チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

虹を見ました~

2017年12月26日 | 貴重珍重ロケーション
12/26ー15:30、寝屋川の石津小学校の上にかかった虹を見ました~

今日は変な雲いきで北東の空は真っ黒、南西の空には青空、中間辺りには白で縁取りしたような黒雲、そこへ狐の嫁入り、何か変な天気でしたよね~

昼のニュースでは東北地方は豪雪、暴風、爆弾低気圧???だとか…

フィリピンでは台風で200人からの死者が出る大被害。
地球まるごと異常気象、おかしい??

そんな今日の日に、もう何年も虹を見てなかった虹を見たので感動❗️感動‼️シャッター。

これが最近始めたジョギング中、これもジョギングと言えたものかどうか?
始めてるんだけど、此れがなかなか難しい。
ウォーキング、歩くのは大概に歩いて来ていて自信あり、歩くスピードで小走りするだけなのに此れが出来ない、長くは出来ない。
歩き、小走り、を繰り返していると汗…汗…の世界に……
此れがウォーキングとの大きな違いなんだ。
其れだけ体内燃焼しているのでしょう。

河川敷で逢った男性は最初は小幅で歩く早さでいい。姿勢は真っ直ぐ、前かがみにならないように。腕はしっかり後へ振る。
膝の為にも摺り足のように……ともアドバイスしてくれた。

実際やると、なかなか難しい。
後期高齢者に仲間入りした者が新たに始める世界、膝を痛めて失敗はしたく無いが世界が変わった、イヤホントに。
少しでもジョギング出来る距離を伸ばして行きたい。

今年のクリスマスも終わった、来年のクリスマスに果たして続いているかどうか・・・

今年の我が家の玄関

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思い出の沖縄【Ⅲ】・斉場御嶽と知念岬

2017年12月26日 | リンリン

神域(5)三庫理(サングーイ)
三角形の空間の突き当たり部分が三庫理
右の岩の上が拝所


神域(4)
シキユダユルとアマダユルの壺
二本の鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受けるための壺
聖水も拝所



世界文化遺産でもある『斉場御嶽』

斉場御嶽について
御嶽とは…南西諸島に広く分布している聖地のこと。
斉場御嶽は琉球王国で最高の聖地。
御嶽の中には6つのイビ(神域)が有る。
その中でも大庫理、寄満、三庫理は、首里城内に有る部屋と同じ名前がついていて当時の首里城と斉場御嶽との深い関わりを示していると云う。


神域(2)
大庫理(ウフグーイ)
御門から最初の拝所。大広間などの意味。
石畳の敷かれた祈りの場


神域(3)
寄満(ユインチ)
王府用語で直訳すれば「台所」らしいが、ここで調理したわけでは無く、貿易の盛んだった当時の琉球では、世界中から交易品の集まった場所
「豊穣の満ち満ちた所」と言われている。


2

絶景ポイントである『知念岬公園』







ニライカナイ橋


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思い出の沖縄【Ⅱ】・最北端の辺戸岬

2017年12月26日 | リンリン




沖縄本島の最北の地、やんばる国立公園の辺戸岬

鹿児島県の与論島まで22kmの距離だとか…
訪れた此の日は風の強い日だった。
何時も吹いている所かも知らないが……

車泊旅でも、〇〇端〇〇先端を求め巡ったんだった。

この沖縄北端へ行くツアーは以外と少ないんだとか……添乗員さんが云ってた。




その辺戸岬には「祖国復帰闘争碑」が建っている。

「祖国復帰闘争碑」碑文

全国のそして世界の友人に贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。
打ち寄せる波涛の響きを聞け。
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の叫びだ。
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約第3条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は倣慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯あることを信じ、全国民に呼び掛けて、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。
1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するために有るのではなく、まして勝利を記念するために有るのでもない。
闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

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