世界最古の庶民のための公立学校の講堂は国宝。
創建当時は茅葺きで有ったがその後改築され現在の備前焼瓦に葺き替えられている。
柱は欅の丸柱で内室の四方を入側で囲んでいる。
閑谷学校について
1670年に岡山藩主池田光政によって創建された。
この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は30年程かけて堅固で壮麗な学校を完成させた。
(説明より)
石塀
学校全体を取り囲む765mの石の塀は300年経った今も堂々たる存在感が凄い。
タッチ、ハグしてきた。
この部屋は教師と生徒たちが湯茶を飲んだ休憩室、写真奥が講堂方面。
石づくりの縁には火の用心をするようにの文字が刻まれていた。
『斬爐中炭火之外不許薪火』
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閑谷学校資料館
この建物は明治末期の私立閑谷中学校本館として使って居たもので当時の学校建築としても貴重な建物
1号館……閑谷学校の創設と沿革
2号館……岡山藩主池田光政と学校建設と運営にあたった津田永忠
3号館……閑谷学校の規則や儒学を中心とした内容。
4号館……聖廟と釈菜(セイビョウとセキサイ) 儒学の祖孔子を祀る緒施設の展示
5号館……閑谷学校の文化財、鯱や瓦
6号館……岡山藩の学校や施設の紹介
7号館……学制頒布後の閑谷学校、廃藩置県で閉校になったその後、等々
楷の木
儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設の聖廟前に学問の木として植えられている。
黄葉亭
1813年に来客の接待や教職員生徒の憩いの茶室として建てられた。
学校の敷地から少し離れた場所に建ってました。
閑谷川の呑吐滝(どんとのたき)
此所から川に沿って上って行くと津田永忠宅跡が有り、さらに上流に黄葉亭が有りました。
見学を終え閑谷学校を後に国道2号線に戻り左折、帰路大阪ヘ
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