ふぉるもさキッチン(台湾厨房)

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景美人権文化園区 その1

2013-12-16 21:52:15 | お勧めスポット

 私の住む町にこんな博物館園区があったなんて、ちょっと前まで気が付きませんでした。調べてみると、ここは蒋介石が行った「白色テロ」の時代に警備総司令部の「景美看守所」として政治犯を収容する監獄だったのです。



 この受付ホールの奥には結構な敷地があって、かつては多くの受刑者が服役している場所だったのです。受付では日本語のオーディオガイドが借りられますので、詳しく知りたい場合は貸してもらいましょう。



 かつて兵舎として使われていた建物は、特別展示室となっています。



 台湾の「白色テロ」について詳しい解説があります。



 当時の様子を写真で再現しています。



 1950年代は白色テロがその極みに達した年代に当たり、当時は人権侵害も相当深刻な状況だったそうです。1970年代以降はその脅威も徐々に弱まりました。景美軍法看守所は晩期に建てられ、比較的待遇のよかった刑務所の一つでした。



 展示室でボランティアガイドをされている女性(一番右側)は、若い頃日本へ経理の勉強に行って台湾へ帰ってきたところを空港で捕まり、そのまま直接刑務所に入れられたそうです。16歳のことだったとのことです。女性は牢屋の中でずっと泣いていましたが、翌日釈放されたそうです。当時は何の罪もない人が突然捕まってしまう、大変な時代だったということですね。



 展示室には実際の牢屋が再現されていました。中に入ってみたのですが、暗くて狭くて、気味が悪かったです。本当にここへ投獄された人達は大変だったと思います。



 兵舎を抜けると、「仁愛楼」というメインの建物が見えてきます。1968年に建てられました。



 仁愛楼の建物の、向かって左側は主に監房のあるエリアになっています。



 そして向かって右側には受刑者が刑務作業をするエリアとなっています。


    
 仁愛楼の手前にある池は懲役15年の刑を受けた政治犯が設計した「カイチの池」です。カイチは傳説の神獣で、事の是非を正す正義のシンボルとなっているそうです。しかし、白色テロによって多くの冤罪が生まれたこの地に、正義のシンボルがあるのはちょっと違和感があるかもしれません。ただ、カイチは池の中にいるので、本当の正義は水の中に閉じ込められているということを表現したかったのかもしれませんね。



 仁愛楼の中を見てみましょう。まず、入って右側には警備室があります。ここで指紋の押捺と身体検査を受けた後、監房に入れられたとのことです。


    
 警備室の壁には時計と足枷が掛けてあります。足枷は死刑を象徴するもので、時計の針の示す4時4分も「死」を表しているそうです。



 警備室の外側の廊下には、当時使われていた本物の足枷が展示されていました。


    
 実際に使ってみることができますので足にはめてみましたが、やはり相当重かったです。



 弁護士接見室は被告と弁護士の面会所でした。しかし、弁護士の役割は内に等しく、被告はろくに弁護してもらえなかったということです。



 こちらは医務室です。医務室の医者は受刑者と看守の医療に関わっていました。しかし、医者の人数は足りず、設備や医薬品も不足していたようです。



 看守所は環境が悪く、受刑者はいろいろな病気にかかったそうです。最も多かったのは皮膚病、リウマチ、関節炎、痔、肝臓病、胃腸病で、多くの人が体の不調に苦しんでいたとのことです。



 ここは売店です。ここで日用品が買えました。この店を利用できたのは看守と刑務作業を行う外役でした。



 こちらは面会室です。この監房に入れられた受刑者は、取り調べや起訴などの過程を経た後、ようやく家族の元に知らされたと言います。写真は家族側の面会所で、受刑者とはガラスを隔てた窓越しでしか会えませんでした。また会話も設置されている通話器を通じて行われ、勿論その内容は隣の録音室にいる職員にチェックされていました。



 この写真は受刑者側の面会室です。受刑者が家族と面会できるのは毎週木曜日、時間はわずか10分間でした。通話器で家族と話す内容に問題があれば通話器が切断され、それ以上会話ができなくなりました。また受刑者が少しでも規則違反をすると、面会停止処分となったそうです。



 仁愛楼の更に奥には監房エリアがありました。



 監房は独房、小監房、大監房とがあり、小監房は3~4人、大監房には6人以上が収容されていました。写真は大監房です。部屋の隅っこに便器が取り付けてあるだけの簡単な造りです。



 各監房には壁に覗き窓があります。これは看守が監房の中の様子を覗うためのものです。



 食事は壁の下の方の穴から支給されました。



 監房の中から見ると、こんな感じでしょうか。



 監房内での食事の模型もありました。ご飯と2種類のおかずという粗末な内容です。



 仁愛楼の中庭は運動場になっていて、受刑者は週に2,3回15分という短い時間、運動場に出ることができました。しかし、一度に一部屋の受刑者しか出ることができなかった上、運動場での会話は禁止されていました。受刑者はそれぞれ運動場の周囲に沿って一人で歩くよう指示があったそうです。

景美人権文化園区:新北市新店區復興路131號 サイトはこちら
 

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