山口県に帰る最後の夜、息子夫婦と夜の八坂神社祇園祭に行ってきました。この八坂神社は1200年の歴史があるそうで、このお祭りは北総三大祇園祭の一つだとのこと。5万人が集まるとか。出店が数百m続いていました。端から端まで人混みの中を歩くだけで疲れます。
昼間、息子の家からお囃子の音が聞こえていました。今回、夜のお祭りに行ってみましたが、とにかく子供や若者が多いのにはびっくりしました。ここは高齢化が関係ない地域のようです。
北総三大祇園祭の一つ八坂神社の夜のお祭り
茨城県のこの市には、つくばエキスプレスが止まる駅があります。そして、ピーク時には3分間隔で発車し東京秋葉原まで40分ほどです。そのためか、近年人口が急増しているとのこと。駅近くにある小学校の在籍児童数は1,000人以上とのこと。1学年200人位でしょうか。市全体では子供やその保護者がとても多いようです。そのため、少子高齢化とかけ離れているのでしょう。実際、お祭りは子供や若者がとても多いように思いました。
各地区ごとの山車が繰り出す 各地区独自の山車の飾り付け
さて、お祭りの期間中は氏子の家に高いのぼり旗が立てられます。また地区ごとに何台もの山車が繰り出します。そして、その山車の中で踊りが披露されているのです。はしゃぐ子供や若者の雑踏が道を占有する光景を見ていると、昭和時代の古き良き時代の田布施や平生の夜祭りを思い出します。
山車上では即興のひょっとこ踊り 山車の周りに多数の見学者
那須や宇都宮の次に、息子が住んでいる茨城県に行きました。孫が虫に興味を持ち始めたとのことで、お土産にカブトムシ二匹とクワガタ一匹を田布施から持って行きました。長距離移動に備えて、虫たちには美味しい蜜をたっぷり与えておきました。茨城県に着いてから、元気すぎて籠から逃げ出すほどでした。
早朝のアクアワールド茨城県水族館、たくさんの子供達で混雑
次の日、アクアワールド茨城県水族館に行きました。この水族館、7年前に大洗駅から歩いてきたことがあります。その時、数時間も歩いて疲れました。そのため、この水族館は歩いて来る場所ではないことを悟りました。しかし、水族館周辺のいろいろな史跡を歩いて訪ねることができて良かったです。
さて、水族館は夏休みもあって大変混んでいました。その後、那珂湊で寿司を食べたり、ひたち海浜公園近くのモールに行ったりして過ごしました。
広大な水族館駐車場 巨大な水槽 お昼ごはんを食べる
宇都宮に来たついでに、大谷石資料館に寄ってみました。と言うのも、大谷石資料館は地下にあり涼しいと聞いたからです。実際その地下に行って見ると、涼しいよりも寒いのです。長袖を着て行った良かったです。江戸時代から数百年間掘り続けた巨大な地下空間を見学しました。1時間ばかり見学した後に外に出ました。
数百年間掘り続けた結果できた巨大な地下空間、寒い!
外に出ると、関東各地の小学生達がバスを降りていました。バスを見ると、東京都と神奈川県の小学校でした。夏休みの野外学習なのではないでしょうか。喫茶店で、アイスを舐めながら猛暑を一時しのぎました。続いて、30分位歩いて大谷石観音を見学しました。巨大な観音様で、高さ30m以上はあったと思います。
昔使われた大谷石採掘の道具 巨大な大谷石観音
ところで、宇都宮の隣の栃木市での家電営業をしていた頃の思い出です。50年位前、栃木駅前のデパートの家電売場で働いていました。デパート近くの桐屋旅館(今はない?)に宿を取って仕事をしていたのです。お正月もその旅館で過ごして栃木市内大平山の神社に初詣しました。
当時、栃木駅前のデパートもそれほど大きくはありませんでした。しかし、当時は若い社員ばかりでとても華やいだ雰囲気でした。同じ家電販売の同僚と、どの女子社員が可愛いかなど話をしたことを覚えています。当時、二十歳代前半で若かったのです。
大谷付近はこのような大谷石に囲まれており壮観
那須岳から下山すると、栃木県の県庁がある宇都宮に向かいました。宇都宮は内陸にあるため、その猛暑は半端ではありませんでした。その暑さには降参です。ところで、宇都宮に来た理由は会社時代に隣の栃木市で家電販売の営業していたことです。仕事が休みの時に宇都宮市を訪れたことがあったのです。しかし、50年前の記憶にある宇都宮はもうありませんでした。
駅前の餃子象を見た後、宇都宮城址に向かいました。宇都宮城址公園に着くと資料館である清明館に入館しました。宇都宮駅から30分位の道は日陰も無く歩くにはとてもきつかったです。そのため、クーラーの効いた清明館に入った時は救われました。
宇都宮城跡として再建された城壁
清明館には古代から戦時中までの歴史的遺物が展示されていました。古代のコーナーでは縄文時代のイヤリングが展示されていました。関連書籍に掲載されているほどの貴重品です。耳穴が大きくないとはめられないほどの大きさです。その他、戦国時代までこの地を収めていた宇都宮氏の歴史も掲示されていました。
宇都宮駅と餃子象 宇都宮城址の清明館 古代宇都宮周辺の古墳
ところで、宇都宮城址に来た一番の理由は、幕末時の宇都宮城を巡る戦いの詳細を知りたかったからです。しかしながら、映像で見せるだけで、ちらりと土方歳三が出ていただけでした。少しがっかりしましたが、資料が残っていないのでしょう。宇都宮城で負けた土方達は以後、東北に移って戦いを継続しました。
宇都宮城址を出ると、宇都宮名物の餃子を食べに街に出ました。餃子が主食で、ご飯が副菜の感じでした。いろんな種類の餃子を堪能しました。
戊辰戦争時の宇都宮城の配置図 堪能した宇都宮名物餃子
那須高原の大麻博物館を訪れると、続いて那須岳に登りました。北アルプスのように険しい山ではありません。那須高原をバスで登っていくと、終点にロープウェイの駅がありました。ロープウェイには海外の観光客も乗っていました。ロープウェイを降りるとなんと涼しい事。日差しは強烈ですが、気温が低いため快適な登山ができました。
那須岳に登るたくさんの人達、小学生やお年寄りの集団がたくさん
ロープウェイに乗った人たちを観察すると、多くは小学生達とお年寄りのグループでした。小学生達は六年生位でしょうか。夏の体験登山に来ていたのだと思います。指導する先生達の声が響いていました。一方、お年寄りのグループは山好きな人達のグループのようです。
那須岳の緑の裾野 険しい岩の連続 なだらかな裾野
今回は本格的登山をするための重装備はしてきませんでした。そのため、那須岳の裾野を回り込む道を散策しました。小学生やお年寄りのグループから外れたため、とても静かでのんびりとした歩きを楽しむことができました。少し汗ばむと、適当な石に腰を掛けて通り抜ける涼しい風を感じました。こんなのんびり登山もいいものです。若い時のようなハードな登山はもう卒業です。
遠くに那須岳に連なる山々 誰も歩いていないのんびりコース
今回の試作2は少し大きなポシェットになるため蓋が必要と思っていました。ポシェット本体がやっとできたため蓋を作ることにしました。ちなみに試作1は蓋はありません。
どんな蓋を作ろうか思案した結果、ポシェットの底の形に合わせて楕円形にすることにしました。その楕円形を竹を曲げて作ることにしました。そして、樹の皮を被せることにしました。そこで、裏山に生える縞竹と呼ばれる黄色のとても細い品種の竹を何本か伐採しました。
底の形に合わせて、楕円形にする蓋(縞竹)
縞竹は直径が1cm位の細い竹です。その竹のさらに細いものを選んで伐採しました。そして、ゆるりと曲げました。強く曲げると折れるため、バーナーであぶりながらゆっくりと曲げていきました。そして、目的の蓋の形になると紐で結んで固定しました。数日そのままにすると、蓋の形に曲がりが固定します。なお、最初笹や竹を使おうと思いました。しかし、少し曲げるだけで折れるので止めました。
細い物だけを選んで伐採した縞竹 バーナーであぶりながら曲げる
早乙女塚に別れを告げて山田に向けて歩きました。途中、道傍に納屋がありました。その納屋の中に、ほぼろが吊ってあるのを見つけました。今、ほぼろを使っている人はほとんどいません。そのため、吊ってあるのを見つけると嬉しくなりました。作り手がおらず修理する人もいないこの時世、よく保存しながら使っているものだと感心しました。納屋を過ぎると、石柱や道路改修記念碑などがありました。
雨が強くなったため、昼休憩兼雨宿りをした山田公会堂
しばらく歩いていると、万霊塔への案内矢印がありました。せっかくなので、その万霊塔を見てみたいと思いました。矢印の方向に行って探しましたが、道が分からなくなりました。丘の上に続く草深い脇道がありました。今思えばその道を行けばどうにか行けたのではないかと思います。
納屋に吊ってあったほぼろ 何かを祀る石柱 道路改修記念碑
その後、山田に向かって1km位歩いたでしょうか。ところが、山田に近づくにつれて雨が強くなってきました。山田公会堂に着いた頃には、雨がザーザーでした。公会堂の軒下で雨宿りすることにしました。
天気予報によると、さらに雨が強くなるとのこと。そのため、今回の下見ウォーキングは山田までとしました。そして、7月の史跡巡りウォーキングは中止としました。続けて下見ができなかったため、やむを得ません。
雨の中、山田のお地蔵様 宇佐木公民館と宇佐木保育園跡
山田公会堂の軒下での昼食休憩が終わると、スタートした平生に戻ることにしました。同じ道を通るのではなく、国道188号線沿いの歩道を歩いて戻ることにしました。ところが、幸運なことに宇佐木バス停に着いた時、ちょうど柳井からのバスが後ろに見えました。これ幸いとバスになりました。西浜バス停で降りてスタートした平生MaxValueに帰り着きました。雨の中で濡れながらの下見、お疲れさまでした。
平生町山田~伊保庄史跡巡りウォーキング下見で歩いたコース
7月の史跡巡りウォーキングは、平生町のMaxValueをスタートして、山田を経て山越えをして伊保庄の小田に下る予定でした。その後、史跡を訪ねながら土穂石川沿いに周東病院に向かいます。そして、バスに乗って出発した平生町のMaxValueに戻る予定でした。一番心配したのは、山田~伊保庄間の山道です。最近は通る人が少ないため道が草木で覆われているのではないかとのこと。そのため、その草木を刈り払うためのカマを持って行きました。
いつもより濁って早く流れる大内川、向こう側は天池
スタートしてからしばらくして大内川沿いの道を歩きました。ここ数日の雨で大内川は水量が多く濁っていました。川底に生える葦などの草が大水でなぎ倒されていました。その大内川を上流に向かってどんどん歩きました。ところが、歩いているとポツリポツリと雨が降ってきました。
天池と二階川の案内 大内川の水量計 川沿い道のお地蔵様
傘を差しながらさらに上流に向かっていると知っている畳屋さんがありました。ちょうど、平生地方史研究会の方々がおられました。少しの間歓談後、早乙女塚を見学しました。ここの早乙女塚は由来がきっちり説明された板がありました。三年前に設置したそうです。
大内川沿いのお地蔵様 早乙女塚と見学のための道
ところで、畳屋さんの前には荒れた田んぼが広がっていました。その田んぼにたくさんのガマが生えていました。ガマの茎は細工に仕えます。後日そのガマの茎を取らせていただくことを了解いただきました。夏の終わりにでもガマの茎をいただきに来ようと思います。
平生町山田~伊保庄史跡巡りウォーキング下見で歩いたコース
滝川沿いの道をどんどん河口に向かって下りました。大畠保育園,消防署,またレンコン栽培田などを見ながらどんどん歩きました。正八幡宮に近づいた頃、レンコン栽培田が騒がしいことに気が付きました。親鴨が幼鴨を引き連れて行進しているのです。雌が子供達を引き連れ、雄は我々に警戒の鳴き声を上げているようです。よく見ると、幼鴨数匹が田の畔を登れないのも拍車をかけているようでした。
静かな正八幡宮に到着、鳥居を通り厳かに参拝
鴨親子をのんびり見ていると、もう一組の親子鴨がいることに気が付きました。しばらく観察していると、彼らは草の中に姿が消えていきました。それを確認したのか雄鴨もレンコン栽培田を去りました。鴨達がいなくなったレンコン栽培田を過ぎて、近くに鎮座する正八幡宮を参拝しました。
鴨がいたレンコン栽培田 宮山大師堂の地蔵様 滝川沿い安置の地蔵様
正八幡宮を参拝し終わると、宮山大師堂を訪れました。中にはお地蔵様が安置されていました。室内は綺麗に管理されているため、今でも地域の方々に信仰されているのでしょう。続いて滝川傍に安置されている小さなお地蔵様に行きました。何の由来で川傍に安置されているのでしょうか。地元の方がおられなかったため聞くことができませんでした。
誰もいない神西小学校跡地 大島大橋下を通ってJR大畠駅に
滝川に別れを告げると国道188号線に出ました。しばらく歩いて、国道下の隧道を通って砂浜の海岸に出ました。下見時に観光列車MIZUKAZEを見た場所です。再び国道に戻ると神西小学校跡地に行きました。今は会社の建物になっており立ち入り禁止でした。門から校舎跡を眺めるしかありません。その後、大島大橋の下をくぐるように歩き、JR大畠駅に向かいました。参加された方々、お疲れ様でした。
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りウォーキングコース
大畠保育園を過ぎて旧道に入りました。近年日積と神西との間にバイパスができたためか、岩尾の滝がある光明寺の間の道は誰も歩いていません。軽トラックが時々歩いている我々を追い越していきます。道の左側は川が流れる谷が渓谷のようです。右は山が迫っています。緩い上り坂を歩いていると、岩尾の滝の案内板が見えてきました。
滝に近づくと、飛沫を含む涼風が通り抜ける
滝はゴーゴーと音を立て、大量の水が落ちています。以前は滝に打たれて修行する方々がたくさんいたようです。今でも時々修行する方がいるとのこと。しばらく滝を見上げた後、光明寺近くの広場に座って昼食休憩をしました。その頃、滝の上の方に車を駐車して来たらして、二人の方が滝を見にやって来ました。
左は渓谷、右は山肌 滝と光明寺の案内板 光明寺に向こうに滝
30分位の昼食休憩が終わると、おもむろに腰を上げて道を戻りました。同じ道の復路です。今度は右手に川音がする渓谷を見て、左手は山肌です。渓谷とは言っても木が茂っていて川底は見えません。川と風の音だけがする静寂な道をとことこと歩きました。
岩尾の滝とぴんころ地蔵尊 多賀社への道しるべ石
静寂な道を歩いていると、左手に多賀社への道しるべの石柱に気が付きました。滝に行く時は話に夢中で気が付きませんでした。この道しるべは、小行司の多賀社への道しるべとのことです。多賀社は命の神様と呼ばれ、戦時中、出征した息子の安全を願って大勢の母親たちが毎日のように参拝していました。そのことを知る人も今は少なくなりました。
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りウォーキングコース
少しばかり天候が怪しかったのですが、柳井市大畠の神西の史跡巡りウォーキングに行ってきました。田布施に住んでいると、神西地区に行くことはまずありません。岩国との往復時に必ず通過するのですが、立ち寄りことはまずありません。せいぜい名所「岩尾の滝」に行く位なものでしょうか。通過でしか通らない神西地区をのんびり歩きました。
滝川に沿って作られた花壇の花を見入る
JR田布施駅とJR柳井駅で乗り合わせた参加者は、JR大畠駅に10:00に降車しました。そして、神西地区に向かって歩きました。小雨が降ってもおかしくないような曇り空の中です。最初、二年ほど前に立った巨大な鉄塔前に立つ詩碑に行きました。荒れた瀬戸山自然公園です。そのため、下見時に詩碑があることに気が付きませんでした。巨大な鉄塔が邪魔をして詩碑が見えなかったのです。
スタートしたJR大畠駅 巨大な鉄塔下を歩く 詩碑と大島大橋
詩碑から大島大橋を眺めた後、元の道に戻り神西地区に向かいました。途中、大畠ゴルフやうずしお壮跡を横目で見ながらどんどん進みました。うずしお壮は記憶にあるので、その昔一度は利用したことがあると思います。緩い下り坂を下りていくと滝川に着きました。
うずしお壮跡と古い看板 小さな公園のミカントイレ
滝川に着くと、道を左にとって滝の上流に向かって歩きました。途中、消防署、大きなミカン(実はトイレ)が設置された公園がありました。その公園のペンチに座って補水休憩を取りました。その後、大畠保育園を右手に見て、アジサイをはじめとする梅雨の花を観賞しながら滝川沿いを歩きました。
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りウォーキングコース
これまで、暇をみながら少しずつ毛糸を紡ぎ続けてきました。やっと2ボビン分の単糸を紡ぎ終わりました。今回から、その単糸を使って双糸を紡ぐ作業に入りました。単糸はS字撚りですので、双糸はZ撚りにしました。しかし、単糸ばかり紡いでいたため、最初双糸が紡ぎにくいこと。それでも、紡いでいると慣れてきて、7月の終わりには双糸を紡ぎ終わりそうです。
紡いだ単糸2ボビンから糸を繰り出し、合わせて紡いで双糸に
単糸を紡ぎ始めたのはいつの事だったか忘れました。晩秋だったように思います。仕事やほぼろなどで忙しく、それらの合間をみてはのんびり紡いだ単糸でした。紡ぎ終わるのに半年もかかってしまいました。
取り出したボビン 右端のボビンに双糸を 単糸の2ボビン
紡いだ毛糸は、海田ファームで2年位前にいただいた羊(きなこ)の毛です。一頭分いただいた毛なので、まだ使い切っていません。今年も山口ウール展に作品を出そうと思っていますが、どんな作品にしようか思案中です。今までと同じような物でなく、変わったオリジナル作品にしようかと思います。頭の中でいくつか考えています。
双子を紡いでいる途中 ボビンに巻かれた双糸
ほぼろ版猫ちぐらを作っていますが、一番困っていることはわらの長さが短い事です。その昔は背が高いお米が作られていたのですが、最近は背が低く収量が多い品種にどんどん切り替わりました。背が低いとちょっとした大風でも稲は倒壊しないからです。
そのため、背が低い稲わらしか入手できず小さなほぼろを作ることしかできなくなりました。田んぼを持っていれば、背が高い稲を作るのですが仕方ありません。
猫ちぐらの側面をようやく完成
さて、猫ちぐらの側面を編み台で作っていますが、途中でわらを変えたら短いわらでした。途中で気が付いて、その短いワラを解きました。その後、長めのわらを探して解いた場所から作り始めました。そんなこんなで、一進一退しながらなんとか猫ちぐらの側面を完成させました。
右が短かったわら、解いて元に戻す 猫が出入りする入口完成
岩尾の滝がある光明寺で昼食休憩後、来た道をどんどん戻りました。新道ができる前は、狭いながらも車が通る舗装道でした。しかし、バイパスの新道がができてからは車も人も通りません。舗装道路なのに落葉が敷き詰められているような歩きやすい道です。滝川の流れを右に見見下ろしながら神西地区の中心部に向かいました。そして、正八幡宮に行きました。
神西小学校跡地手前の海岸で、観光列車MIZUKAZEに手を振る
小高い場所にある正八幡宮は、とても趣のある神社でした。神代村時代はさぞや賑やかな催しが行われていたと思います。下見に参加されたSさんは、幼児の頃に祖母に連れられて正八幡宮に来たそうです、その時の白黒写真を目を細めて見ていました。その大切な写真を見せていただきました。ありがとうございました。私も祖母に連れられて、あちこちの寺社や温泉などに行ったことを思い出しました。
趣のある正八幡宮 南部霊場宮山大師堂 滝川傍のお地蔵様
正八幡宮を見学後、南部霊場第三十四番札所の宮山大師堂を訪れました。その大師堂前の道は江戸の時代から続く旧国道です。その昔、宮山大師堂をたくさんの巡礼者が列をなして訪れていたことでしょう。また、その巡礼者にお接待する神西の方々で賑わったことでしょう。
神西小学校跡に行く途中で海岸に出る 高台にある神西小学校跡の旧校舎
宮山大師堂を出ると滝川沿いに安置されたお地蔵様に行きました。工事中のためか移設されたようです。次に、国道188号線に出て大畠方面に向かって歩きました。ガソリンスタンドを過ぎた所に、国道の地下道を見つけました。その地下道を通って海岸に出ました。
打ち寄せる波を見ていると、大畠方面からノロノロとやって来る列車に気が付きました。最初貨物列車かと思いましたが、あまりにノロノロしています。よく見ると観光列車瑞風MIZUKAZEでした。大島大橋周辺は観光名所なのでしょう、たくさんの乗客がこちらを見ていました。そのうちお互いに手を振り合いました。
その後しばらく歩いて、出発したJR大畠駅に着きました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りの下見をしたコース
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りウォーキングの下見をしてきました。この神西の由宇側に神東があります。その昔、神西と神東で神代村だったそうです。ところが、町村合併(昭和30年?)で神代村が二つに分かれたとのこと。そして、神西地区は大畠村に、神東地区は由宇村に合併しました。そのことは神社の氏子変えにもつながったようです。さらにその後、大畠村は柳井市に、由宇村は岩国市に合併しました。今回の史跡巡りは下見でしたが、町村合併の歴史にも触れることができました。
久しぶりに爆音を聞きながら飛沫を浴びた岩尾の滝
JR田布施駅9:47発の電車に乗り、10:00ピッタリにJR大畠駅に到着しました。そこから神西地区に向かって山側の道をどんどこ歩きました。最初、周防大島大橋を見下ろすことができる瀬戸山自然公園に行きました。ところが、公園らしい施設は何もありませんでした。大橋が完成してから整備しなかったのでしょう。景色も悪いし雑草だらけで、期待外れでした。
スタートしたJR大畠駅 瀬戸山自然公園 かわいいトイレ
その後、しばらく緩い下り坂を歩いていると、うずしお壮跡がありました。だいぶ前に一度だけ食事に行ったことがあります。さらに歩いていると、神西の滝川に着きました。ここからは滝川の上流に向かって歩きました。途中、オレンジを模したトイレや大畠保育園がありました。そして、どんどんと緩い坂道を登っていくと、11:30頃に岩尾の滝に到着しました。
岩尾の滝と光明寺入口 誰もいなかった光明寺
岩尾の滝入口を入ると、川底を流れる音が聞こえてきました。光明寺の向こうからさらに大きな水音が聞こえてきます。岩尾の滝です。滝のすぐ近くに行くと、爆音と共に滝の飛沫が飛んできました。滝の上に上がる階段がありましたが、苔むして滑りそうでした。そのため、岩尾の滝を見るだけにしました。光明寺を戻ると、広い場所に陣取って昼食休憩をとりました。
柳井市大畠の神西地区の史跡巡りの下見をしたコース