ふぉるもさキッチン(台湾厨房)

台湾あれやこれや、色々なトピックスをご紹介したいと思います。(すでに閉店してしまった施設、店舗もあります。悪しからず。)

神様になった森川清治郎巡査

2012-11-21 13:42:55 | お勧めスポット
    
 嘉義縣東石郷副瀬村に日本人の巡査を祀ったお寺があると聞き、そこを訪ねてみました。



 はい、写真がそのお寺ですが、どんとオープンスペースみたいになっているシンプルなお寺でありました。その名も「富安宮」というお寺で、一般の地図には載っていないような小さなお寺。しかし、地元では大変有名なお寺なのでした。



 日本統治時代にこの副瀬村に赴任してきた森川巡査は村人のために尽くし、人望もあり、頼りになる存在だったのですが、当時の政府が税金の上乗せを要求してきたことを苦にし、自殺したと語り伝えられています。
 副瀬村の人々は森川巡査を偲び、このお寺にお祭りしたということなのですが、これがその森川巡査の像です。


    
 森川巡査の像は奥の神棚に、多くの神様の中に混じって飾られていましたが、お寺の人に写真を撮ってもいいですか、と聞いたら「あ、どうぞどうぞ~」と軽いノリで快い返事をいただいた上、像本体を出してきてくださいました。
 で、これがそうなのですが、色とりどりのきれいな衣を身に纏っていらっしゃいました。


    
 お寺の係の方が衣を取り去って「どうぞ、お写真取ってください~」と仰り、素直に取った写真です。像そのものは高さ50~60センチくらいでした。


    
 取り去った衣も紀念に写しておきました。刺繍も凝っているし、かなりカラフルなものです。



 現在富安宮はここから少し離れたところに新しい立派な建物を造っており、将来はそちらのほうに引っ越しするとのこと。あと1,2年はかかるでしょうとのことでした。新しいお寺の建物ができたら、森川巡査の像も他の神様同様そちらのほうに移されることになります。

 ところで森川巡査の像は、嘉義縣副瀬村の富安宮にご本尊様が祀られており、それは「義愛公」と呼ばれていますが、その分霊として副像がいくつか作られました。その副像の一つが私の住む新北市にもあると聞き、そちらの方にも行ってきました。



 それは新北市新荘区の「北巡聖安宮」というお寺。小さなお宮ですが、はい、あそこですよ~。



 ちょっとわかりにくい場所にあるのですが、住所はこちらになります。行こうと思われる方はチェックしてくださいね。



 プレハブの屋根の下にお宮がありました。確かに「北巡聖安宮」とあります。



 地元の方がお詣りに来ていました。




 神棚の奥、写真がぶれてしまいましたが、お髭の生えたこの方が義愛公、つまり森川巡査です。



 神棚の脇には森川巡査の写真も飾ってありました。



 森川巡査のことを書いた新聞の記事もきれいに保管されています。



 日本の巡査が台湾の神になった、小さなお寺が観光スポットに!という見出しが付いています。



 地元の方々が訪れる小さな廟は休日でもひっそりとしていました。


 ところで、森川巡査ってどんな人だったのでしょうか。台湾の神様として今でも参拝者が引きも切らず訪れるくらいですから、興味も湧きますよね。
 嘉義縣副瀬村の富安宮で手に入れた「義愛公伝 時空を超えて息づく森川清治郎」という冊子(王振栄 著)を読むと、詳細が載っていましたので一部抜粋してご紹介いたします。

 「海に面した辺鄙な半農半漁に生計を頼る寒村副瀬の生活環境の艱苦は言に及ばず更に著しい。森川清治郎はこの実況に直面し、本来の治安維持の任務に配合して教育の普及、環境衛生の観念啓発、農業技能の改善を決意し全身全霊を傾けた。」

 「富安宮の部屋を利用して塾を開き、慈悲で教師を雇い、文盲の村民を集め無料で読書の課程を設けた。(中略)勤務の傍ら、暇をみては教室を見回り、日本語は自ら五十音、単語、日用語を教え、時々課題を出して成績を調べ、優良者に1,2,3等を定め、紙、筆、墨を賞し奨励した。もし我が子真一が1等の時は除外し、次の者から賞した。」

 「ある日、村民が海へ牡蠣を取りに行き、貝殻でひどく怪我をして海中で泣いているのを見つけ、すぐさま海中に入り、2キロメートル余りある家まで背負い介抱した。後に当の本人よりも森川清治郎の方が大怪我をしたことを村民は知り、今更ながらその誠実さに感泣した。」

 また森川巡査は「新年も押し迫ったある日、部内の甲長などを派出所に集め」、自分は薄給ながら生活に困らぬだけの俸給をいただいているので、お歳暮としていただいた品物などを「皆様の諒解のもとに貧しい民に分け与えて、共に新年の慶びを分かち合いたい」とし、副瀬村の村人達から慕われました。

 しかし、台湾総督府は1902年、漁業税の課税を要求したため、副瀬村の人々は森川巡査に上層部へ税減免の嘆願を依頼します。納税は国民の義務ですが、「村民の生活苦を瞭解している森川清治郎は現地の窮状を一部始終上司に上申」しました。しかしながら、「村民の納税拒否を扇動していると支庁長の逆鱗に触れ戒告処分を受け」ました。
 そして4月5日、森川清治郎は村民に対して「税金のことは自分の力ではもうどうすることもできない。皆も苦しいだろうが、国のためと思って快く税金を納めてくれ。」と声を震わせ言ったということです。
 その二日後、森川巡査は副瀬村の慶福宮というお寺の中で、銃で自らの喉を撃ち抜き自害します。享年42歳でした。

富安宮:嘉義縣東石鄉副村57號 TEL:05-3734992
北巡聖安宮:新北市新莊區新樹路85巷1弄16之1號 TEL:(02)2203-0255 

にほんブログ村 海外生活ブログ 台湾情報へ