次の書は、姫路〜赤間関(下関)間の線路建設である山陽鉄道につ
いての資料(明治23年・1890)。
山陽鉄道はその2年前の明治21年に開業したものの、資金難か
ら補助金の下付をもとめていた。これに対し鉄道局長・井上勝は資
金が集まらないのは山陽鉄道が利益を上げるまでに時間がかかる
ため、補助金が下付し、合わせて完成時期を7年から5年に短縮
するよう指令すべきと総理大臣からの照会に応えている。
次の図は、明治21年6月時点の国内鉄道路線図。
さらに、当時の山陽鉄道旅客案内の記事中に、山陽鉄道が通る
船坂山(兵庫・岡山県境の船坂峠)のトンネルを“文明の利器”として
紹介されている。
NAJ(国立公文書館):千代田区北の丸公園3-2)
いての資料(明治23年・1890)。
山陽鉄道はその2年前の明治21年に開業したものの、資金難か
ら補助金の下付をもとめていた。これに対し鉄道局長・井上勝は資
金が集まらないのは山陽鉄道が利益を上げるまでに時間がかかる
ため、補助金が下付し、合わせて完成時期を7年から5年に短縮
するよう指令すべきと総理大臣からの照会に応えている。
次の図は、明治21年6月時点の国内鉄道路線図。
さらに、当時の山陽鉄道旅客案内の記事中に、山陽鉄道が通る
船坂山(兵庫・岡山県境の船坂峠)のトンネルを“文明の利器”として
紹介されている。
NAJ(国立公文書館):千代田区北の丸公園3-2)