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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

兵庫県 豊岡市 城崎温泉周辺の史跡を巡る(2/4)

2024年09月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 城崎温泉街を見下ろせるロープウェイから降りると、今度は新鮮な魚介類を食べるため海鮮丼で有名と言われるお店にいきました。温泉街の外れにあることと、その後に玄武洞に行くため車で行くことにしました。ロープウェイ駅のすぐ近くにある旅館指定の駐車場に向かいました。その駐車場は一台一台に屋根が付いている小屋風な駐車場です。その駐車場前には極楽禅寺があり、蓮の池がありました。本堂と楼門を見学してから車に乗りました。

           川の傍に建っている玄武洞ミュージアム


 城崎温泉街の中心道路を通ってJR城崎温泉駅に行き、すぐ傍にある市営駐車場に車を置きました。そして、海鮮料理で有名な海中苑まで歩いて行きました。海中苑は二階にあり一階は魚屋さんになっています。つまり、魚屋さんと海鮮料理がセットになっているお店のようです。一階にはひっきりなしに魚介類を積んだトラックが行き来していました。

   極楽禅寺の本堂     極楽禅寺の楼門     城崎温泉の中心道路
  

 二階への階段を登って海中苑に行きました。土日祝日は予約しないとすぐには席に座ることができないとのこと。しかし、平日でしたので空いた席がありました。でもすぐに席が埋まってしまいました。後に来たお客さんは待たされることになりました。早く来て良かったです。
 注文したのは看板メニューの海鮮丼御前です。日本海の漁港が近い城崎温泉ならではの料理です。とても美味しかったです。

一階は魚屋、二階は海鮮料理の海中苑    新鮮な魚介類を使った海鮮丼御前
 

 海中苑で美味しい海鮮丼御前を食べると、城崎温泉から少し離れた場所にある玄武洞に向かいました。玄武洞は社会の教科書に乗っていたので知っていました。溶岩が固まる時に柱状節理となった岩です。確か萩市の海岸近くにもこれに似た柱状節理となった岩があったように記憶しています。
 玄武岩ミュージアムに到着すると、お願いしていたガイドさんに案内されて玄武洞に向かいました。

       ロープウェイなど、城崎温泉街を行き来したルート

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兵庫県 豊岡市 城崎温泉周辺の史跡を巡る(1/4)

2024年09月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 兵庫県の日本海側にある城崎温泉周辺の史跡巡りに行ってきました。主催は息子で、数日後が敬老の日だからとのこと。やれやれ、私も敬老される年になったようです。関西に住んでいた息子によると、大阪・京都では温泉と言えば城崎温泉だそうです。関東の箱根温泉、山口の湯本温泉のようなものでしょうか。
 城崎温泉は幕末に桂小五郎が潜んでいたので名前だけは知っていました。その桂小五郎が潜んでいたその宿に泊まりました。桂小五郎自筆の書や幕末の写真がたくさん展示されていました。幕末の歴史が好きな人の密かな宿のようです。まさか敬老で行くことになろうとは思いませんでした。歴史、温泉、神社仏閣、海鮮料理などを楽しみました。

  ロープウエイの頂上から見下ろした城崎温泉街、向こうに日本海が見える


 前日、新神戸駅で落ち合いました。息子と家内は羽田空港から大阪空港経由で新神戸に来ました。新神戸に着いた私と合流して城崎温泉に向かいました。瀬戸内海が見える新神戸を後にして、中国地方を横断して日本海側に向かいました。今は高速道路が縦横無尽に走っているため、容易に日本海に出ることができます。

  宿の朝食メニュー    温泉寺前のお地蔵様    太田垣士郎翁資料館
  

 桂小五郎が潜伏していた宿に着いた次の日、城崎温泉郷を中心に史跡を回りました。最初に黒部ダムを作った元関西電力社長太田石垣士郎資料館を訪れました。次に城崎温泉郷を見下ろせるロープウェイに乗りました。このロープウェイは中間地点に温泉寺駅がありました。頂上に到着すると温泉郷を見下ろしました。遠くに日本海が見えました。頂上にある喫茶で、下界を見ながらしばらくくつろぎました。

  ロープウェイ中間地点の温泉寺駅   新神戸から城崎温泉への移動ルート
 

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自作昇降機により、日本ミツバチの巣箱に継箱

2024年09月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 先日完成したミツバチの巣箱を待ち上げる装置(巣箱昇降機)を実際に使う機会がやってきました。巣板が一番下の巣箱に到達するかもしれないため、継箱を入れることにしたためです。そして、同じくミツバチを飼っている友達に巣箱昇降機の使い勝手を確かめてもらいました。
 その結果、巣箱昇降機(三つの部品で構成)は現場で組み立てやすく、巣箱を難なく持ち上げやすく、高さ18cmの継箱を簡単に挿入することができました。さらに、充電式ドライバーを使えば早く持ち上げることができます。また、微妙な昇降をしたい時には指で回します。そのため、ミツバチを挟むことがありません。

  巣箱を早く昇降させたい時は充電式ドライバーを使ってジャッキを回す


 自作巣箱昇降機は巣箱のどの方向にも差し入れることができます。今回はミツバチが出入りする巣門方向から差し入れました。そして、巣箱を持ち上げる2本の腕を取り付けました。あとは充電式ドライバーでジャッキを回して3段の巣箱持ち上げました。手でジャッキを回してもかまいません。既定の高さに巣箱を持ち上げると、先日作った継箱をゆっくりと差し入れました。

 巣箱昇降機を差し込む     ジャッキを回す    指で回して微調整
  

 継箱をピッタリ挿入すると、今度は上にあげた巣箱を下ろします。この時、ミツバチを挟まないようにゆっくりと下げます。ゆっくり下げるため指をひねるようにしてジャッキを回します。ミツバチを挟むようでしたら、わずかに巣箱を上げてミツバチが逃げやすくします。一匹のミツバチも挟むことなく巣箱を継箱の上に下ろしました。
 友達の話では11月頃に蜂蜜を頂くことができるかも知れないとのことです。この秋にどれだけミツバチが蜂蜜を集められるかにかかっているようです。来年はもう1箱ミツバチを飼ってみたいものです。

  巣箱を上げた隙間に継箱を挿入     継箱をいれて4段になった巣箱
 

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柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2024年08月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 祇園社廃墟の古びた階段を降りると田んぼがありました。田んぼから振り返ると、降りてきた階段はお年寄りなどの足の悪い方が登る緩い階段だと気が付きました。降りた場所に、直線状に登るとても急な階段があることが分かりました。この急階段の方が正式な階段のようです。
 その正式と思われる石階段の左右に立派な石塔が建っていました。碑文を読むと明治三十周年頃に建てられたようです。この石塔が建てられた時期が、最も祇園社が栄えた時期だったのでしょう。その後、氏子が絶えるなどして維持管理ができなくなり廃墟になったと思われます。

      廃墟となっていた祇園社跡直下から振り返ってみた琴石山


 石塔から琴石山方面を振り返ると、少し前に休憩をしていた茶臼山古墳の後円部がちょこんと見えました。その前の方に柳井病院がみえました。この猛暑では琴石山に登っている人はほとんどいないと思います。
 祇園社跡の石塔から火伏地蔵尊が見えました。名前からして火事が起きないように願った地蔵尊ではないかと思います。柳井市は江戸時代に大火事があったとか。そのため柳井市各地にお地蔵様が建てられています。そのうちの一体ではないかと思われます。

 祇園社跡の階段と石塔   屋根付きの火伏地蔵尊     宮本大師堂
  

 火伏地蔵尊は地域の方々に大切にされているようです。花が活けられており、電気ではありますが燈るロウソクがありました。住居傍なので地域の方々が管理しやすいのでしょう。その点、祇園社跡は山の上ですし、滑り落ちそうな石階段なので特にお年寄りが管理できなくなったのでしょう。
 自然を崇拝する神道のような宗教は、山奥や山上などに神社が建てられる傾向があります。一方で、自然と無関係な宗教は人々が集まる町中に教会が建てられる傾向があるようです。後者の宗教施設の方がお年寄りになってもお参りしやすいのではないでしょうか。

  久し振りに参拝した代田八幡宮      國木田独歩の三角餅「藤坂屋」
 

 火伏地蔵尊を出ると旧道に出ました。この旧道は江戸時代から明治にかけてのメインルートです。私が幼児の頃、この旧道に親戚が住んでいました。この親戚の家前で、私は自転車に引かれたことがありました。自転車の車輪が手が届かないほど高かったことを覚えています。突然に飛び出したのでしょう。今ならば車に引かれていたかも知れません。
 続いて宮本大師堂に行きました。そして、傍にある代田八幡宮を久しぶりに参拝し休憩を取りました。猛暑にも関わらず数家族が参拝をしていました。代田八幡宮を出ると國木田独歩の小説に出て来る三角餅の藤坂屋前を通り出発地点に戻りました。短いウォーキングでしたが良い運動になりました。自分にお疲れ様!

     柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース

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柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2024年08月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 茶臼山古墳を降りて大屋団地に行きました。バスの終点になっている団地です。以前は子供の姿をよく見たのですが、猛暑のためか一人も姿を見ませんでした。ここも少子高齢化なのでしょうか?続いて荒神山公園に行きました。大屋団地から直接この公園に行けるはずなのですが、入口が閉っていました。廃止された公園かも知れません。
 そこで、一度脇道を通って市営住宅を回り込んで公園に行きました。公園入口には荒神社の鳥居が立っていました。明治三十年頃建てられたようです。公園内は荒れており、公園として使えないようでした。雑草や灌木をかき分けて荒神社の祠に行きました。

           青い空に白い本殿が映える正行院


 この荒神山公園、元々は荒神社の参道広場だったと思われます。今は雑草と灌木に覆われていますが、その昔はたくさんの人が参拝していたに違いありません。鳥居に刻んである明治三十年頃は賑やかだったに違いありません。廃棄された祠が寂しく残り、今後は少しづつ山に返るのだと思います。そして、鳥居,手洗い石,そして灯篭だけが残る森になるのでしょう。

   寂しげな灯篭      旧荒神社の祠     荒神山公園からの眺め
  

 荒神山公園下の市営住宅も静かでした。花を育てている家が一軒だけありました。その一軒の方が退去すればすべての長屋が解かれるのでしょう。大屋団地にしろ市営住宅にしろ空家が目立ちます。これらの団地を見ていると昭和の風情を感じます。ちなみに私は結婚した当初、青梅市の市営長屋に住んでいたことがあります。洗濯機が外に置いてあり、暖房と炊飯器を同時に使うとヒューズが飛んでしまうようなわびしい長屋生活でした。

  樹が生い茂り暗い祇園社廃墟      落葉が積もる石階段廃墟
 

 荒神山公園を出ると、正行院に行きました。お寺は、堂,庵,寺,そして院と立派になります。柳東地区一番のお寺かも知れません。お墓もなかなか立派に見えました。
 続いて、正行院の南にある暗い森の中に入りました。ぎりぎり道が続いています。ここはかつて祇園社があったようです。しかし、今は荒れ放題で放置されてから数十年経つようです。落葉が積もる階段を降りました。ここも昭和時代には賑やかだったに違いありません。なぜ放置されるに至ったのでしょうか?

      柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース

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柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2024年08月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猛暑の中、来月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。暑いので三時間ちょいの歩きにとどめました。歩いた場所は柳井市の柳東方面です。スーパートライアルの駐車場から歩きました。
 最初、柳東小学校を経由して春日神社を参拝後に茶臼山古墳に行こうと思っていました。しかし、猛暑の上に春日神社は何度かウォーキングで行ったことがあります。そのため柳東小学校手前から琴石山の裾野に向かって歩き、直接茶臼山古墳に行きました。

       久し振りに訪れた、葺石の間に雑草が生える茶臼山古墳


 駐車場を出発すると、最初に旧国道188号線を見守るお地蔵様に行きました。大きく立派な立ち姿のお地蔵様でした。続いて団地(中電社宅?)内にある公園の祠を訪れました。猛暑のためか子供は誰一人おらず、やや荒れた公園でした。公園周辺は立ち枯れた草で覆われていました。除草剤がまかれているようです。

 トライアルの駐車場   旧国道を見守るお地蔵様    荒れた公園内の祠 
  

 その後、川の上流に向って歩きました。しばらく歩くと、琴石山麓のなだらかな田んぼや畑に出ました。左右を田んぼに挟まれた畦道をのんびりと歩きました。たまたま野良仕事をしている方と談笑しました。この暑いのにご苦労様です。

  琴石山麓ののんびりした田んぼ     茶臼山古墳からの柳井市街
 

 緩い坂道を歩いていると舗装道路に出ました。柳井市と大畠の往還道路ではないかと思います。その道を柳井側に歩いているとトンネルがありました。そのトンネルを出ると、左に歩いて茶臼山古墳に行きました。
 前方部から登って後円部の頂上に登りました。しばらく眺望を楽しんだ後、資料館前の木陰に入って休憩しました。休憩後立ち上がると、座った箇所がハート型に濡れていました。汗でお尻が濡れたようです(笑)。

       柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース

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那須岳に登るも、霧や雷雨ですぐに下山

2024年08月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 那須岳に登山してきました。しかし、山頂に着くも雷雨のためすぐに下山しました。霧もかかり時々道が見えなくなりました。ところで、那須岳は福島県と栃木県の県境に位置する比較的低い山(1915m)です。しかし、山裾には木が生えておらず森林限界が低いようです。それだけ気候が厳しいのでしょう。
 この山は去年の秋に2回も遭難がありニュースになりました。歩いてみて霧がかかると数m先が見えなくなるのです。がれ場が多く一度滑ると10m位滑落しそうです。急斜面は石が滑りやすくぐらぐらするので落石も多そうです。尾根道は強風が吹きますし、風がないと硫黄の匂いに悩ませられます。イノシシの群れが硫化水素で死んでいたことがニュースになりました。なかなかやっかいな山です。

       天候不順のため、山頂の祠にお祈りをするとすぐに下山


 登り始めは笹原に木がポツポツ生える緩やかな登りです。しかし、山頂付近は草木も生えない急登が続きます。去年遭難が続いたためか左右にロープが張ってありました。このロープの内側を歩けば道を間違える心配はありません。天気が良ければ那須高原を広く見渡すことができるのですが、霧のため下界はまったく見えませんでした。

   霧がかかる山腹    急な岩場をひたすら登る   やっと山頂に到着
  

 ところで那須岳は山全体の総称で、今回登ったのは茶臼岳です。その火口を回る予定でした。いわゆるお鉢巡りです。しかし、雷鳴が聞こえてきたり霧が深くなってきたため、頂上の祠に行った後に近くの三角点に触ってすぐに下山しました。そのうち雨が降り出したのですぐに下山したのは正解でした。
 私が若い頃、神奈川県の山岳会に所属していました。ある年の秋、谷川岳に登ったことがありました。その日の午後に気候が急変して雪が降り始めました。そして、吹き溜まりの場所にいたためかあっという間に雪が積もりました。やむなく雪洞を掘ってビバークしました。天候を予想し、スコップ,ランプ,余分な食料,テントなどをあらかじめ用意していたので慌てずに済みました。

    那須岳の三角点を撫でる        那須岳頂上のお鉢(火口)
 

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猛暑日!太陽系の広さを体験するウォーキング

2024年07月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 この猛暑の中をウォーキングしてきました。このウォーキングの会を立ち上げて12年、ひたすら史跡巡りウォーキングをしてきました。今回は最初で最後となりますが、この宇宙での太陽系の広さを体感してもらうウォーキングをしました。
 田布施町役場がスタート地点です。役場玄関の幅14mを太陽の直径に見立ててのスタートです。太陽の直径を14mに見立てると地球は直径12cmです。役場玄関を出発すると田布施川に沿って海に向かって歩きました。この歩く速度は、太陽の大きさを14mとすると4km/時間となります。つまり歩く速度は光の速さとなるのです。光の速さで太陽(役場)を出発です。
 4分後に到着するのは交流館近くの距離にある水星(直径4cm)です。太陽から出た光は4分後に水星に届くのです。続いて、金星、地球、火星、木星の位置に向かって歩きました。

          浮島神社の涼しい木陰で、談笑しながら休憩


  宇宙の広さを体験してもらう催しは、何年か前に観光協会の理事をしていた時に提案しました。しかしながら却下されてしまいました。そこで今回、いつものウォーキング仲間に体験してもらうことにしました。
 さて、水星の位置を出ると、3分後に桜橋に到着です。この桜橋の位置にあるのは金星(直径12cm)です。さらに田布施川に沿って歩き、図書館を50m過ぎた位置にあるのが地球(直径12cm)です。続いて火星の位置に向かいました。

   関戸橋近くの堰    向こうに見える川添橋   田布施町交流館に戻る
  

 火星(直径7cm)の位置は旧関戸橋の位置です。ここまで来ると猛暑日で突き刺さるような日差しがこたえます。タオルで汗を拭きながら歩きましたが、風が吹いているため汗は塩になります。そのため、額を触ると塩でサラサラしました。
 新関戸橋近くの桜の木陰で最初の休憩を取りました。今日は距離を稼ぐウォーキングではないため焦らずいつもの仲間と談笑しながら楽しく歩き続けました。これだけ暑いと、楽しくおしゃべりしないと歩けません。
 
    旧関戸橋を交流館に戻る     交流館に着いてかき氷を食べる
 

 灸川の河口近くに来ると幕末期の奇兵隊のお話をしました。また、私が子供の頃にあった人島橋に付いてお話をしました。どんどん歩いて八海橋の位置にある木星(直径1.4m)に着きました。今回のウォーキングはここで止めです。それ以降の惑星の位置は、土星が佐賀、天王星が尾国、海王星は上関になります。これ以降は遠くて歩けません。
 木星までの位置を体験すると、高塔公会堂の木陰に行って昼食休憩にしました。その後はひたすら交流館に向かって戻りました。午後1時頃でしたので猛烈な日射でした。交流館に着くと、かき氷を食べました。暑くなった体には最高のプレゼントでした。この猛暑日のウォーキングに参加さたれ方々お疲れさまでした。

        太陽系の大きさを体験したウォーキングのコース

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酷暑の中、汗だくで柳井市琴石山に登る

2024年07月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猛暑の中を柳井市の琴石山に登ってきました。友達の一人がまだ琴石山に登ったことがないとのことで、先月登る日取りを決めていました。梅雨が明けず雨との予想をしていましたが、好天の猛暑でした。最初から汗だくの歩きでした。
 酷暑のためか誰ともすれ違いませんでした。ただ救われたのは風がそれなりに吹いていたことでした。何度か立ったまま休憩をすることを繰り返しながらなんとか登りました。頂上に着くと、絶景が広がっていました。四国も九州もくっきり見通せました。頂上からの景色はこれまで何度も見ましたので、360度ざっと見渡しただけですぐに木陰に入りました。一時間位昼食兼水分補給をしました。

       周防大島、平郡島、皇座山、その向こうに四国を望んで


 最初は舗装されたくねくね曲がる道をゆっくりと歩きました。それでも日差しが刺さるように照るため汗が出ます。手で汗を拭いてもすぐに流れ落ちます。一番困るのは汗が目に入って痛むことです。持ってきた手拭で汗を吸い取りました。
 歩きながら、多めに持ってきた水分を喉が渇かなくても飲みました。琴石山の階段からは山の陰に入ります。樹々の間を歩きましたが、通る風が涼しくて気持ち良かったです。

  琴石山の階段を登る   日積方面を振り返る    琴石山頂上の立て札
  

 琴石山直下の階段は距離は短いものの日陰がありません。最後の力を振り絞って登りました。すると、木製のテーブルや椅子が見えてきました。頂上に到着です。椅子に数分間座って休憩した後、頂上の絶景を楽しみました。その後は木陰に入ってたっぷり休憩しました。充分休憩をすると、来た道をのんびりと下りました。暑かったですがほど良い運動になった山登りでした。

   頂上より周防大島を望んで     手前に笠佐島、向こうに平郡島を見て
 

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柳井市相ノ浦史跡巡りウォーキングの下見

2024年07月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 柳井市相ノ浦の史跡巡りウォーキングの下見をしてきました。何年か前に相ノ浦小学校跡地や傍に鎮座する相ノ浦神社や近くにある池ノ浦神社を訪れたことがあります。今回はそれ以外の仏閣,祠,そして庵などを訪れました。ただ梅雨時期なので隅々まで歩くことができませんでした。また、皇座山の登山口まで行くことができませんでした。相ノ浦は交通がとても不便です。バス路線が無いため車で行くしかありません。本番ウォーキング時には柳井に集合して、乗り合わせて行くしかないようです。

            平成年間に建て替えられた宝照庵


 さて、車を相ノ浦小学校跡地横に止めました。その小学校の校庭跡地で工事をしていたため入ることができませんでした。また、相ノ浦神社は以前来たことがあるため今回は行きませんでした。そこで、少し海岸を歩いて地域内を歩くことにしました。皇座山に向かって緩い坂道をのんびり登りました。振り返ると、周防大島が見えました。左端には周防大島大橋が小さく、右端には平郡島がみえました。どの地域もそうですが、田んぼで米作りはやっていないようで、放棄田がたくさんありました。

  放棄された田んぼ     報恩寺で少し休憩   報恩寺から宝照庵に向かう
  

 緩い坂道を登っていくと先に報恩寺の本堂屋根が見えてきました。ややきつくなった坂道を登ると報恩寺に着きました。少しばかり休憩させてもらおうとご住職を探しました。すると、廊下横で投薬中で横になった方がおられました。たぶんご住職だと思われます。挨拶をすると休憩を快諾していたいただきました。ありがとうございました。

 宝照庵の上に安置された七人地蔵      道路に面した祠と御旅所
 

 報恩寺で15分位休憩すると宝照庵に向かいました。地域によっては倒壊寸前の庵が少なくありません。しかし、宝照庵は平成年間に建て替えられたようでまだ新しい趣が残っていました。庵の東側は墓地でした。相ノ浦の方々の安寧に地なのでしょう。宝照庵を出ると、海岸道路の祠や御旅所に行きました。その後は、海を見ながらのんびりと車に戻りました。

         柳井市相ノ浦の史跡巡りウォーキング下見コース

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岩国市由宇の史跡巡りウォーキング(4/4)

2024年07月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 榊八幡宮で元気な子供達と話していると、ある一人の子供が竹林の向こうに熊を見たとのこと。全国的に熊が出没していますが、由宇に出没しているのでしょうか?以前、アナグマを熊と間違えるケースがあるとのニュースが流れていました。そのため、子供が見たのはアナグマ,タヌキ,あるいはアライグマかも知れません。これらの共通点はどれも色が黒い事です。今の子供は小動物を見ることが少ないと思います。そのため、アナグマを熊と勘違いしたのかも知れません。ちなみに我家周辺にはどれも生息しているため私は区別できます。
 さて、榊八幡宮の階段を降りると、二百メートルはあるかと思われる長い参道を通って国道188号線に向かいました。

       由宇を襲った昭和20年の枕崎台風時の冠水を示す災害碑


 長い参道を歩いていると、祠や御旅所がありました。夏祭りや秋祭り時に榊八幡宮を出発したお神輿がお休みする場所です。なお田布施町麻郷の高松八幡宮のお祭りは、まる1日をかけて数十か所の御旅所(麻郷と麻里府)を回ります。2017年に高松八幡宮夏祭り御神幸の記録を撮影するため御神幸に同行したことがあります。その他、麻里府の住吉神社城南の石ノ口八幡宮波野の菅原天神社などの御神幸にも同行して記録を取りました。

  参道横の御旅所と祠     浄土真宗西光寺    由宇地域のサロン
  

 国道188号線が見える場所に来ると、右手に浄土真宗西光寺の立派な本堂が見えてきました。お寺前広場に入って本堂を遠目に見学しました。続いて街内を歩いていると「街角わいわい寄り合いサロン」の看板が目につきました。個人の家でサロンを開いているようです。
 続いて枕崎台風の災害碑を見ました。この災害で数十人の方が亡くなったようです。水位跡から想像するに床上浸水したようです。ちなみに私が元住んでいた家は台風時によく床下浸水していました。畳を剥がして根座板を外すと水面が見えました。もしかして畳に座りながら釣りができたかも知れせん。

    由宇小学校開校時の跡       JR由宇駅に戻った電車を待つ
 

 枕崎台風災害碑の隣に由宇小学校の開校時の跡碑がありました。明治期に由宇小学校がここに開校したのでしょう。これで主な由宇町の史跡を巡ったため田布施に帰る事にしました。国道188号線を渡ってJR由宇駅に向かいました。30分程度待って電車に乗りました。由宇町の史跡巡りウォーキングに参加された方々お疲れさまでした。次回は田布施内の史跡巡りをする予定です。

         岩国市由宇の史跡巡りウォーキングコース

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岩国市由宇の史跡巡りウォーキング(3/4)

2024年06月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 山陽本線の線路を横切り、海岸側から由宇街に入りました。お昼の時間帯に入っていため由宇文化会館の軒下に腰かけてお昼休憩兼トイレ休憩をしました。暑い中を歩いたため少しばかり疲れていたため長めに30分位休みました。この暑い日中、休日にも関わらず文化会館にやって来る人はいませんでした。昼食を取り水分を十分取ると少しばかり元気が出てきました。
 ところで、休憩中に職員の方がやってきて由宇の歴史資料を見せていただきました。その資料を見て、由宇漁港で分からなかった神社名が分かりました。ありがとうございました。その後しばらく談笑しました。そして、出発の声掛けをして次の史跡に向かいました。

          子供数人が元気に遊んでいた立派な榊神社拝殿


 由宇文化会館から数百メートル歩くと蛭子神社に着きました。布哇(ハワイ)移民の方々の寄付で建てられた石柱がとても立派でした。また、榊八幡宮の御旅所もありました。今でもお祭り時には賑やかなのでしょう。蛭子神社周辺の史跡を見終わると、榊八幡宮に向かいました。

昼休憩した由宇文化会館    蛭子神社の説明板    浄土真宗の善行寺
  

 榊八幡宮に向かう途中、現代的な本堂の浄土真宗の善光寺を見ました。そして、その隣にある浄土宗の浄専寺を見ました。こちらは伝統的なお寺の本堂が立派でした。その後しばらく歩いて由宇小学校に着きました。クラブでしょうか、子供達がサッカーの練習をしていました。その途中、親子で水路のカワニナを取っていました。その水路、覗いてみましたがメダカなどの魚の姿はありませんでした。

    伝統的な本殿の浄専寺      サッカー練習していた由宇小学校
 

 由宇小学校を過ぎると、すぐ横に由宇保育園がありました。下見時には園児が遊んでいましたが、今回は休日のため誰もいませんでした。保育園を後にすると、長い石階段を登って榊八幡宮に向かいました。石階段の上の方を見ると、近所の子供でしょうか数人が石階段を元気に登っていました。年寄りにはこたえる長い石階段でした。石階段を登りきると榊八幡宮の拝殿がありました。息を整えた後に参拝しました。
 ところで、拝殿前の広場で子供達が何やら虫かごを持って走っていました。ちょっと声をかけて虫かごの中を見せてもらいました。とても礼儀正しい子供達だったので嬉しくなりました。

         岩国市由宇の史跡巡りウォーキングコース

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岩国市由宇の史跡巡りウォーキング(2/4)

2024年06月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 由宇漁港に着くと、たくさんの船が係留されていました。中には漁船と言うよりも釣りを楽しむ船もありました。係留場を借りて自分の船を留めているのかも知れません。平生町にも船を係留する港があります。私の親戚も船をそこに係留しています。〇万円/年の係留代がかかるようです。
 私も数十年前にカヌーやヨットに乗って瀬戸内海を操船してみたいと思っていた時期がありました。また四種免許を取って船を動かしてみたいと思っていました。実際四種免許を取った友達もいました。

            由宇漁港で静かに休む漁船の数々


 自分のカヌーやヨットを持つことは今では夢の話となりました。しかし、孫の一人ががヨットに乗りたいと言い出したら、光市のスポーツ交流村にあるヨットハーバーでヨットを一緒に学ぶチャンスかも知れません。仮にそれが無理であっても、釣り船をチャーターして一緒に釣りを楽しみたいと密かに思っています。 

 朱色が眩しい淡島神社   古めかしい恵比寿神舎   奉納された大きな錨
  

 由宇漁港には二つの神社があります。一つは淡島神社です。頻繁にメンテナンスしているようで眩しいほどの朱色が目立ちます。そして、その右隣に古めかしい名前が分からない神社がありました。その古びた神社内に錆びた大きな錨が奉納されていました。こちらの方が本来の漁港の神社かも知れません。付近に誰もいなかったため二つの神社の違いを聞くことができませんでした。※昼食を取った由宇文化会館(由宇公民館)で、名前が分からなかった神社が恵比寿神社と分かりました。

    長い海岸線の堤防を巡る      港町第二街区公園の木陰で休憩
 

 由宇漁港を過ぎると堤防越しに海岸が見下ろせました。高潮対策の堤防のようで、立ったままでは海が見えません。堤防の上に乗らないと見えません。堤防の端からわずかに海が見えました。その後、堤防の内側を歩きました。堤防からは海が見えないため、打ち寄せる波の音だけが聞こえました。堤防をぐるりと歩き続けると、港町第二街区公園が見えてきました。日差しの強い中を歩いて少しばかり疲れたため、その公園の木陰に入って10分程度休憩しました。

         岩国市由宇の史跡巡りウォーキングコース

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岩国市由宇の史跡巡りウォーキング(1/4)

2024年06月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 久し振りにいつもの仲間たちと史跡巡りウォーキングに行ってきました。元々は3月の予定でしたが、天気が悪かったり他のイベントと重なったりしてなかなかウォーキングできませんでした。初夏の6月になってしまったので日差しが強く暑い季節の中でのウォーキングとなりました。
 さて、JR田布施駅に9:30に集合して、9:47に岩国行の電車に乗りました。そして、10時過ぎにJR由宇駅で電車を降りました。JR由宇駅も無人駅でした。ホームを出ると、線路を渡って海岸方面に歩きました。

         JR由宇駅ホーム傍に建つ六角形のお堂「無量殿」


  線路を横切って由宇文化スポーツセンターゆうたんのドームに向かって歩きました。しばらく歩いてJR由宇駅ホームが見えてくるところに、大師堂や六角形の無量殿が見えてきました。そして、手前に摩尼車が並んでいました。摩尼車を回すとお経を一巻読んだことに等しい功徳があるとのこと。そして、傍の慈観庵から数人でお経を合唱する声が聞こえてきました。信者が集まる日だったのでしょう。

 カープ一色のJR由宇駅   摩尼車をくるくる回す    お経合唱の慈観庵
  

 このまままっすぐ進むと由宇文化スポーツセンターゆうたんですが、道を曲がり海に向かいました。少し歩くと、にこにこちどりこども園がありました。休日のため児童たちの元気な声が聞こえてきませんでした。そして、その向かい側にある南町第一街区公園にも誰もいませんでした。休みなのに子供の声が全くしないのは少々寂しい気がします。

   にこにこちどりこども園       誰もいない南町第一街区公園
 

 静かな南町第一街区公園を過ぎると、向こうに船が見えてきました。由宇漁港です。やはり休日なのか静かに船が休んでいました。今は漁師さんも休日には休むのでしょう。防波堤に打ち寄せる波の音だけがする静かな由宇漁港でした。

          岩国市由宇の史跡巡りウォーキングコース

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野生のミツバチが我家にお引越し

2024年06月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 二つ目の巣箱に野生のミツバチがやってきました。ミツバチと言うと通常西洋ミツバチを指しますが、野生のミツバチは日本ミツバチと言って日本の野山に住んでいます。普段は大人しいミツバチですが、野生だけあって熊やスズメバチなどと戦うことがあります。我家の住人になってもらったので、晩秋か来春には蜂蜜や蜜蝋をいただこうと思います。

            働きに出るミツバチ達を観察


 午前、家を探している探索ハチが数匹飛んでいました。そして午後、数百匹ものミツバチが群れをなしてやってきました。その羽音のうるさいこと。しかし、一時間ほどするとみんな巣箱に入りました。そして次の日、何事もなかったようにミツバチ達は蜜を求めて働きに出ていました。
 私が子供の頃、西洋ミツバチを飼っていました。近くの山に桃園を経営しており、ミツバチに授粉をしてもらうためです。蜜を取るための遠心分離機がありました。しかし、台風で巣箱が倒れたことをきっかけに巣箱から逃げてしまいました。ミツバチを飼うことは容易ではないのです。

  やって来た直後のミツバチの群れ       働きに出るミツバチ達
 

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