チャリンコ漫遊

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テオティワカン遺跡(メキシコ)1997

2007年12月07日 | 外旅の思い出
      テオティワカン遺跡

太陽のピラミッド、月のピラミッド、ジャガーの神殿、死者の道、等

テオティワカンは古代中部アメリカ最大の都市で、紀元前二世紀~六世紀頃まで栄えた云われます。


メキシコへの旅の飛行機はJAL.日本航空です。絶対的信用度高い優秀会社です。だったと思います。今、外国の航空会社の資金援助を受ける会社になるとは当時の勢いからは想像もつきません。残念ですね、寂しいですね。

関空出発便は、ロンドン~香港~関空~ロサンゼルス、行きでしたが関空到着が40分遅れました。一旦入国してロス市内観光でしたが二度目で新鮮さはなかったのですがサンタモニカ海岸は良い思い出になりました。

ロスからメキシカーナ機でメキシコシティーへ4時間ほどのフライトでしたが到着時間が遅い上に入国手続きで手間取り深夜になってしまいました。
メキシコが厳しいのか時期がそうさせたのか入国時に荷物検査を受けたのは当時としては初めての体験でした。


さてテオティワカン遺跡ですが、メキシコシティーの北東50Kmに位置しています。

スケールの大きさは驚きです、高い水準の文化です。

太陽のピラミッドの頂上に登りましたところ、現地の一つのグループが両手を太陽に向かってかざして回りながらお祈りをして踊りだしました。
言葉も何も分かりませんが私たち旅行者もグループに合わせて一緒に踊りました。何か満たされた気持ちになったのは不思議な体験でした。



アステカ文明
アステカ族の人々にとって、神々を祭ることの行事は何事にも換えられない事だった。
そしてそれらの行事の祭りには彼等の守護神であるウィツィロボチトリに人間の心臓を捧げることが慣わしとなっていた。
儀式の日、祭りが最高頂に達する頃この日のために選ばれた名誉ある者が神官にかしずかれてピラミッドの上へと向かっていく、そこには太陽の光にまぶしく光る黒曜石の鋭いナイフを手にした神官が待っている。

彼の背に垂れた長い髪は過去何年にもわたって何十人、何百人と云う犠牲者の鮮血を浴び続け見るもグロテスクに固まっている。

選ばれた名誉ある民はピラミッド頂上の神殿の前に置かれた『生け贄の石』に仰向けに寝かされ4人の神官に手足を押さえられ、そして彼の胸からは太陽と同じ赤い輝きを持つ心臓が取り出される。
未だヒクヒクと動いている心臓はいち早く神殿内の神の偶像に捧げられその血は偶像の顔面に塗り付けられる。
一方なきがらは地上めがけて放り投げられる。
石段に血しぶきを散らして転がり落ちた死体は神官の手によって生皮がはぎとられる。
それを被った神官は人々の踊りの輪に加わり,
こうして祭りはクライマックスに達し人々は陶酔状態になって踊り狂う。
遺体はその間に切断され頭はは過去の犠牲者たちの頭蓋骨と共にツオンパントリと云われる晒し棒に並べられ、内臓は支配者の慰みの為の動物園の猛獣の餌となる。
そして犠牲者の太股の部分の肉がボソレの中身となって貴族の口に運ばれたと云う。

★ボソレ………とうもろこしの実をはじかせ、それを鶏肉や豚肉と長時間煮込む


            (ガイドブックの記事より)

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