西古墳の[つげまろ]と東古墳方面
歩いて15分程の所に有る『三陵墓古墳史跡公園』で19日、陵燈会とやらの催しが有った。
主催は
NPO都祁の、つげ2010夢くらぶ陵燈会実行委員会
先日、山村暮らし地のドアをノックする音が…
まず訪ねて来る人はいない筈なのだが応対に出ると此の陵燈会の灯り参加申込は如何?との来訪だった。
この地域とは全く繋がりは無いが、折角来てくれてるのだから “ノー” とも言い辛い、案内チラシによると花火が1発3.000円、行灯の大が1個3.000円、行灯の小でビンが200円。
『お付き合いの印しだけです』と行灯小の200円のを5ヶお願いした。
1.000円の領収書と云うので僅かだしもう領収書はいいと辞退した。
暑い時季に役員さんも大変だ~
陵墓での盆の時期の灯り行事となると、やっぱり大和王国のとか…、先祖供養のなんかに繋がるのだろうか?
この時期には各地で万燈会が行われるわな。
御仏に七難即滅、七福即生、並びに先祖さんの冥福を祈る為の。
陵燈会の会場へ来て、チョッと感じや雰囲気が違うように思えるが……
果してこの催しが地域の活性化に繋がるのか……
如何程の地域外からの来訪者が有るのか?
見た感じ参加者少ない、もう少し有っても良いのでは……
その後主催者の挨拶でこの催しは子供達の夏休みの思い出づくりだと知った。
18:00……ローソク点灯
19:30……点火式が有ってエイサー演舞やギターとオカリナの共演など
21:00……花火
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この三陵墓古墳、東古墳は前方後円墳で全長110m、後円部の直径72m。
西古墳は高さ5mの円墳で直径40m。
古墳時代中期の大和高原では最大級の古墳と云うことで奈良県指定の史跡公園になっている。(都祁関する資料より)
暗くなって灯りだけの景色になる前に、薄暮の景色も見て比べたいと少し早めの時間に会場へ、そしてブラブラ見て回る。
東古墳に上るのは今回初めてだ。
東古墳への道と東古墳から西古墳方面を見る
古墳時代の此の辺りはどんな風だったのか……
名阪国道が開通してからこそ開けた此の辺りの地区だが、名阪国道が無かった時代には奈良や天理の人達からは何かと云えば『山中、山中』と猿や猪のように見られ云われて来た。
戦直後は室口大野から、若しくは桜井から一日1~2本の木炭バスが走ってた。
鮮魚なんて無い、有っても干物ばかり。
大阪ナンバーの自動車なんて滅多に見なかった。
自動車を車なんて言わない。車とは荷車のことだったから…
昭和30年頃迄の都祁(当時は都介野)の話。
海無い、川無い、寒い、こんな地の古墳時代の頃って???
しかし、こんな古墳を造れるって大和王国って凄かつたんだ~
いろんな事を思いながらブラブラと…
この三陵墓古墳の場所は都介野岳の麓の延伸状に有る。
西古墳の頂上から未調査の南古墳方面、向こうには綺麗な姿の都介野岳
此の都祁の地は大和の国の東の端、都介野岳は日の出の山。その名は韓国から来ていると云う。
朝鮮新羅では太陽神を祭った場所を都祁、都祈、都介、闘鶏、つまり鶏が鳴き日の出を告げる地の意味。
やっぱり此処でも先進地の中国、朝鮮、等の大陸文化文明が出てくるんや~
この日の昼は暑かった~
しかしこの地の夜は高原独特、気温は急降下。
いい夕涼みが出来た。
早くに一杯飲んで晩ごはんも済ませ、水筒と電池と敷物を持って散歩がてら…
知らない人ばかりで話す事もないが沢山の人の中にいるだけで楽しいものだ。
21時定刻の打ち上げ花火を見て、野菜の出店で三本100円のキュウリを買いブラブラ提げて帰ったのだった。
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