今日30日、私の母校である麻郷小学校に行きました。去年完成の真新しい校舎に入ったのは初めてです。とても立派な校舎でした。ただ私が卒業した当時(1965.3)、記念樹として植えた「くすの木」が伐採され、その真上に校舎が立てられていたのは少し残念なことではありましたが。
さて麻郷小学校に行った理由は、小学3年生との「昔を知ろう集会」のお手伝いをするためでした。私が小学生達と交流したのは一昨年の稲刈り以来のことです。大人が昔の遊びを教えたり、子供達から昔の生活などについてのインタビューがありました。昔の遊びについて、私はコマの回し方を教えました。
熱心に、コマにひもを巻きつけている3年生
麻郷公民館の方から事前に「今の子供たちはコマを回せない。」と教えてもらっていました。まったくその通りなのには驚きました。まず、コマにひもを巻きつけることができません。ひもをまき終った後、ひもとコマの持ち方が分かりません。そして、コマの投げ方が分かりません。私が子供の頃は、外で遊ぶ時間が圧倒的にありました。外遊びの一つにコマを回しがありましたが、回せない子は一人もいませんでした。40年近い間に、子供達を取り巻く環境が激変したのでしょう。
コマ回しを教えている大人 コマのもち方を、手取り教える
コマ回しは、今の子供達にとってもう遊びではありません。いわゆる、昔の遊びの一つにすぎないようです。私が小学生の頃の、お手玉のようなものではないかと思います。当時すでにお手玉は廃れて誰一人遊べませんでした。今回、子供の遊びは時代とともに変わっていくものであることをより実感しました。
コマ回しも、今や廃れた遊びです。しかし、小学生達は興味を示してくれました。飽きず何度もトライしていました。たった一人でしたが、コマを回すことができた児童がいました。
熱心に教える大人と、熱心に教わる子供達
今の子供の遊びと昔の子供の遊びを比較して言えるのは、昔はコマにしても,ビー玉にても,チャンバラにしても,基本的に野外の群れた集団遊びでした。今は、その野外遊びに代わって地域サッカーなどのクラブ活動が主体になってしまったような気がしています。チャンバラ遊びなどは一見意味のない遊びに見えますが、唯一優れていると思うのは子供たち自身が遊び場,ルールなどを決めることです。子供版ほうれん草(報告,連絡,相談)でしょうか。大人は誰一人介在しませんでした。今の子供たちは、自分たちで決めて行動する自立体験やリスク体験が圧倒的に少ないのではないかと危惧しています。
昔、田布施町にはプールがありませんでした。そのため、子供たちは田布施川で水泳や水遊びをしていました。私の知らない、年少者やお兄さん達がたくさんいました。泳げない私に、ある日お兄さんが声をかけてきました。「泳がしちゃろうか?」と。そして、そのお兄さんの背中に乗って川を往復しました。その時、そのお兄さんを尊敬したものでした。当時は、いろいろな学年の子供たちが群れて遊んでいました。いじめなど無く。お兄さんたちは年少者を見張ったり教えたり仲裁したりすることを当然のように思っていました。また、年少者は自然にそのお兄さんたちを尊敬していました。そして、それが自然に受け継がれていました。子供なりに、納得した主従関係や社会秩序の必要性を学んでいたのではないかと思います。今はどうでしょう。
ところで、昔の遊びは比較的熟練を要します。コマ回しはその代表です。1時間や2時間ではとうてい回せません。今の子供達の遊びの代表であるテレビゲームは、スイッチやボタンです。経験や熟練はそれほど必要ありません。良い悪いは別にして、対人遊びではなく対機械遊びが多くなっている気がします。
今の時代、遊びも,交通も,仕事も、より容易で楽で効率良くできます。例えば、昔は車の運転は特殊技能でしたが、今はオートマ車の普及もあってか誰でも運転できます。大人が心配しているパソコン遊びも、もしかして新しい文化創造に貢献するのかも知れませんが、はたして?
コマの投げ方を教える メンコ初体験の子供達
子供達からインタビューを受けながら、気が付いたことがあります。それは、私が子供の頃は、子供とはいえ貴重な労働力だったことです。私の場合で言えば、風呂たき,牛のえさやり,牧草刈り,稲刈りなど、大人に交じって働いたことです。私はしませんでしたが、当時は新聞少年がたくさんいました。「僕は月200円もらった」とか「月300円もらった。」とか、そんな話をよく聞きました。当時の新聞配達の報酬は、1円/軒日程度の報酬だったのでしょう。そう言えば「新聞少年の歌」が流行ったことがあり、紅白歌合戦で歌われたことを覚えています。それらの労働が終わって初めて遊ぶことができました。今はどうでしょう。
別のコーナーで、あやとりを体験している子供達
コマ回しの他に、次のような昔の遊びを3年生は体験しました。メンコ(パッチンとも言う),あやとり,おはじき,けん玉,そして折り紙です。男性の大人は、主にメンコとコマ回しを教え、女性は、あやとり,おはじき,けん玉,そして折り紙を教えました。なお、ビー玉,釘刺し,ケンケンパーなどは人数や場所の関係で題目にありませんでした。
うまく折れたかな、折り紙 なかなか難しいけん玉
小学3年生はもうパソコンを使うようです。昔のことを教科書と、少しはインターネットで調べたようです。あらかじめ、昔のことを調べて質問を用意していました。質問の中に、ランドセルのことがありました。私は、昔ランドセルの代わりに肩掛けカバンを使っている小学生がいたことを説明しました。また、食品を氷で冷やすアイスボックスを説明しました。また、学校帰りにスイカを盗んで食べたり、おやつがあまり無い時代だったので、海岸に行って貝や牡蠣を剥いて食べたことを話すと驚いたようでした。庭で飼っているニワトリを食べたことなども話をしました。今の子供達は、野山の果物や自然の生き物を食べることはしないようです。
おはじきに興じている子供達、遊び方分かるかな
「昔を知ろう集会」は1時間位で終わりました。あっと言う間の1時間でしたが、今の子供気質を少しは知ることができました。総じて行儀の良い子供達でした。今回の行事は、昔の遊びを学ぶ以外に地域の大人との交流の意味合いもあったのではないかと思います。
その後、バイクを置いている麻郷公民館に戻りました。そして、我家に帰ったのは正午頃でした。今後、時間的余裕があれば、これら子供達との交流事業に参加できればと思います。
最後にお礼の言葉を話す子供達、立派な大人に巣立って欲しいものです