新田次郎の『冬山の掟』を読んだ。
ほんの些細なことが判断を狂わせて遭難に至るという全10編の山岳短編集である。
僕が衝撃を受けたのはこの本編ではなくて解説を書かれた探検家、角幡唯介さんの遭難体験にある。
悪天候の真冬、黒部ザラ峠の斜面に雪洞を掘ってビバ-クしていた時に突然猛烈な雪崩に襲われる。
押しつぶされた雪洞の下で身動きもできず、自分の死を受け入れられないままに死を待つ男の心境が語られている。
『私はただ黙って雪の下で死ぬのを待っていた。状況的にはどう都合よく考えても死ぬのは避けられなかった。
しかし死ぬことが決まったとはいえ、自分が死ぬことに納得できたわけではなかった。私は肉体的にも精神的にも健康体で、
意識も明瞭だったし、思考的にも十分論理的に物事を考えられる状態にあった。それなのに状況的には雪の下に埋っており、
次第に息苦しさは増していき、死はもはや避けられそうもなかった。私は自分の身体と状況との間に横たわる矛盾を完全に
受け入れることができずに、本当に俺は死ぬのか? 何かの間違いではないのか? という疑問を完全に払拭できないまま
ただ時間だけが人生最後の時に向かって突き進んでいた』
『何の根拠もない話だが、その時まで、私は人間誰しも最期を迎えるときぐらいは、それまでの人生に対して完璧な総括をして
全てを納得して死ぬものだと思っていた。そういう偉大な瞬間が訪れるものだと漠然と信じ込んでいたが、そのような総括という
瞬間は訪れなかった。自分の人生には、やり残したことが無数にあって、それをやるだけの意志と能力と時間も十分にあると信じていた。
これからも続くと信じていた時間と意識が不意に分断されることに私は混乱した。そこに不条理なものを感じて叫びだしたい衝動に駆られたが
また息苦しくなるのでそれもできず、必死に体を動かそうとするが指先1本微動だにせず、ひたすら無音無動でしばらくもがき苦しんだが
最終的には圧倒的な物理的な力の前にもはやどうすることもできないことを悟り、強制的に死を受容させられたのである』
(幸いにも角幡(カクハタ)さんは雪崩から這い出た相棒によって掘り出され九死に一生を得ることとなる)
そうなんですよね、人間誰しも人生の総括をして、すべてを納得したうえで最期を迎えられれば理想的ですよね。
でも自分の人生にはまだ時間があると信じているからこそ、総括することに思いが至らないでいる、
老いて衰えていく過程で、或は重い病が、人生を総括する貴重な時間を与えてくれるのかもしれませんね。
山を長くやっている方々なら経験がおありでしょうが、雪山に限らず、長期に亘る夏山山行でも様々な困難に遭遇します。
だからこそ、命を守る大切な道具として最小限の衣食住(替えの衣類、チョコレ-トなどの非常食、シェルタ-など)を携行する。
若い頃、濃霧に巻かれて道に迷い山小屋に辿り着けないことも何度かあった、そんな日に限って風雨の中でのビバ-クとなる。
風雨の中でツェルトを張るのは実は途方もなく難儀する、だからここ何年かは写真のJuzaのエムシェルタ-を携行しています。
これなら被るだけ、岩陰や木陰でかぶって胡坐をかいて対面にザックを立てれば直方体の空間ができ上がり、
2か所ある大きなベンチレ-タ-のお蔭でシェルタ-の中で料理もできちゃう。170gという軽量も有りがたい。
人間は水さえあれば何も食べなくても自分の体脂肪を燃やしながら1週間は生き延びられるということです。
このときにチョコレ-トなどの甘いものがあれば、これが着火剤となってより効率的に体脂肪をエネルギ-に替えられるのだそうです。
適量は板チョコ1日1枚、1週間分7枚となりますが結構重いし夏だとドロドロに溶けちゃうので僕は軽量な飴とブドウ糖を携行しています。
それと、言うまでもなくバ-ボンとツマミそしてタバコ、退屈せずに快適な遭難生活を送る必需品と言っておきましょう(これ決して冗談などではありません)
さて雪のあとの土曜日、ふるさとの山を歩いてきました。
当初は牛の寝通りを歩いて山飯の予定だったのですが、降雪当日から来春まで松姫峠への道が通行止めになったため止む無く計画変更です。
南面の登山道は早くも雪が解けているのですが頂上直下のガラス坂のようなツルツルの急斜面を突破できずに引き返すこととなりました。
引き返す途中、朱色に染まったモミジの下で山飯です。
先ずは雪で割ったバ-ボンをちびりちびりとやりながら雪を溶かして水を作ります。
今回は、とり野菜味噌のス-プで野菜たっぷり鍋です。
寒い日は鍋で温まるのがいいですねえ!
午前11時を回ると尾根に陽が当たって暖かくなりました。
銀マットとシェルタ-を敷いて、ハ-ドシェルを着込めばお昼寝仕様、こんな時は手袋とネックウォ-マ-の暖かさが嬉しい。
僕はもう厳しい雪山をやる体力も気力も失せているのでこんな山歩きがちょうどいいのです。
山で死なない秘訣、もちろん装備も大切なのですが、中低山でゆるゆるの山歩きを楽しむことなのかもしれませんね!
ほんの些細なことが判断を狂わせて遭難に至るという全10編の山岳短編集である。
僕が衝撃を受けたのはこの本編ではなくて解説を書かれた探検家、角幡唯介さんの遭難体験にある。
悪天候の真冬、黒部ザラ峠の斜面に雪洞を掘ってビバ-クしていた時に突然猛烈な雪崩に襲われる。
押しつぶされた雪洞の下で身動きもできず、自分の死を受け入れられないままに死を待つ男の心境が語られている。
『私はただ黙って雪の下で死ぬのを待っていた。状況的にはどう都合よく考えても死ぬのは避けられなかった。
しかし死ぬことが決まったとはいえ、自分が死ぬことに納得できたわけではなかった。私は肉体的にも精神的にも健康体で、
意識も明瞭だったし、思考的にも十分論理的に物事を考えられる状態にあった。それなのに状況的には雪の下に埋っており、
次第に息苦しさは増していき、死はもはや避けられそうもなかった。私は自分の身体と状況との間に横たわる矛盾を完全に
受け入れることができずに、本当に俺は死ぬのか? 何かの間違いではないのか? という疑問を完全に払拭できないまま
ただ時間だけが人生最後の時に向かって突き進んでいた』
『何の根拠もない話だが、その時まで、私は人間誰しも最期を迎えるときぐらいは、それまでの人生に対して完璧な総括をして
全てを納得して死ぬものだと思っていた。そういう偉大な瞬間が訪れるものだと漠然と信じ込んでいたが、そのような総括という
瞬間は訪れなかった。自分の人生には、やり残したことが無数にあって、それをやるだけの意志と能力と時間も十分にあると信じていた。
これからも続くと信じていた時間と意識が不意に分断されることに私は混乱した。そこに不条理なものを感じて叫びだしたい衝動に駆られたが
また息苦しくなるのでそれもできず、必死に体を動かそうとするが指先1本微動だにせず、ひたすら無音無動でしばらくもがき苦しんだが
最終的には圧倒的な物理的な力の前にもはやどうすることもできないことを悟り、強制的に死を受容させられたのである』
(幸いにも角幡(カクハタ)さんは雪崩から這い出た相棒によって掘り出され九死に一生を得ることとなる)
そうなんですよね、人間誰しも人生の総括をして、すべてを納得したうえで最期を迎えられれば理想的ですよね。
でも自分の人生にはまだ時間があると信じているからこそ、総括することに思いが至らないでいる、
老いて衰えていく過程で、或は重い病が、人生を総括する貴重な時間を与えてくれるのかもしれませんね。
山を長くやっている方々なら経験がおありでしょうが、雪山に限らず、長期に亘る夏山山行でも様々な困難に遭遇します。
だからこそ、命を守る大切な道具として最小限の衣食住(替えの衣類、チョコレ-トなどの非常食、シェルタ-など)を携行する。
若い頃、濃霧に巻かれて道に迷い山小屋に辿り着けないことも何度かあった、そんな日に限って風雨の中でのビバ-クとなる。
風雨の中でツェルトを張るのは実は途方もなく難儀する、だからここ何年かは写真のJuzaのエムシェルタ-を携行しています。
これなら被るだけ、岩陰や木陰でかぶって胡坐をかいて対面にザックを立てれば直方体の空間ができ上がり、
2か所ある大きなベンチレ-タ-のお蔭でシェルタ-の中で料理もできちゃう。170gという軽量も有りがたい。
人間は水さえあれば何も食べなくても自分の体脂肪を燃やしながら1週間は生き延びられるということです。
このときにチョコレ-トなどの甘いものがあれば、これが着火剤となってより効率的に体脂肪をエネルギ-に替えられるのだそうです。
適量は板チョコ1日1枚、1週間分7枚となりますが結構重いし夏だとドロドロに溶けちゃうので僕は軽量な飴とブドウ糖を携行しています。
それと、言うまでもなくバ-ボンとツマミそしてタバコ、退屈せずに快適な遭難生活を送る必需品と言っておきましょう(これ決して冗談などではありません)
さて雪のあとの土曜日、ふるさとの山を歩いてきました。
当初は牛の寝通りを歩いて山飯の予定だったのですが、降雪当日から来春まで松姫峠への道が通行止めになったため止む無く計画変更です。
南面の登山道は早くも雪が解けているのですが頂上直下のガラス坂のようなツルツルの急斜面を突破できずに引き返すこととなりました。
引き返す途中、朱色に染まったモミジの下で山飯です。
先ずは雪で割ったバ-ボンをちびりちびりとやりながら雪を溶かして水を作ります。
今回は、とり野菜味噌のス-プで野菜たっぷり鍋です。
寒い日は鍋で温まるのがいいですねえ!
午前11時を回ると尾根に陽が当たって暖かくなりました。
銀マットとシェルタ-を敷いて、ハ-ドシェルを着込めばお昼寝仕様、こんな時は手袋とネックウォ-マ-の暖かさが嬉しい。
僕はもう厳しい雪山をやる体力も気力も失せているのでこんな山歩きがちょうどいいのです。
山で死なない秘訣、もちろん装備も大切なのですが、中低山でゆるゆるの山歩きを楽しむことなのかもしれませんね!