 

 夕方、家内と待ち合わせてJAZZ喫茶で一緒に夕食をとりました。私は学生時代、JAZZを演奏していました。私がJAZZを懐かしむだろうと、家内がこの席を取ってくれました。私はJAZZでプロになることはありませんでした。しかし、同じバンドに所属していたU君は「プロになりたい。」と去っていきました。彼はプロになれたのでしょうか。

    静かな雰囲気の中、演奏の開始         当時の音楽仲間達  〇:私
 

 演奏された曲は、誰もが一度は耳にしたことがあるスタンダードナンバーでした。なかなか良かったように思います。私がかつて演奏したことがある曲も流れてきました。今回演奏した方々、プロとは言え生活は厳しいはずです。音楽業界は、典型的な実力社会であり出来高払いです。私は演奏が上手ではありませんでしたが、同じように、ダンスパーティー,開店記念,演奏会の前座,ビアホールなどで演奏したことがあります。
 お店の方にお話しを聞きました。やはりお店の経営も厳しいそうです。2ステージのうち、私と家内は1ステージ目に行き満席でした。しかし、2ステージ目は満席ではないようでした。

           当時私が所属していたビックバンドジャズオーケストラ 〇:私


 音楽から40年近く遠ざかっていますが、懐かしい当時の音楽仲間や練習を思い出します。私の音楽仲間で一人だけ、A君(ギター演奏兼マネージャー)は音楽業界(徳間ジャパン)に就職しましたがその後どうなったでしょうか。演奏を聴き終ると、別のお店でレーズン入りのジェラートを食べて家路につきました。

             パンチがあり時にはムーディーな、演奏とボーカルを聞く

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