goo blog サービス終了のお知らせ 

日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

信心を妨げる寸善尺魔

2008-06-01 | 御住職指導

 

正林寺御住職指導(H20.6月 第53号)

 一般的に寸善尺魔とは、世の中はよいことが少なく悪いことが多いことをいいます。また世間では一寸先は闇であると、ちょっと先のことも全く予知できないことをたとえていいます。寸善尺魔とは一寸先は闇であることを一重深く説明した言葉でもあるでしょう。
 信心による寸善尺魔とは、仏道修行者が大きな魔に誑かされていくことをいいます。寸善尺魔の寸善とは小さな善、尺魔とは寸善の十倍もする恐ろしい魔のことで、魔とは煩悩などをはじめ私達の心を迷い悩ませる働きをするものです。

 日蓮大聖人は寸善尺魔について『新池御書』に、
「無益の事には財宝をつくすにおしからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり」(御書一四五七㌻)
と仰せです。意味は、無益な事には財宝を使うのを惜しまず、仏法僧の三宝に少しの供養をするのを面倒くさく思うことは、信心修行者においてはこれただ事ではない。地獄の使いが引っ張る力の方が強いのである。寸善尺魔というのはこれであると御指南です。

 寸善尺魔とは、地獄の使いが引っ張る力の方が強いことであり、信心が弱いと大きな魔に紛動され、一生懸命に積んだ功徳を奪われ命をも奪われかねません。
 大きな魔を防ぐには『法華題目抄』に、
「犀の生角を身に帯して水に入りぬれば、水五尺の身に近づかず」(御書三五四㌻)
と仰せです。中国の故事に犀の生角を身に帯せば水に入るとも五尺離れて水に濡れることがない故事と同様に、信心強盛に犀の生角となる御本尊様を受持し御題目を唱えていけば、災い不幸が五尺の我が身を離れて魔が襲いかかることが絶対にできないと大聖人は御教示です。

 

この記事についてブログを書く
« 平成20年6月度行事予定 | トップ | 第68世日如上人猊下御指南 »